・11月19日は「世界トイレの日」(ユニセフ)
さて、トイレといえば、我々曹洞宗の高祖道元禅師(1200~1253)の教えを学んでみたい。『正法眼蔵』の中に「洗浄」巻があり、衛生的なトイレの使い方について示されているのである。
寺舎に居してよりこのかたは、その屋を起立せり、これを東司と称す。あるときは圊といひ、廁といふときもありき。僧家の所住に、かならずあるべき屋舎なり。
「洗浄」巻
こちらは、仏教が開かれた最初の頃はトイレが無かったが、寺院で過ごすようになってから、「東司」などと呼ばれたトイレが作られるようになったというのである。
摩訶僧祇律第三十四云、廁屋不得在東在北、応在南在西。小行亦如是。
この方宜によるべし。これ西天竺国の諸精舎の図なり、如来現在の建立なり。しるべし、一仏の仏儀のみにあらず、七仏の道場なり、精舎なり、諸仏の道場なり、精舎なり。はじめたるにあらず、諸仏の威儀なり。
同上
そして、以上の通り、インドでの精舎(寺院)の作り方として、トイレを作る場所(方角)が定められているとしているのである。そして、如来(仏)が定められた方法のため、トイレを伴った寺院こそが「七仏の道場」だと明示されたのである。その道場で、正しく後進への指導が行われたのである。
しかあればすなはち、仏道場に廁屋あり、仏廁屋裏の威儀は洗浄なり、祖祖相伝しきたれり。仏儀のなほのこれる、慕古の慶快なり、あひがたきにあへるなり。いはんや如来かたじけなく廁屋裏にして、羅睺羅のために説法しまします。廁屋は仏転法輪の一会なり。この道場の進止、これ仏祖正伝せり。
同上
これは、『十誦律』という律蔵の一節に見られる事績を元に示されているが、釈尊が教団に入ったばかりの実子・羅睺羅尊者のために説法した様子を讃えた文章である。羅睺羅尊者は、入ってすぐの頃に居場所が無く、トイレで寝ていたというが、そのトイレで釈尊は説法されたため、道元禅師は「仏転法輪の一会」とまで評された。
廁内にいたりて、左手にて門扇を掩す。〈中略〉隔壁と語笑し、声をあげて吟詠することなかれ。涕唾狼藉なることなかれ、怒気卒暴なることなかれ。壁面に字をかくべからず、廁籌をもて地面を画することなかれ。
同上
こちらは、トイレに入った後の作法を示されたものだが、以上の通り、トイレの中では静かにしなければならず、壁を隔てた隣の人と談笑したり、声を挙げて歌ったり、つばを吐いたりしてはならないという。やたらと踏ん張ってもダメで、トイレの壁に落書きをしてはならないという。「廁籌」という用具があるのだが、それで地面に字を書いたりしてもならないという。
以上の通り、『正法眼蔵』「洗浄」巻の一部を採り上げ、「世界トイレの日」に因んだ学びをしてみた。
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