・授戒会作法(5~7日)
・法脈会作法(3~4日)
・因脈会作法(1日)
それで、これが『昭和改訂』だと「授戒会作法」と「因脈会作法」しか、目次には載っていない。よって、「法脈会」というのは後で出来たのだと思っていたのだが、ちょっとした違和感を憶えていた。それは、『昭和修訂』に於ける説明文である。
・おおむね、授戒会と同じであるが、期間は三日ないし四日とする。ただし法脈会においては、戒師の完戒上堂及び戒弟の登壇は行わない(完戒上堂になぞらえて小参を行うこともある)。 「法脈会作法」の記事
・法脈会の作法を更に簡略にして、一日にてこれを修する。 「因脈会作法」の記事
???いや、『昭和改訂』だと、「授戒会」と「因脈会」しかないのに、この『昭和修訂』を見ると、「授戒会⇒法脈会⇒因脈会」ということらしいのだ。ここに不思議な感触を懐いた。だが、実際の「因脈会作法」のページを見て、この疑問は雲散霧消した。そこには「第二 因脈会(法脈会)作法」とあり、既に「法脈会」についての言及がされている。その上で、説明文を見るとこうなる。
概ね授戒会と同じ。唯、日時を短縮する。長さは四五日、短きは二三日或は一日とすることもある。又、月授戒と称して毎月一回(最後二日行ふ)修行することがある。因脈会には登壇並びに上堂は行はない。又、飯台を略して弁当持参とする。〈以下略〉
『昭和改訂』263頁、表現や漢字は適宜修正
現行の「法脈会」についてもちゃんと指摘されていた。なるほど、こういう表記であれば、「授戒会⇒法脈会⇒因脈会」という流れで見ていたとしても不思議は無い。それから、たまに拙僧自身も、「法脈会」の日程について、「4~5日」というイメージを持つことがあるが、それは元々そうだったからのようである。ただし、現状では「3~4日」になったため、間違わないようにしたい。
なお、「月授戒」というのも気にはなる。一部地域で行われているとも聞く。ただし、この作法は『昭和修訂』では見えなくなってしまった。実質的に廃止されたのであろう。
さて、拙僧が気になったのは、この「因脈会作法」について、もちろん、必要とされたから設置されたものだとは思うが、江戸時代の様子を見ると、儀式などをしないで『血脈』を授ける事例も数多く存在し、それに対する一定の批判もあった。その辺は以前、【或る『因脈』授与の現場】でも書いたので、それをご覧いただければ良いと思うのだが、『因脈』についてはどうだろう?三帰戒のみで授けても良いとあるのだが、『昭和改訂』を見ると、「迎聖・歎仏……」その他を授戒会に準じて行われ、「後に懺悔・教授戒文・正授戒文・因縁脈授与を行ふ」とある。
結局、現行は十六条戒になっているが、元々ただ結縁を貴んだのであれば、江戸時代の学僧の一部が指摘するように、三帰戒のみで良かった気がする。何故それが大がかりな作法になってしまったのだろうか?結果として、「因脈会」ですら面倒臭い話になる。やはり再度、結縁を行うのみだということを考え直す時期に来ている気がする。
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