上堂。
今朝九月初一なり。板を打して普請坐禅す。
第一に切に瞎睡を忌み、直下に猛烈なることを先と為し、忽然として漆桶を爆破し、豁きこと雲散する秋天なるが如し。
『如浄和尚語録』巻上
このように、中国南宋代の禅僧・天童如浄禅師(1162~1227)は、九月一日から木版を打って、しっかりと坐禅が始まる合図を示すことで、「普請坐禅」するという。更には、少し後の時代だが、以下の教えも見える。
今朝九月一、板を打して坐禅す。首座、之れを表率すると謂う。
『雪巌和尚語録』巻2
これは、中国臨済宗の雪巌祖欽禅師(1216~1287)という人の普説の一節だが、こちらでもやはり、9月1日から板を打ち、坐禅することと、首座が大衆を領じることを示している。
よって、まずは、これらの教えを受けつつ、後は中国禅宗の清規を見ることで、軌範としてどのように定められていたのかを探っておきたい。
九月分、初一日、版を鳴らして坐禅す。凡そ坐参、念誦、巡堂、叢林の行ずる所の事、並びに宜しく振挙すべし。
『叢林校定清規総要』巻下「十九月分須知」(1274年成立)
さて、時代的には先ほどの雪巌禅師に重なるのだが、軌範上でも、「板を鳴らして普請坐禅」という流れは確立されていたことが分かる。なお、上記の清規よりも前にも、12世紀初めに成立した『禅苑清規』などに代表されるように、数本の清規はあるのだが、いわゆる「年分行持」がまだ確立されていないため、九月の初めに何を行うかといった軌範が無いのである。
転じて、この九月初めから普請坐禅を再開する方法は、中国の清規で更に採用されていった。
九月旦、諸方大相看して、掛搭す。板を打して坐禅す。被位に排整す。
『禅林備用清規』巻10「潔 月分標題」(1311年成立)
こちらも同じである。なお、冬安居(旧暦では、10月15日~1月15日)の受け入れのための期間に合致していたため、その掛搭志願者受け入れへの指示についても書いてある。
九月 初一日、首座復た坐禅板を鳴らす。
『勅修百丈清規』巻7「月分須知」(1338年成立)
更に、中国で最も整備された清規という評価もある『勅修百丈清規』でも、この方法は受け入れられた。そうなると、先に挙げたような「九月一日の説法」が、もっと多くに見られても良さそうなものだが、意外とそうでもない。理由は現段階で検討しきれていないが、坐禅修行に対する比重の低下なども挙げることが出来るだろうか。或いは、清規で決まっているので、敢えて説法をする必要性が無かった可能性などもあるのだろうか。
この辺は、今後も検討を続けながら、注目していきたい。
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