二十一坐具儭身
礼拝に其の坐具を敷くこと、五天に見行せざる所なり。致敬を起して三礼を為すに、四部に其の事を窺うこと罔し。
凡そ礼を為す者、拝敷法式、別章の陳ぶる所の如し。其の坐具の法、割截して之を為る。必ず須く複に作るべく、制して葉を安ぜしむ、度量、詳悉するに暇あらず。其の須る所は、但だ眠臥の時、他の氈席を護るに擬す。
若し他物を用いるには、新故並びに須く安替すべし。如し其の己物は、故は則ち須いざれ、汚染して信施を虧損せしむること勿れ。礼拝の為に非ず。
南海の諸僧、人ごとに一布の巾長、三五尺なるを持す。疊で食巾の若し。礼拝の時、用て膝頭に替ふ。行く時は肩上に搭在す。西国の苾芻来たり見て、咸く皆な莞爾にして笑うなり。
義浄『南海寄帰内法伝』(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛)巻3
儭とは「敷く」の意味があるから、これは、坐具を身の下に敷くことについて議論した一章であると思われる。
そこで、訳していきたいと思うのだが、礼拝するときに、坐具を敷く様子は五天(インド全土)で見ることが無かった。恭敬心を発して、三拝するときには、四部の律にも坐具を敷くとは出ていない。
礼拝を行うときに、拝敷による法式については、別の章で述べた通りである(具体的にはどこのことか?ちょっと分からなかった)。坐具は、割截して複に作り、葉とするが、詳細については論じない。これを用いるのは、横になって眠るとき、他の氈席を護るようなものである。
また、他の物を用いるには、新しい物を用いるべきだが、他の私物は用いてはならない。信施としていただいたものを汚して壊してはならない。礼拝のためのものではない。
南海の諸々の僧侶は、人一人ごとに90~150センチ程度の布を持っている。これを畳めば食事の時に使う布のようである。礼拝の時に、膝の頭に置く。歩いて移動するときには肩の上に掛けておく。西国の比丘達が来ると、その様子を皆、笑うのである(つまりは、本来の方法ではない)、とでも出来ようか。
そうなると、坐具を礼拝に用いたのは、いつ頃からだったのか?ということになるが、義浄(635~713)が問題視しているということは、まず、7世紀(の中国で)はそういう状態だったのだろう。そして、時代的には下ってしまうが禅宗の馬祖道一(709~788)の弟子達も、展坐具礼拝する様子が見えるので、中国に於いては8世紀には確実に定着し、その後一部で批判が見られたものの、全体としては作法として残ったということか。
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