つらつら日暮らし

三聚浄戒の意義に関する一視点(2)

以前に同様の記事を書いた際に、三聚浄戒に、他の戒(例えば十重禁戒など)を包摂させる考え方がどこから来たのかよく分からないという風に書いた。調べが付いていなかったからなのだが、先日別の記事をアップした時に、以下の一節を見出した。

瓔珞経に云く、「律儀戒は、即ち是れ十重戒なり。正法戒は、即ち是れ八万四千法門なり。摂衆生戒は、即ち是れ四摂法なり」。
    南岳慧思『受菩薩戒儀』


ここから、中国天台宗に於ける祖師に数えられることもある南岳慧思は、『菩薩瓔珞本業経』に依拠しつつ、「摂律儀戒」に「十重禁戒」を、「正法戒(摂善法戒)」に「八万四千法門」を、「摂衆生戒」に「四摂法」を充てていることが分かる。それでは、当の『瓔珞経』にはどう示されているのだろうか?

いわゆる三受門とは、摂善法戒、いわゆる八万四千法門なり。摂衆生戒、いわゆる慈悲喜捨の化、一切衆生に及び皆な安楽を得。摂律儀戒、いわゆる十波羅夷なり。
    『菩薩瓔珞本業経』「大衆受学品第七」


このようにあるから、「摂律儀戒」「摂善法戒」については、名称の問題が残るけれども、まぁ、一致している。問題は「摂衆生戒」であろう。『受菩薩戒儀』の方は、「四摂法」としているが、『瓔珞経』の方は、「慈悲喜捨」としているから、これは「四無量心」と総称されるべきだ。

と、ここまで思った段階で、「四摂法」と「四無量心」との関係が気になった。ただし、『瓔珞経』では「因果品第六」において、「四摂とは、利益・濡語・施法・同事なり」としていて、文言が出ているものの、「摂衆生戒」と結びつけてはいないし、「四無量心」とも関係が無い。

そうなると、他の文献でも参照したか?色々と調べてみると、興味深い一節を見付けた。

四摂・四無量等、是れ饒益有情戒の摂なり。
    法蔵『華厳経探玄記』「功徳華聚菩薩十行品第十七」


ただし、これは言い換えでは無くて、並列だ。とはいえ、四摂法と四無量心がともに「摂衆生戒」であるとの指摘がされていると理解は出来る。問題は、著者が賢首大師法蔵だということであり、法蔵は生没年が644~712年とされていて、生没年が512~577年とされる慧思よりも150年近く後の人ととなってしまう。

こうなると、むしろ『探玄記』の方が、『受菩薩戒儀』の影響を受けたのか?とさえ思えてくる。まぁ、『受菩薩戒儀』はその著者も含めて、色々と問題があるので、軽々なことはいえないのだが・・・

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