晨朝六念法
僧祇の文を出す、毎日清旦に普く三宝を礼し、五悔の法を修し、後に六念を誦す、互跪合掌し已りて口自ら辞を陳べ、耳をして之を聞かしむ、六は是れ数の義、念はば明記を以て性と為す。
允堪律師『新受戒比丘六念五観法』
こちらは、中国宋代の允堪律師による教えである。晨朝にまず、三宝へ礼拝し、五悔の法を修行すべきだという。「五悔」とは何であろうか?
六根の罪を懺し、五悔を修習す。
五悔とは、
一には懺悔、大悪業罪を破す。
二には勧請、謗法罪を破す。
三には随喜、嫉妬罪を破す。
四には回向、諸有罪を破す。
五には発願、空無相願に順う。
得る所の功徳、量を限るべからず。
永明延寿『宗鏡録』巻88
・・・合っているかどうか分からないが、だいたい同じくらいの時代だと思うので、延寿『宗鏡録』を引用してみた。五悔とはなっているものの、悔は最初の懺悔だけにも見えるが、結果として4つの罪を破り、空・無相の発願を行うという流れである。なお、宋代の天台宗・遵式『金光明懺法補助儀』「第八修行五悔方法」でも、上記と同じ並べ方をしており、内容もほぼ同じなので、まぁ、良いか。
それで、礼三宝・五悔ときて、六念に至る。問題はこの六念なのだが、念ずべき六つの事象を挙げており、以下の通りである。
第一念知日月
第二念知食処
第三念知受戒時夏臘
第四念知衣鉢有無受浄
第五念同別食
第六念康羸
・・・何だ?この六念、全然分からない(笑)日月って、あの太陽と月?いや、暦か。それで、一番分からないのは「康羸」だけど、「康」は健康ということで、「羸」はやせ細るとかの意味なので、病気の状態である。つまり、6つ目は、自分自身の健康状態を考えることを意味している。
いやそれ、若い頃は良いかもしれないけど、中年も過ぎてくると、徐々に朝起きた段階で、全身どこも異常なし、というのは少しずつダメになってきて、だいたいどこかが痛かったり、何かあるものだけど、それも含めて、自分の身体と対話することは必要である。朝、足を曲げて坐禅する時なんかは、特にそれが必要で、毎日坐ってても、或る日はスムーズだし、或る日は痛いし、ということが起きる。
まぁ、これはともかく、次回以降は『新受戒比丘六念五観法』で挙げている「六念」について、一々を見ていくこととしたい。
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