先づ懺悔文、次に三帰依法、
次に自ら八戒を受く、
諸聖阿羅漢、乃至、命存は、
不殺生
不偸盗
不婬欲
不妄語
不飲酒
不作楽冠華塗香
不坐高床大床
不非時食、の如し、
我〈某甲〉始めて今日より乃至明旦まで、
不殺生
不偸盗
不婬欲
不妄語
不飲酒
不作楽冠華塗香
不坐高床大床
不非時食すること、亦た是の如し、
此れ即ち是れ我が八支学処、是れ諸聖阿羅漢の学する処、我れ当に随学し、随作・随持すべし〈三反〉。
『自誓受八斎戒法〈於三宝前香灯供養〉』、釈雲照律師『四威儀小作法』「附録」(真言宗法務出張所蔵版・明治14年)
『自誓受八斎戒法』とある通りで、三宝の前に香灯などを供養して、その上で唱えるものである。そもそも「八斎戒」というのは、在家信者が毎月の数回、寺院に入りながら、出家者の生活に準えて暮らすことをいう。その場合は、比丘から授けてもらうものである。ただし、こちらは「自誓受」とあるため、おそらくは自宅などで行うものを指しているのだろう。
なお、作法の内容としては、先に懺悔文を唱え、そして三帰依を行っている。雲照律師『四威儀小作法』では、「三帰依」と言いつつも、仏法僧の三宝に加えて観音菩薩を入れる場合もあるので、それも用いたのだろうか?
さておき、三帰依に続いて、八戒を受けるというが、その受け方はまず、八戒について諸聖たる阿羅漢が命ある限り護持すると讃歎しつつ、それを自らも今日から明日の日の出まで護持すると誓うのである。ここで問題になるのは、自己の誓いを通して、諸聖たる阿羅漢に等しくありたいと願うことである。
なお、この「諸聖阿羅漢乃至命存」という表現は、根本説一切有部系の律で見られる表現のようで、真言宗で用いた声聞戒の書式に基づいた唱え方になるのだろう。
そして、これは、いたずらに末法と諦めるのではなく、正法の護持を願い、自らの生活を律して八斎戒を護持するという願いへと昇華されるのである。明治時代になり、人々が改めて持戒の生活を送るべきだと考えた、雲照律師の教示ということになるのだろう。
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