8〔33〕 人間と神を和解させる教皇の贖宥は計り知れないほど高価な神の恩寵である、と主張する人がいるなら、その人は厳しく警戒されるべきである。
深井氏下掲同著・22頁
この項目も、ルターによる教皇による贖宥への批判である。しかし、教皇の贖宥が、人間と神を和解させるという話があった、ということになるのだろう。しかし、それを神の恩寵であると主張する人というのは、神の恩寵について正しく理解していないことを意味している。これもまた、当時の教会からのドグマに対して、妄信しているのであり、よって、厳しく警戒されるべきだという話になる。
つまり、ルターはこれらの提題を通して、人々に教会のいうことを疑うように求めている。しかし、疑う場合には、それを疑うに足る情報が無くてはならない。ルター自身は、それをどのように提供しているのだろうか。少なくとも、『九十五箇条の提題』のみでは分からない。
後には、ドイツ語訳聖書なども出し、それは1522年以降に形になったとされるが、『提題』は1517年であるから、こちらの方が早い。そうなると、疑うに足る情報源について、まだ整備されていなかったというべきであろうか。或いは、1520年の『キリスト者の自由について』なども、『聖書』からの豊富な引用に基づいた主張だが、それらが無ければ、人々に主張は届かなかったのではないか、と思える。
【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年
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