凡そ家人、奴婢等、若し出家すること有て、後に還俗を犯さらむ、及び自ら還俗せば、並に追ひて旧主に帰し、各、本色に依れ。
其れ私度の人は、縦ひ経業有りとも、度の限に在らず。
『令義解』14丁表を参照しつつ当方で訓読、段落を付す
内容としては、大きく2つに分かれている。まず最初は、誰かに仕える立場の家人や、奴婢(奴隷身分の者)が出家することが許された後で、還俗するような罪を犯したり、或いは自ら還俗するようなことがあれば、本来の持ち主(仕えていた人)のところに戻し、本色(出家する前の身分)に戻すべきである、としている。
また、私度(公的な制度に依らず、勝手に出家を自称した者)は、喩え、経業(経論に通じていること)があったとしても、度(出家)を許すことは無い、としている。
さて、この条文を見ていて個人的に不思議なのは、奴婢の身分は出家することが出来たのだろうか?という素朴な問いなのだが、確かに仏教では伝統的に奴婢の出家を許しており、ただし、その際には持ち主となっていた人に対して、その許可を求めるべきだとされている。また、当然に出家者は、奴婢等を持っていてはならない。この辺、『令義解』では以下の通り指摘している。
其れ内教に依るに、奴婢は出家することを許さず。而るを、此に出家と称するは、其の道に入るに縁じて、賤を免れて度を与えたるが故に。
『令義解』14丁表
ここでいう「内教」が何を指しているのか分からないのだが、出家することが許されていないとしている。ただし、仏道に入ることによって、身分的に奴婢を脱していくとされている。
それから、私度への対応だが、以下の通りである。
謂く、其の初に法制を犯せることを責む故に、其の度を聴さず、若し改正しての後に、更に応に得度すべくは、禁ずる限りに在らざるなり。
同上
つまり、私度については、法制を犯しているので、出家することを許さないが、私度の立場から在家に戻る(改正)ことによって、その後に改めて得度を求める場合には、正式な出家を許すとしている。どうも、『令義解』の場合は、「経業」について指摘されていない。他の註釈だと、「知る所の経論なり」などとしているようで、その辺の解釈が適用されると、結局は先に挙げたような内容となる。『令義解』だけでは分からないことも多いようである。
【参考資料】
・井上・関・土田・青木各氏校注『日本思想大系3 律令』岩波書店・1976年
・『令義解』巻2・塙保己一校(全10巻)寛政12年(1800)本
・釈雲照補注『僧尼令』森江佐七・1882年
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