莫図作仏 かなの坐禅儀に善也不思量也悪也不思量也、作仏を図ること勿れ、坐臥を脱落すべしとなり、高く着眼 伝灯南岳の章に曰、有沙門道一と云もの住伝法院常日坐禅す、師曰坐して図什麼、曰図作仏、師取塼磨石上、一曰く磨して作麼、師曰作鏡、一曰、豈得、師云、若し不成鏡、坐禅して豈に得作仏耶、一曰く如何が即ち是ならん、師曰、車不行、打手打車、一無対出拠也
7丁表~裏
「作仏を図ること莫れ」について論じられた箇所で、ほぼ面山禅師『聞解』に由来している。それから、ほとんど引用文なので、正直なところ『正法眼蔵』「坐禅儀」「坐禅箴」両巻をしっかりと読んでいただければ良いと思う内容である。
豈拘坐臥乎 是は四威儀に離即せず、仏向上の行履を示さるなり、又信力によると云に、不同会也ゝゝ
7丁裏
この「豈に坐臥に拘らんや」という一節は、或る意味で『普勧坐禅儀』に於ける最大の謎の1つだが、巨海禅師は非常に分かりやすく、「四威儀に離即せず」とするので、坐禅の「坐」と四威儀の「坐」との関係を一定の関係を踏まえつつも、「仏向上の行履」だと分別などの関係性を破した上での坐禅を示す。
尋常坐処厚敷坐物上用蒲団 時布席〈僧房足称夜妄禅成回独坐忘言処一箇天君※これは一節の末尾に置かれるべきだ〉自泰然如是不離ふとん、蒲はがま也、支那は専らがまで円坐を作り用故に蒲団と云なり、日本で讃岐円坐是なり、馬一竜が対蒲団詩に、剪り取て渓蒲密ゝに編む周遭功巧にして様団円石床閑展て平なること如砥木榻平に鋪て暖似氈道院最も宜し
7丁裏
上記では「坐蒲」の説明をしている。ただ、道元禅師の時代は「蒲団」と呼ばれていて、その説明である。中国以東では「がま」を使って円坐とし、それが「蒲団」である。気になるのは、日本に於ける「讃岐円坐」である。これは『庭訓往来』に出ている語句であり、実際の円坐は「菅」で出来ているとのこと。昔、拙寺にもあったような気が・・・
また、「馬一龍」は、中国明代の文筆家で1490~1562年の人とのこと。なお、「蒲団詩」は上記では途中までしか引用されておらず、以下は「僧房称に足る夜安禅す、幾回か独座して言を忘るる処、一個天君自ら泰然」だそうだが、あれ?上記一節の最初に出ているので、これは書写時の乱丁か?ということで、註記してみた。
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