つらつら日暮らし

巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』参究④(令和6年度臘八摂心短期連載記事4)

いわゆる臘八摂心である。普段は余り坐禅しないような方でも、この8日間は坐禅を行っていただきたいものである。臘八摂心の成立経緯などについては、【摂心―つらつら日暮らしWiki】をご参照願いたい。

そこで、拙僧つらつら鑑みるに、以前の臘八摂心で、道元禅師の『普勧坐禅儀』(流布本)について、様々な解説を行ったのだが、その際には参照出来なかった、巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』について、嘉永7年(1845)の写本を入手したので、参究することとした。なお、引用に際しては、カナをかなにするなど見易く改め、誤字なども適宜修正した。

況乎 ましてや、況は益也、乎は助語也、宏智曰、虚空説法し頑石聴く、何ぞ労仏祖費工夫、是出処なり、又杜詩にも虚空不離禅と有るじや、
全体逈出塵埃兮孰信払拭之手段 全身五体凡て仏じや、其侭の清浄法身じや、故元より一点の庄り垢付ず、誰でも彼でも皆悉く玉の全体払拭と払ひ拭ひの掃除は更に入らぬと向上の箒を以て葛藤のごみ庄にけがされてうろゝゝする悟り病の臭味を一洗せられたは格別の親切ぢや、
大都不離当処兮豈用修行之脚頭者乎 大都は俗に云大ぐゝりと云ことをゝぐゝりでと云はそつくり其侭此を不離、常に湛然じや、外に求むべき物はない、豈なにしに往来して遠方を尋るに及ぬ、何して行脚修行の足本を労することを用んや、無用のものでないかと、仏祖向上の妙用自在を示したは、永平の皮肉骨髄じや、此老婆心の密語を解毒の丸呑にせぬ羊に高く着眼処が知れたら少は報恩の場もあらん、左もなくては粉骨砕身は不足酬じや故に、
次の文に然而と起承の辞なり、そうはそうなれどもと云義なり、
    3丁裏~4丁表


ここ数回の記事で、巨海禅師の註釈が、面山瑞方禅師『普勧坐禅儀聞解』の影響を強く受けていることは示した。なお、今回の「況乎」は『聞解』である。また、「宏智曰」以下は何故かここに入っているが、本来は前回の記載に続く文章である。

「全体」以下は巨海禅師の見解である。「全身五体凡て仏じや、其侭の清浄法身じや」とある通り、本来本法性・天然自性身だったという話を受けているが、問題はそういった発想に、如何に「修行」を関連させて、「修証一等」へと展開していくかだが、ここではむしろ、掃除(修行)を否定しつつ、一方では悟りばかりを目指す「悟り病の臭味」を一洗したと評している。

それから、「大都」以下だが、「おおぐくり」の話は『聞解』から引いているが、「豈なにしに往来して」以下は巨海禅師の見解である。つまり、行脚を外に悟りを求める様だとし、その上で、仏祖向上の妙用自在を示したのである。これは、本文には書いていないが、『正法眼蔵』「遍参」巻などを読めば、自ずと把握出来よう。

それから、「此老婆心の密語を解毒の丸呑にせぬ羊」という表現も独特ではある。つまり、老婆親切として示された教え(修証観)を、勘違いしてただの修行否定にならないように示されたものといえる。それほどに、この箇所は理解が難しいのである。とはいえ、言葉遊びとして修行しているのでなければ、自ずと坐禅されるわけであるし、その上での把握だとすれば、特に問題は無い。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ
#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「坐禅・只管打坐」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事