つらつら日暮らし

曹洞宗における「戒名」と「法名」の話

以前から気になっていた曹洞宗に於ける「戒名」と「法名」の関係について、今回は明治時代の学僧・高田道見先生による見解を見ておきたい。

○曹洞宗に於て法名と云はずに戒名と云ふは此の菩薩戒を受けて仏弟子となりたるが故なり。或は生前に此の戒法を受るの因縁熟せず死後に至り曹洞宗に倚りて葬祭を営まんとするには、先づ其霊に対ひて此の戒法を授け戒名を与へて、未来成仏の因縁を為す故に、曹洞宗の檀信徒に取りては此の菩薩戒ほど大切なものはあらず。然れば設ひ戒師より戒法を授けらるゝの因縁熟せずと雖も、切ては平素この落草談を拝読し、自誓懺受して其檀信徒たるの名に背かざらんことを要するが為め、之を印行す。
    高田道見先生編『菩薩戒落草談』通俗仏教館・1899年、凡例2頁、漢字は現在通用のものに改めた


色々と確認しておきたいところがある。まず、本書は明治32年の刊行であり、高田先生御自身の生没年は1858~1923年となるから、江戸時代の末期のお生まれということになる。また、本書の原著は、寂室堅光禅師(1753~1830)の『菩薩戒童蒙談抄』であるが、実は両者の生没年は、結構近い。拙僧つらつら鑑みるに、高田先生は江戸時代末期の洞門の様子をよくご理解なさっていたと思うのだ。

よって、この「法名」と「戒名」の話についても、同様に理解されるべきであろうと思う。

そこで、まず高田先生は何故曹洞宗では「法名」といわずに「戒名」と呼ぶかについて触れられる。色々と見ていくと、曹洞宗では江戸時代初期から中期くらいまでは「戒名」とは呼ばずに「法名」と呼ぶ場合が多かった。なお、江戸時代に入るまでは「戒名」という表現そのものが無かったようである。つまり、高田先生が指摘されるような、菩薩戒を受けて仏弟子になったから「戒名」と呼ぶというような見解は、そんなに古くないということだ。

また、生前受戒ではなくて、死後の授戒及び戒名授与の件について、明確に「未来成仏の因縁を為す」としている。問題は、この「未来成仏」というのが、どの世界でどのようになされるかなのだが、多分、死後の世界について、それほど重大な議論はしていない印象であるから、詳細は不明というべきであろうか。確かに、当人が生前になした行いで決まると仮定すれば、全体の議論が出来ないのは当然だといえるけれども、この辺は果たしてそれで良いのかどうか・・・

それから、本書の重要性については、因縁が熟さずに戒師から受戒できない場合でも、本書を読み、自誓受戒(自誓懺受)すれば良いとしている。この辺もどうなのだろうか?本来、自誓受戒というのは、距離的な問題によって、戒師が自らの近隣に存在しない場合に行うべきものだとされていた。本書では、距離的な問題ではなくて、因縁の問題にしてしまっている。このような変更は、果たして妥当な見解だといえるのかどうか、「自誓受戒」についてもう少し慎重に見ていく必要があるといえよう。

なお、今後機会を見て、『菩薩戒落草談』を採り上げて、参究したいと思っている。本書は、寂室禅師の見解に対して、高田先生が「復演」という形で提唱・註釈を加えておられる。その差異を見ていけば、江戸時代から明治時代に移った時代に合わせて起きたであろう、宗門菩薩戒の展開を知ることが出来ると思われるためである。

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