二戒
毘尼母に云く、戒に二種有り。
一つには出世間戒、二つには世間戒なり。
此の世間戒、能く出世戒の為に因と作るが故に、最勝と云う。
又た云わく、
一つには依身口戒なり。
二つには依心戒なり。
依身口戒に因りて、依心戒を得るが故に。
『釈氏要覧』、訓読は拙僧
ここでいう「二戒」というのは、ただの「二つの戒」の意味である。それで、典拠は『毘尼母経』であることを示しているが、具体的には巻3であり、以下の一節となっている。
云何が波羅提木叉と名づくるや。波羅提木叉とは、最勝義と名づく。何の義を以ての故に、名づけて最勝と為すや。
諸善の本、戒を以て根と為す。衆善して生を得る、故に勝義と言う。
復た次に戒に二種有り。
一つには出世、二つには世間なり。
此の世間とは、能く出世の与に因と作る、故に最勝と言う。
復た次に戒に二種有り、
一つには依身口、二つには依心なり。
依身口戒に由りて、依心戒を得る。故に名づけて首と為す。
是の波羅提木叉、布薩犍度中、当に広く説くべし。
『毘尼母経』巻3、訓読は拙僧
一目見れば、この典拠を元に、文章表現などを要約しつつ、『釈氏要覧』に収録されていることを理解出来よう。それで、意味するところといえば、『毘尼母経』を元に考えてみると、戒本を意味する波羅提木叉について、これを「最勝義」としている。何故そう理解出来るかというと、戒こそが諸々の善行の本であり、それを根として、仏道者としての人生に繋がるからである。
その上で、戒律には2種類あると示しており、まずは「出世戒(『釈氏要覧』なら「出世間戒」)」と「世間戒」である。この内、世間戒というのは、在家戒に相当すると思うのだが、それが出世(出家)に到る原因となるため、最勝という。確かに、在家五戒は、後に出家時に受ける沙弥十戒などに展開していくことだろうか。
更に、依身口戒と依心戒についても、「二つの戒」としている。この両者の関係については、まず依身口戒を護持していると、その結果として、「依心戒」に到るという。つまり、我々自身の心については、身口を元に調えることになるのだろう。「心」を調えるというのは、それくらい難しい印象がある。
ただし、後者に於ける「二つの戒」については、他の典拠が乏しい印象があるので、これ以上話を広げられないのが、ちょっと残念である。
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