今日、紹介するのは『見聞随身鈔』という文献である。作者については、当方の手元にある版本で、巻上の冒頭に「法相宗融巻作」とあるが、これは後に所持者が書き込んだもので、巻下の末尾には「比丘融泰」とある。後者が正しいのだろうが、前者の「法相宗」という情報にも関心がある。そういえば、当方の手元にあるのは、刊記などは無いものの、江戸時代の初期から中期にかけて印刷されたと思う三巻本を、1冊に合冊したものである。そこで、書誌情報の確認をしておきたい。いつものように「日本古典籍総合目録データベース」を使ってみたが、以下の通りである。
巻冊・三冊
著者・融泰
国書所在【版】<慶安三版>東博,大正,青森(巻中・下、二冊),神宮(一冊),無窮平沼,旧彰考,[補遺]竜谷,日比谷井上
よって、どうも「慶安三年版」しか報告されておらず、当方の手元の版本も、紙質などからは慶安年間といっても問題無いと判断したい。なお、慶安3年とは、1650年で徳川3代将軍家光公の晩年に当たる。
ということで、『見聞随身鈔』であるが、上中下の三巻本でそれぞれに14・13・38項目が見られる。そして、今回問題にしている「彼岸」については、巻上の冒頭に「第一彼岸本説之事」があって、そちらを参照しておきたい。なお、本書は漢文であるが、訓点が附されているので、その指示に従って読んでいきたい。
第一彼岸本説之事
善住陀羅尼経に云く、帝釈天王の住処に樹有り、善住陀羅樹と名く、其の木、花菓倶に衆生の善悪を顕し、復た衆生の寿の長短を顕す。其の木の北方に、善法堂有り、此れ帝釈天王の住処なり。此の天王、毎月六斎日に天従り下て衆生の善悪を記せり。月の八日には使者を下し、十四日には太子を下し、十五日には自ら下る。
龍樹菩薩天正験記に云く、欲界六天の中央夜摩天と兜率天との中に、大城有り、名て中陽院と曰う。中に高楼閣有り、雲処台と号す、此の院内に年の二八月七个月の間、色界の頂摩醯首羅天尊を上首と為す。八神并に大梵天王・大歳神乃至玉女・道祖等の人中・天上の冥官・冥衆集会して、一切の善悪を注す。天尊、教勅を降し、八神三巻の勘帳を持して、三複八挍して天尊に献る。天尊覧了て、善帳を証んが為に宝印を指し、悪帳を証んが為に縛印を指し、処中の善を証んが為に非宝非縛の印を指す。彼の八神とは、帝釈と閻王と天大将軍と天一と行役と司命と司禄と倶生神なり。
問、彼の天尊、何の由へ有て、二八月を以て天の正勅を降して、天地の神を召すや。
答、阿迦尼吒天の自在尊、所居の宮殿の前、高樹有り、天生樹と名く。形、須呂の如し。
春は華を開き七月有て、七葉七色なり。青黄赤白黒紫翠有り。
秋は菓を結で七月有て、七菓七色、上の如し。
開華を見ては中陽院に移り、落華を見ては本宮に還る。定め知ぬ、法爾の道理の然らしむる所なり。
仏説彼岸功徳成就経に云く、疾く仏道を成せば、汝等当に知るべし、二八月七日昼夜同時に在て、一切諸仏、三世の世尊及び無数万億の菩薩、法を説て衆生に於て楽を与う。
速出生死到彼岸経に云く、若し学を求んと欲せば、諸歳の中に二八月の節、彼岸に入る時に於て、塵穢を沐浴して、清浄心を以て斎戒の法を持すること、七月七夜せば、仏の道法に於て決定して、疑い無し。当に阿耨多羅三藐三菩提を得るべし。
智論に云く、彼岸一月の善は余の百月の善に勝たり。
時極間経文句に云く、三複八挍して、年に二び大美せよ。三複とは、八神各の調帳の記文を落し忘れざらしむるが為に、毎月三度、私に之を復するなり。八挍とは、八神各の天覧を経る時に彼の違失を恐るが為に、毎月六斎日に之を読み合すなり。前の五日は閻魔の庭に於て之を読挍し、晦日には帝釈の床の前に於て之を談挍す。之を大美と云う。
春献帳には八月已後の百八十个の月一切の事を注し、秋の献帳には二月已後百八十个月の一切事を記す。
彼の三巻調帳とは、衆生の造業に付て善悪処中の三種有る故に、八神の記文にも、三巻の差別有るなり。
二八月の七月を神道には、天正と名く。天竺には時正と号し、大唐には彼岸と云う、云云。
昼夜同時なれば、止観均等なり。人中天上同く善根を修するの月、小善大果の会月なり。譬ば、弓箭相応する時、功を成するが如し。定の弓、恵の矢、云云。
彼岸というは、生死の此岸を渡て、涅槃の彼岸に到る故に彼岸と云う、云云。
『見聞随身鈔』巻上・1丁表~3丁表、漢字は現在通用のものに改める
さて、『見聞随身鈔』の一節であるが、「彼岸本説」としているので、本書に於ける彼岸会として正しい教えを探っていることになるのだが、見ていくと、彼岸会期間中に於ける「善行」を重んじているようだ。そのため、幾つかの文献を引用している。
まず、『善住陀羅尼経』を引用しているけれども、この文献は何処に出ているのだろうか?これが良く分からない。なお、上記引用文は「善住陀羅樹」で間違いないのだが、他の仏典などを見ると、「善住婆羅樹」が正しいと思う。その通り、この経典の典拠は、よく分からない。おそらくは、彼岸会に因む偽経の1つなのだろう。
それから、龍樹菩薩『天正験記』については、明らかに彼岸会向けの文献で、作られたものである。いわゆる「中陽院」について説いたというので、参照されることも多い。しかし、もちろんこれも偽撰である。
更に、『仏説彼岸功徳成就経』『速出生死到彼岸経』も日本で作られたと思われる彼岸会用の偽経である。
面白いのは、『智論』であるが、一般的に龍樹菩薩『大智度論』は『大論』『智論』と略されることが多い。しかし、ここで引用されている文章は、『大智度論』には無い。また、『時極間経文句』というのも、何かの経典に対する註釈書のようなイメージであるが、これも典拠不明。
つまり、上記に引用した文章は、ほとんど典拠不明であり、彼岸会に於ける善行を担保する文脈として作られた感が激しいのである。
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