瓔珞経に云く、「律儀戒は、即ち是れ十重戒なり。正法戒は、即ち是れ八万四千法門なり。摂衆生戒は、即ち是れ四摂法なり」。
南岳慧思『受菩薩戒儀』
ここから、中国天台宗に於ける祖師に数えられることもある南岳慧思は、『菩薩瓔珞本業経』に依拠しつつ、「摂律儀戒」に「十重禁戒」を、「正法戒(摂善法戒)」に「八万四千法門」を、「摂衆生戒」に「四摂法」を充てていることが分かる。それでは、当の『瓔珞経』にはどう示されているのだろうか?
いわゆる三受門とは、摂善法戒、いわゆる八万四千法門なり。摂衆生戒、いわゆる慈悲喜捨の化、一切衆生に及び皆な安楽を得。摂律儀戒、いわゆる十波羅夷なり。
『菩薩瓔珞本業経』「大衆受学品第七」
このようにあるから、「摂律儀戒」「摂善法戒」については、名称の問題が残るけれども、まぁ、一致している。問題は「摂衆生戒」であろう。『受菩薩戒儀』の方は、「四摂法」としているが、『瓔珞経』の方は、「慈悲喜捨」としているから、これは「四無量心」と総称されるべきだ。
と、ここまで思った段階で、「四摂法」と「四無量心」との関係が気になった。ただし、『瓔珞経』では「因果品第六」において、「四摂とは、利益・濡語・施法・同事なり」としていて、文言が出ているものの、「摂衆生戒」と結びつけてはいないし、「四無量心」とも関係が無い。
そうなると、他の文献でも参照したか?色々と調べてみると、興味深い一節を見付けた。
四摂・四無量等、是れ饒益有情戒の摂なり。
法蔵『華厳経探玄記』「功徳華聚菩薩十行品第十七」
ただし、これは言い換えでは無くて、並列だ。とはいえ、四摂法と四無量心がともに「摂衆生戒」であるとの指摘がされていると理解は出来る。問題は、著者が賢首大師法蔵だということであり、法蔵は生没年が644~712年とされていて、生没年が512~577年とされる慧思よりも150年近く後の人ととなってしまう。
こうなると、むしろ『探玄記』の方が、『受菩薩戒儀』の影響を受けたのか?とさえ思えてくる。まぁ、『受菩薩戒儀』はその著者も含めて、色々と問題があるので、軽々なことはいえないのだが・・・
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