つらつら日暮らし

「還吾安居来」の話

「還吾安居来」は、当方が用いてしまった個人的表現だが、典拠としたのは次の御垂示である。

・万里無寸草なり、還吾九十日飯銭来なり。
・もし児孫と称するともがら、坐夏九旬を、無言説なり、といはば、還吾九旬坐夏来、といふべし。
    ともに『正法眼蔵』「安居」巻


このように、道元禅師が「還吾」云々という表現が以前から気になっていたのだが、色々と調べていたところ、どうも典拠らしき表現を見出したので、紹介しつつ検討したい。

還吾平生粥飯来(還た吾れ平生に粥飯し来たる)
    『霊竺浄慈自得禅師録』巻4「示衆」


漢語仏典を見ていくと、もちろん、「還吾」という表現は頻出するのだが、道元禅師のように用いている事例としては、以上の一節を見ていくべきだといえる。この語録とは、中国曹洞宗の自得慧暉禅師(宏智正覚禅師の資、1090~1159)のものである。よって、道元禅師に先行すると考えて良い。

自得禅師が仰っているのは、いわれているのは、「はた、吾も普段から粥飯を食べ来たった」という意味である。そして、おそらく道元禅師はこの一節を踏まえて、先のような「安居」巻の説示をされたと見るべきである。

さて、そうなると、「はた、吾れ」という字句の意味や射程が気になる。すると、道元禅師の直弟子達が、以下のように註釈していた。

又還吾九十日とは仏性の草子に、還我仏性来と云ひし詞に同じき也。今の安居の外に物なき所が、還吾九十日とは云はるる也。飯銭来と云詞は、九旬は別にて、行人此外にあるに似たり、但今の我と九旬と、飯と銭と、取はなたれぬ所の道理が、還吾九十日飯銭来と云はるる也。
    『正法眼蔵抄』「安居」篇


なるほど、「吾」の取り扱いが難しいことを示している。以上で指摘されている「仏性」巻の一節は、以下の通りである。

いはゆる仏性をしらんとおもはば、しるべし、時節因縁これなり。時節若至といふは、すでに時節いたれり、なにの疑著すべきところかあらんとなり。疑著時節さもあらばあれ、還我仏性来なり。
    「仏性」巻


そこで、ここでは仏性を知ることを、時節因縁だとしつつ、その時節について、疑い(疑著)を持ったとしても、その疑い自体が、「還我仏性来」なのである。そうなると、自己自身を巻き込んだ形で、現成している仏性そのものを、「還我」と表現していることが分かる。これと同じように、安居についても、その中で修行する自己自身が外れることなく、安居しきっている様子を「還吾」を用いて、「九十日飯銭来」と言ってみたり、「九旬坐夏来」と表現するのである。

さて、この場合の「自己」とは、ただの自我という意味では無い。その自我も含みつつ、この仏法全体と良く円通しきたる自己なのである。道元禅師が用いられる自己や我(吾・われ)の表現は、「仏法全体としての自己」である場合がほとんどである。よって、勘違いしてはならないのである。

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