曹渓六祖、優婆塞身を以て法性寺に寓せし時、印宗法師、為に其の髪を薙ぐ。寺主智光律師をして、比丘具足戒を授けしむ。祖、是れ多生の善知識、一切の戒法、自然に具足す。然るに印宗、告げる所に応じて化門の式成る。今時の一般の具足類に非ず。
卍山道白禅師『対客閑話』、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・5頁下段、訓読は拙僧
江戸時代の学僧・卍山道白禅師の説示であるが、ここからは、卍山禅師の修証観なども伺うことが出来よう。まず、上記内容が何を意味しているかといえば、六祖は優婆塞=男性の在家信者の立場でもって、法性寺に入っていたが、時の印宗法師が、その境涯の高さに驚き、まずは髪を剃り、その後、智光律師に命じて、六祖に比丘具足戒を授けさせたのである。この時の戒については、後述するように議論の原因となった。
ところで、この出来事について、例えば以下の記述などによっても知られる。
衣法を伝えて後、懐集四会の間に隠れしむ。儀鳳元年丙子正月八日に至り、南海に屆り、印宗法師の法性寺にて涅槃経を講ずるに遇う。〈中略・風動幡動の問答〉正月十五日に至り、諸名徳の会して、この為に剃髪す。二月八日、法性寺の智光律師に就いて満分戒を受く。其の戒壇、即ち宋朝・求那跋陀三蔵の置く所なり。
『景徳伝灯録』巻5・慧能大師章
本来なら、古系統の『六祖壇経』を参照したいところだったが、手元に無かったので、『景徳伝灯録』を参照しておいた。なお、『祖堂集』巻2にも六祖伝が収録されるが、上記内容はほぼ同一であることを確認している。
よって、これらを直接か、或いは他の伝記資料などを読んで卍山禅師が先の見解を仰ったことは確実なのだが、実は卍山禅師の指摘については、幾つかの疑問点もある。まず、「比丘具足戒」という表現である。これについては基本、声聞戒の二百五十戒を意味すると思うのだが、『景徳伝灯録』などを見てみると、「満分戒を受く」とあって、少し表現が違っているのである。この辺については既に、拙ブログでは【中国禅宗六祖慧能の受戒をめぐる曹洞宗内での議論について】で採り上げたことなので、そちらをご覧いただきたいのだが、冒頭に引用した石雲融仙『叢林薬樹』の議論は、卍山禅師の指摘を批判されたものである。
それから、後半の部分についても、或る意味で卍山禅師による独自の六祖伝ともいえる。それは、六祖は既に多生(多くの生まれ変わりを経た)の善知識(優れた指導者)であるから、一切の戒法が自然と具足されているという。確かに、菩薩戒の意義からすれば、既に前生で受けていれば、今生もまだその効果は発揮されるはずである。そして、六祖を剃髪した印宗は、六祖の告げるところに従って、化門の式(仮の式)が成立させた、というのである。
つまり、本来的に具わっている戒法ではあるが、それを敢えて授けるという儀式(化門の式)を行うことで、確実なものとした、という解釈が出来ようか。この辺は、卍山禅師自身が考えている修証観や、面授嗣法観とも共通した内容であったといえよう。
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