それは、自ら会得してもいないのに、自分の師の言葉をネット上で開陳することである。別に、特定の宗派などに限定された話ではないが、真剣に学ぼうとする方であればあるほど、そのような傾向にある気がする。まぁ、全てが悪いというつもりはないが、しかし、その自分の言葉によって自分だけではなく師まで一緒に観られているという自覚に乏しいような気がする。
これは、例えば師の言葉だけを引いて、そして自分の見解を載せなければ良い、というようなものではない。むしろ、それはそれで、結局のところ弟子に理解させようとしない師の問題点が浮き彫りにさせる。拙僧的に、極論してしまえば、師の言葉を載せたりするモノじゃない、と言いたいところである。もしどうしても載せたいのであれば、それを自分がどう理解したかという見解を合わせておくことで、自分の責任に帰して行いなさいということか。自分の責任でないのならば、結局のところ、師の言葉に対して、反論があった場合、弟子の身勝手な行為で師が迷惑を被ることになる。それは、如何なものかと思う。むしろ、師の言葉を人生に活かしてみたらどうなるだろうかということを書くのが良く、そこで初めて自分の問題になるし、自分の問題なので、正しいとか間違いとかいう考え方とも無縁になる。
ということで、早速本題に入っていきたいが、江戸初期に活躍した鈴木正三道人が、まさに以上のような問題点について或る人と語り合っている場面が残されているので、以下に紹介していきたい。
○三十一、一日江州衆来り、国本にては何れも本秀和尚の教へを承ると云ふ。
師、聞て曰く、一段の事也。此和尚は人を損ふ事有るべからず、今時道者と云ふ人、先づ我能き者に成りて打ち上り、人を印可して其侭人を悪くする也。然るに此和尚は先づ我足らずに居らるヽ間、何として人を許されんや。
師亦曰く、其辺にては若き衆、法を聞き伎量過ぐると云ふ沙汰なしや。我少しあぶなく思ふ也。
彼人、沙汰無しと云ふ。
師、亦曰、某地の何某は此前、死苦に責られける間、今に頼敷思ふが、弥修行募りて見ゆるや。
彼人、今程沙汰もなしと云ふ。
師曰、一旦死の来る事有りろも油断し、娑婆すきに成りたらば、跡もなくなるべし。少々死の来る様也共、ひしと死機に成る事は、功を積まずんば有るべからず。我も六十余りにして慥に是れを知ると也。
『驢鞍橋』上-31
予め申し上げておくが、『驢鞍橋』は余計な指示語などが省略されていることが多く、把握するのが大変に難しい。したがって、以下の解釈も合っているのかどうか不安はあるが、とにかく意味を取ってみた。そこで、特に今回の記事のタイトルに即した問題を扱っているのは前半部分になる。
前半部分では、江州(近江、現在の滋賀県)から来た修行僧達と話をしながら、現地の僧侶の間で話題になっている「本秀和尚」についての話になった。この人は、正三道人の高弟で、三栄本秀和尚という人のことである。
その本秀和尚について、正三道人は「良い指導者だ」と褒めたのである。その理由として、他の指導者は、とにかく自分が大事であって、そのため、自分の権威に従う者を良い弟子であるとして認める傾向にあると指摘している。これでは、あくまでも「権威」が重要なのであって、弟子達もまさに権威好きなどうしようもない者ばかりが育つことになり、師もまた、自分の権威を守るために弟子に媚びへつらうようになる。
しかし、本秀和尚は自分が大事ということがないため、自分の都合ではなくて、仏法の都合によって弟子を認めるかどうかを判断するしていたという。最近でも、師に対してとにかく「優しい言葉」をかけてくれることを期待している人が見えるが、これは師の弟子指導法について、弟子の側から弟子の都合で制限をかけている。一番師が指導したいのは、このような「弟子の都合」が本来的に学びに繋がらないことを「仏法に照らし合わせて教えること」である。
したがって、拙僧つらつら鑑みるに、弟子がどれだけ自由闊達に生きているのか、それをもって師が優れているかどうかを判断する基準にはなる。先に正三道人が指摘しているように、弟子が本秀和尚に仏法を聞いていること、それそのものを鼻にかけて他人に自慢気に話すようなこともまた、自由闊達さを奪う最大の慢心である。
よって、最後の最後まで、仏法を会得できるまで、「自分の師匠が誰だ」とか「このような教えを言っていた」というようなことは、話さない方が良い。それそのものが余人には、奇妙な教条主義的・権威主義的思考に見えるからである。更に、弟子が師を貶めることになってしまう。いま現在、何か理由をもって仏法を学んでいるという方は注意すべきである。
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