つらつら日暮らし

彼岸会の俳句の話 其二(令和5年度春彼岸6)

昨日の記事によって、「けふ彼岸 菩提の種を 蒔日かな」という彼岸会の俳句について、大正時代に松尾芭蕉作がかなり疑われていた様子を確認した。だが、それよりも前だと、中々不思議なことも起こる。

・星野麦人編『類題百家俳句全集 春の部』博文館・明43~44年

以上の文献では、とても不思議なことが起きていて、「彼岸」という項目を見ていくと、以下のようになっている。

けふひがん菩提のたねを蒔日かな 芭蕉
〈中略〉
けふ彼岸菩提の種も蒔日かな 存義


・・・いや、だから、これ並べてしまってるけど、多少は疑ったら?!とは思う。この2句はほぼ同じ、一字違いくらいなわけで、そうなると、いや、馬場存義がマネしたんだろ、とかいう話だけでは済まないくらい同じ。とはいえ、おそらくは芭蕉と存義の知名度の違いから(ただし、存義在世時は、江戸俳匠の第一人者として評価が高かった)か、むしろ芭蕉の句とされたものを、存義が引き立てている感じになっているようだ。

それで、昨日の記事でも書いたように、大正時代になるとこの俳句の作者が、芭蕉であるという話は少しずつ退くことになる。そして、以下のような説示が見られた。

『今日彼岸菩提の種を蒔く日かな』とは、誰やらの句で名高いものである、彼岸は何をする日か、彼岸とは如何なる意味のある事かと尋ねて見るに、菩提の種を蒔く日であるとの事である、
    松宮麦園『浄土宗法要教談』大正7年、90~91頁


かの俳句を引用しているものの誰の作であるかは明示されていない。しかし、「誰やらの句で名高いもの」という指摘からは、おそらくは芭蕉を意識していることは明らかであろう。この引用や言及が容易であるほどに、明治時代の文献にはとにかく芭蕉作として紹介されまくったからである。

ただし、もう少し後の時代になると、この辺のトーンが少し変化する。

それから春分秋分を中心(彼岸中日)として、前後三日を配し、七日間を彼岸とし、『けふ彼岸菩提のたねを蒔く日かな』と、江戸時代の俳句にある如く、此の期間に昔から仏道精進の週間が行はれて今日に及んでいる。
    『民政 8(秋季増大號9)』民政社・昭和9年


こちらの場合、ただ江戸時代の俳句とのみ紹介されていて、非常にあっさりしている。つまり、芭蕉を意識していない印象である。時代的には、芭蕉真撰が疑われた大正期を経た文章であるから、こう書かれていても不思議ではない。

ただし、一部宗派では、昭和期に入っても、それまでの宗派内向けの書籍を再刊、或いは引用するような形で、芭蕉作という文脈が生き残っていくことがある。これは、もしかすると、より著名な人に依拠しておきたいという、仏教界の或る種の悪弊のような印象がある。そして、それがどうも、現代のネット上まで到ってしまった、というのが正しいか。

さて、この記事、後1回分があるのだが、似たような彼岸会の俳句を紹介したい。

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