ほとけみづから諸龍を救済しましますに、余法なし、余術なし、ただ三帰をさづけまします。〈中略〉しるべし、三帰の功徳、それ最尊最上、甚深不可思議なりといふこと。世尊、すでに証明しまします、衆生、まさに信受すべし。
『正法眼蔵』「帰依仏法僧宝」巻
これは、道元禅師が『大方等大集経』巻44「日蔵分中三帰済龍品第十二」からの引用した一文について述べられた提唱である。この文章では、世尊が苦しむ龍に対し、三帰戒を授けることで済度するという話である。よって、色々とその訳経の状況に問題が無いわけではない『大方等大集経』ではあるが、少なくとも大乗仏教に於いては、三帰戒を龍などに授け、救うことが求められたことがあったと言えよう。日本でも中世に到ると、龍を始めとする様々な眼には見えない存在、化身などに授戒をした例(説話として語られる)が見えるが、その淵源は、『大集経』の書誌学的問題を勘案しても、事実上インドからあったといって良い。そして、もちろん中国でも、である。
諸天、釈種、倶利等、皆、三帰五戒を受く。
『長阿含経』巻15
北伝系の原始仏典である『阿含経』にあるのだが、これらの存在は、いわゆる人間界の衆生というわけでは無い。しかし、三帰と五戒(在家者の戒)を受けるという。類似した文脈は、多くの仏典に見出せる。
さて、曹洞宗に於ける禅戒思想の議論だと、この異者授戒(と総称することにする)については、かなりの宣伝がされた。それは、おそらく2つの理由に於いてである。1つは、菩薩戒の広大無辺の功徳を讃えるため、そして、2つは、それを我々曹洞宗侶が可能だという自負と実績とを誇るためである。更に、特に前者は菩薩戒の相承を示す『血脈』として、或る種の簡略化、実体化された。簡略化というのは、戒を授けずとも、『血脈』を授ければ良いという考えとなり、実体化というのは、具体的な存在物に菩薩戒の功徳を見るということである。護符の一種といえる。
道元禅師に仮託された逸話の1つとして「血脈度霊」という話が残っている。非業の死を遂げた女性の幽霊に対し、道元禅師が『血脈』を授けることで解脱させたという話(話では、このご褒美として、波多野義重は永平寺を寄進したという)なのだが、江戸時代初期に開版された『道元禅師行録』という文献に出ており、後には面山瑞方編『訂補建撕記』にも掲載されるなどして、世に広まった。また、授戒会に関する差定集の中に、亡者授脈が可能だという根拠の1つに、この逸話を引いている場合もある。説話というのは、世界観の構築に寄与するものである。その事実性が問題なのではない。聴衆に、その具体的な様子をイメージさせることに使えるのである。
先に挙げた道元禅師の文章も、『大集経』からの引用は、仏陀釈尊に於ける説話の一例として引かれている。だからこそ、世尊が既に証明されたのだから、衆生は信受すべきだというのである。信受すれば、奉行するのは当然である。道元禅師の説話の中で、古いものの1つだが、瑩山禅師が伝える異者授戒がある。
興聖に住せし時、神明来て聴戒し、布薩毎に参見す。永平寺にして龍神来て八斎戒を請し、日々回向に預らんと願ひ出て見ゆ。之に依て日々八斎戒をかき回向せらる。今に到るまで怠ることなし。
『伝光録』第51章
興聖寺にいた時には、やはり神などが来て戒を聞き、布薩毎に見えていたという。永平寺では龍神が来て八斎戒を請うたため、毎日八斎戒を書いて回向したという。八斎戒を書くということは、単純に戒を授けて護らせたというよりも、戒そのものの功徳を回らせたといえる。この辺が、戒をただの思想的、或いは宗教組織への入檀のように捉えてはならないという有り様であろう。
瑩山禅師の伝えた説話だけでは、中々理解し難いかもしれないが、しかし、「帰依仏法僧宝」巻の指摘などを思えば、この説話は事実だったと思えてくる。そして、『御遺言記録』では、この八斎戒を版木にして、義介禅師が授けられたともいうから、書く作業はより一般化して、印刷して龍神に回向していたのであろう。この龍神が、結局は学人や伽藍、そして仏法そのものを守護する神として、祀られていったといえるのである。
拙僧も以前は、受戒というのは、真剣に仏弟子たる自分を求めて行うべきものだとばかり思っていた。しかし、この考えは偏狭であった。実際には、ただ功徳を得て、少しでも成仏に近付こうとする営みでもある。無論、一歩でも半歩でも成仏に近付くのであれば、立派な仏道修行である。禅宗では、『禅苑清規』という文献の中に、「戒律を先と為す」と出ていて、それは更に、「戒律為先の言、すでにまさしく正法眼蔵なり」(『正法眼蔵』「受戒」巻)ともされる。仏祖が嫡嫡相承してきた大切な教えとしてあるといえる。そして、我々は、先に見た如く、人にのみ戒を授けるのではない、受者を選ばない(だから、亡くなった方へも授戒できる)のが菩薩戒であり、禅戒なのである。
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