栄西興禅護国論に云く、「夏冬安居を謂うに、四月十五日結夏、七月十五日解夏。十月十五日受歳、正月十五日解歳。二時の安居並んで是れ聖制なり。信行せずんばあるべからず。我が国、此の儀絶えて久しきなり。大宋国の比丘、二時の安居闕怠すること無し。安居せざれば、夏臘の二名を称すること、仏法中に笑うべきなり」。
南海寄帰伝に云く、「凡そ夏罷歳終の時、応に随意と名づくべし。旧に自恣と云うは、是れ義翻なり」。
即ち是の伝の夏罷は、論の解夏なり。夏罷歳終同じく自恣と称するは、則ち冬と夏と同じく安居を講ずること也た愈いよ明らかなるや。
『面山広録』巻24「冬安居辯」
一応、引用文は「」を付けて分かるようにした。それ以外は面山禅師の文章だと思われる。見れば分かるように、栄西禅師の文章と、義浄三蔵の文章を引きつつ、「冬安居」について論じている。今回の論点は、『梵網経』を受けたものだと思われる。既に論じたように、『梵網経』では夏安居と冬安居について、微妙な違いを付けている。
それは、「第三十七軽戒」の記述で「常に二時に頭陀し、冬夏に坐禅し、結夏安居して」とあることに見える。つまり、冬と夏とは遊行せずに「坐禅」すべきだが、特に「結夏安居」と、夏安居を示しているのである。それがあってか、栄西禅師『興禅護国論』について、面山禅師は「第八禅宗支目門」の一節を引いているが、これを見ていくと、夏は「結夏」「解夏」となっているが、冬は「受歳」「解歳」となっている。
問題はこの「受歳」の意味で、おそらく一般的な漢訳の仏典だと、夏安居終了時の「自恣」を指していると思われる。それで、無著道忠禅師『禅林象器箋』巻19「自恣日」項では、『新受歳経』を引いた『法苑珠林』巻47から世尊の偈頌を紹介している。
受歳し三業(※蔵の場合もあるが、業が正しいか)の、身口意の作す所を浄む。
両両の比丘対して、自ら作す所の短を陳ぶれば、
還た自ら名字を称し、今日の衆受歳す、
我れ亦た意受を浄む、唯だ願くは其の過を原ねんことを。
どうやらこの場合の「受歳」とは、「自恣」を意味している。そうなると、やはり栄西禅師の「十月十五日受歳」の意味が不明となる。一方で、義浄三蔵の『南海寄帰伝』巻2「十五随意成規」では、「夏罷歳終」について、「随意」或いは「自恣」などと訳されてきたというが、ここで面山禅師は「夏罷」が『興禅護国論』の「解夏」に当たるため、「歳終」は「冬安居」を示しているはずだという指摘なのだが、義浄三蔵はそういうことを記していない。単純に、「夏罷」や「歳終」を、「随意」や「自恣」と訳してきたと述べているだけなので、夏冬安居に対応しないのである。
次回はいよいよ、拙僧自身の問題意識としてある、道元禅師の『正法眼蔵』「安居」巻に見える「冬安居批判」の一節について、面山禅師の解釈が見られるので、それを学んでみたい。
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