つらつら日暮らし

本日は断臂摂心(令和6年度版)

以前から、毎年この日の前後に「断臂摂心」に関する記事を書いてきた。それは、中国禅宗二祖、太祖慧可大師を顕彰する意味合いがあってのことだが、12月9日に書くと「今夜は摂心である」という話になるし、翌10日に書くと断臂上堂(慧可大師の勝躅を顕彰する説法)になる。毎日摂心に関連した記事を書き、昨日は昨日で成道会に関する記事を書き、お腹いっぱいの状況で、更に断臂摂心の話だから、大変かもしれないが、所詮、このブログの記事などは、「画餅不充飢」の「画餅」である。

今日は、以下の一節を学びたい。

 第三十四「発菩提心
  神光の雪に立つ甚の心行ぞ。断臂し師に献ず作麼生。
  無心の道を体得するに心無し。雲自から白く水自から清し。
    永平義雲禅師正法眼蔵品目頌


『正法眼蔵品目頌』とは、60巻本『正法眼蔵』に対して、永平寺5世の義雲禅師(1253~1333)が、その内容を端的に示す著語と、頌古を付した著作である。義雲禅師の語録に収録されているが、その中から「発菩提心」巻に関する頌古を引いた。なお、60巻本『正法眼蔵』には、75巻本と12巻本で、それぞれ「発菩提心」巻と呼ばれる巻が両方入っているため、便宜上、75巻本系統を「発無上心」と呼んでいる。

今回紹介するこの義雲禅師の「発菩提心」は、いわゆる12巻本系統の「発菩提心」巻ということになる。「自未得度先度他」を初めとする「初発心」について詳述される同巻について、義雲禅師は「慧可断臂話」を元に頌古されている。内容を詳しく見ていけば、神光というのは、慧可大師の名前である。神光慧可というようにも伝えられる。『正法眼蔵随聞記』には、懐奘禅師の秉払の話が出るが、その時にも、慧可大師は「神光」と呼ばれている(「その年の窮臘に神光来参しき」)。

さて、義雲禅師は、慧可大師が雪の中に立っていることは、どんな「我が侭な話か」と指摘される。「心行」とは、「心のままに行う」ことで、決して良い意味で考えてはいない時に使われる語である。しかし、慧可大師が自らの臂を断ち、それを師=達磨尊者に献じたのは、「作麼生」であるとされた。「作麼生」とは、「どういうことか?」という問いであると同時に、「作麼生」という言詮不及の行だと鑽仰する意図もある。元々は、極めて利己的な動機でもって、ただ自分が救われたくて達磨大師の教えを求める。しかし、その魂胆を達磨大師に見抜かれ、利己からまず「己」を消した。「己」を消せば、残るのは「利行」ということになる。

そして、己を消すという思いを具体的に示した断臂という一種の捨身行は、「無心の道」とされた。「無心の道」とは、何も思わずに修行するという意味ではなく、執着を捨てて修行することである。そして、何故執着を離れるかといえば、必ず「法を重んじる」という教えが入るためである。法を重んじるために、自己の身心に対する執着を離れる。良く、後者は「不惜身命」という『妙法蓮華経』の言葉を使って、強調されがちだが、それだけでは足りない。法を重んじるという前者、己の身命を惜しまないという後者、どちらか一方に偏ることは出来ない。

だからこそ、道元禅師も『正法眼蔵』「行持(上)」巻にて紹介される通り、慧可大師の捨身行に対して達磨大師は、「諸仏、道を求むる最初、法の為に形を忘ず」といわれたわけである。「為法亡形」という無心の行の体得があるからこそ、義雲禅師は初めて雲水は各々白くて清いとされますが、これは修行僧が清らかだということだ。

それにしても、義雲禅師の頌古、「発心」しているはずなのに「無心の行」と説くとは、如何なることか?実際のところ「自未得度先度他」や、「一者質多心・二者汗栗多心・三者矣栗多心」という心三種について注目されることが多い同巻だが、その真意は「不退転の発心」にある。よって、断臂を「不退転の発心」として見ることになることが理解される。

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