忠曰く、諸方の名徳の座下に依随住止して、仰いで受学参禅の師と為す者、是を依止師と名づく〈又は、受業師の処を見よ〉。
五分律に云く、仏言く、五種の阿闍梨有り。
始めて沙弥戒を度受す、是れを出家阿闍梨と名づく。
具足戒を授くるの時、威儀法を教う。是れを教授阿闍梨と名づく。
具足戒を授くるの時、為も羯磨を作す。是れを羯磨阿闍梨と名づく。
就いて経を授け乃至、一日誦す。是れを授経阿闍梨と名づく。
乃至、依止して一宿を住す、是れを依止阿闍梨と名づく。
「依止師」項、無著道忠禅師『禅林象器箋』巻6「第六類・称呼門」
以上である。つまり各地にいる優れた師に参随して、受学参禅の師となってもらった者を、「依止師」と名づけている。一方で、「律(ここでは『五分律』を引用しているが、他の律にも同様の見解が見える)」では、「依止阿闍梨」とし、依止して一晩泊めてもらうときの師匠を「依止阿闍梨」としている。
そうなると、「依止師(依止阿闍梨)」とは、恒久的な師弟関係では無いということになるのだろうか?
若し依止師無くんば、応に輒く余処の人間に向かって遊行することを得ざれ。若し五夏に満ち、五法を明解す、犯と非犯とを識り、重を知り、軽を知り、別解脱経の善く通塞を知れば、本師及び依止師を離れて遊方し習業することを得る。
『根本薩婆多部律摂』巻13「与減年者受近円学処第七十二」
以上の通りで、依止師というのは、普段から一緒にいて、様々な教えを乞うべき師匠であったらしい。もしかすると、これと先に挙げた「依止阿闍梨」とは違うのかもしれない。『禅林象器箋』で引いた『五分律』でいうところの「依止阿闍梨」とは、普段は別の師匠の元で学びながら、そこを離れるときに、一緒に居てくれる一時的な師匠という位置付けのような印象を得るためである。とはいえ、『根本薩婆多部律摂』でも、同じような理解が可能か。
つまり、ここから分かるのは、正規の比丘になってから5年を経ていない者は、1人で遊行することなどが出来ず、常に誰かの元で指導を受ける状況にあったということになる。それほどに、組織的な教育が可能だったのが、かつての(或いは、現状の東南アジアもか?)僧伽だったともいえよう。
そして、『根本薩婆多部律摂』で示す通りで、比丘となってから5年以上を経て、「五法:戒律の犯と非犯を知る、戒律の重きを知る、軽きを知る、別解脱経(戒経)に於ける通塞(何を認め、何を留めるか)を知れば、自ら1人で行脚をしても良いということになる。つまりは、比丘として誤らない生活をするためには、5年程度の教育が必要だと思われていて、それを課していた様子が分かるわけである。そうなると、依止師になるための条件も提示されることとなる。
時に六群比丘、十歳に満ちる。人の依止を受け已りて教誡せざるは、天牛・天羊の如し。乃至、著衣持鉢の法を知らず。
諸もろの比丘、是の因縁を以て、具さに世尊に白す。
仏言く、「今日より後、十法を成就すれば人の依止を受くるを聴す。何等をか十なるや。持戒して、乃至十歳に満ちれば是れを十事と名づけ、依止を受けることを得ん。下、十歳に満ちるに至り、二部の律を知れば亦た得ん」。
『摩訶僧儀律』巻28「明雑誦跋渠法之六」
またしても、六群比丘がやらかしたようだが、彼らが比丘となってから十年を経たので、いわゆる「和尚」となり、弟子を取ることが可能となった。そのため、依止を求められたので受け入れたが、六群比丘は何も教えることが無く、更に彼ら自身も御袈裟の正しい着け方や、鉢盂(食器)の正しい扱い方を知らなかったという。
そのため、他の比丘達がそのことを、詳しく世尊に報告したところ、世尊は「本日より、十法を成し遂げなかった者は、他人かの依止の依頼を受けることを認めない。何が十なのか?それは持戒しながら十年を経れば、依止を受けることを認めよう。具体的には、十年を経て、また二部の律を知れば良いとする」と仰って、ただ年数ばかりが十年を過ぎただけではダメで、しっかり持戒し、比丘としての生活法を会得した者でなくてはならないとしたのである。
これは、確かにその通りであるといえよう。戒律を守らないということは、比丘として相応しい生活法を知らないことを意味する。そのようなものが、更に他者に向かって指導することなど出来るはずがないのである。
ところで、色々と調べてみると、最初に引いた『禅林象器箋』の通り、「依止師」については『五分律』の表記が詳しいようである。それはまた、『五分律』自体の学びを経て記事にしたい。
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