梁武殿中敗闕を容る、少林山上懡攞を得る、
看んと要す我が祖慚顔の色、欄外の残秋紅葉多し。
風外本高禅師「少林忌」、『風外和尚語録(仮題)』写本、翻刻・訓読は拙僧
こちらは、拙僧の手元にある風外本高禅師(1779~1847)の語録写本から引用したが、従来の研究との関係についてはまだ抑えていない。機会を得て、学んでみたいのだが、とりあえず上記内容を簡単に読み解いてみたい。
梁武とは梁の武帝のことで、その王宮殿中でいわゆる「廓然無聖話」などの問答を行ったことを指す。しかも、その問答は敗闕を容れるとあるので、敢えて負けてみせたと評したか。そして、その後は北魏の嵩山少林寺に行ったが、懡攞(恥じ入ること)を得るばかりであった。よって、その恥じる顔の色を看てみれば、建物の外から残秋の紅葉の色が差しているだけだ、ということである(赤い顔の理由は、紅葉の色)。
なお、梁の武帝との問答で、敗闕を扱うのは傅大士だと思うが、ここでは達磨尊者だとしている。そして、尊者が恥じ入ったことを中心に法語は続くのだが、これは何を意味しているのだろうか?中国で、以下の問答がある。
僧問う、少林の面壁、意旨如何。
師曰わく、慚惶殺人。
『建中靖国続灯録』巻25「廬州延昌寺凞詠禅師」
・・・いや、流石にこれを読んで言ったわけではあるまい。どうやら、拙僧には風外禅師が示される「達磨尊者の慚愧」については、理解出来ずに終わりそうだ。まぁ、推測を許せば、結局機根の契うはずもない武帝相手に、余計なことを発言してしまったことへの恥じ入りということだろうか。風外禅師は『碧巌録』などの学びを丁寧にされているので、その辺をちゃんと読めば良いのかもしれない。
ということで、風外禅師の法語を通してではあるが、今日は達磨大師を顕彰してみた。南無震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚。
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