財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界、平等利益。
ところが、こちらの「施財の偈」は本来、以下のように唱えられている。
維那聖僧の帳の後より身を転じ、首座に問訊す。乃ち首座に施財を請するなり。却りて槌の本位に帰り、槌を打つこと一下す。首座施財して曰く、
財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満。
『赴粥飯法』
このように、僧堂で食事をいただく前に、首座がその食が施された意義を「施財の偈」を通して示したのである。そして、基本的に江戸時代までの各種清規も、明治期以降の『行持軌範』でも、同じ唱え方となっている。そして、道元禅師が参照された『禅苑清規』とは少し異なっている。
首座施財、喝して云く、
財法二施、等無差別、檀波羅蜜、具足円満。
『禅苑清規』巻1「赴粥飯」項
2句目が異なることがご理解いただけるかと思う。それで、ここまで書いてみて、宗派の伝統的な表現や、現代の公式の作法では、「乃至法界、平等利益」が無いこともまた、ご理解いただけたと思う。なお、拙僧の拙い調べでは、その2句が付いているのは、一部の僧堂で用いられる経本にあることを確認した。
さて、それでは、その「乃至法界、平等利益」とは何なのか?である。これを調べてみると、どうやら中国では存在せず、日本で用いられたものであることが分かる。比較的古いと思われる表現は、以下の通りである。
成仏得道、速疾円満、弘法利生、自在無礙、乃至法界、平等利益。
覚鑁『求聞持表白』
こちらは、新義真言宗の覚鑁上人(1095~1143)が、保安元年(1120)に詠まれた表白文である。意義としては、自身の成仏が速疾円満で、衆生に仏法を弘めることが自在無礙であり、これらの功徳は衆生のみならず、「乃至、法界まで全て、平等に利益を得るように」と願っているのである。
そうなると、施財に於ける布施の功徳を、法界全体に廻らすために敢えて「乃至法界、平等利益」を付けた可能性があるが、どなたが、いつ頃に?という話になると、拙僧の拙い調べでは分からなかった。
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