毎週火曜日は仏教テレフォン相談の浄土真宗担当日です。
そして、今週の火曜日は今年度初めてのテレフォン相談日であり、私の当番でありました。
03-3811-7470
仏教情報センターホームページ
受話器をあげると、様々な相談があります。
今年度初ということもあり、いつもより相談数は少なかったのですが、
今回のテレフォン相談には1つの特徴がありました。
それは何か。
占い師Hさんの本やテレビを見ての相談が多かったことです。
今回一緒に担当したS先生のお話によれば、年末のお寺へのお参りが例年より多かったといいます。
疑問に思ったS先生が「なにかあったのですか」と参詣者に質問すると、占い師Hさんが年末までにお寺にお参りした方がいいと言っていたとの返事。
すごい影響力なものです。
そういうわけで、相談でも「H先生のお話を聞いたのですが・・・」という質問が多かったようなのです。
例えば・・・
・仏さまはたくさんお仏壇にご安置してはいけないと聞いたのですが、観光地で買った仏像はご安置してはいけないのですか?
・位牌は1人1つがいいと聞いたのですが、うちの両親は夫婦位牌なんですが大丈夫でしょうか?
また、こんなご質問もありました。
・お位牌をご安置する位置は、右側が大切な人のお位牌、左側はその次、といわれたのですがどうしたらよいのでしょうか。
うちの仏壇には父と母の二つの位牌があるのです。
右側が大切な人ならば、どちらの位牌を右側に置こうかと・・・
一家の大黒柱だから父の位牌を右側に置こうか。それとも、後になくなった母の位牌を右側に置こうか。
どうしたらよいでしょうか。
等々質問は様々ですが、皆さん一様に本気で悩んでいらっしゃるのです。
それを聞いて、亡き人を大切な人、あまり大切ではない人と順番をつけ判断するとは、あまりにも傲慢な気がしました。
もし自分が死んだ後、遺族が「この人はあまり大切じゃないから、お位牌は左側」などと話し合っている姿を想像しただけで怖い気がします。
仏教では1人1人それぞれが尊い命を生きていると教えてくれます。
なぜならば、地球上どの一つのいのちが欠けても、私の存在はありえない。
すべてのいのちがつながりあっている、他力の世界だからです。
そこには、誰が大切で、誰が大切じゃないという順序を付け合う世界ではなく、
皆が平等のいのちを生きている世界が開かれてくるのです。
仏教とは、仏さまの教え、迷いの世界にいることを気づかせていただく教えであります。
迷いとは、自分中心の考えに振り回され、我が身を苦しめている姿です。
ちなみに、浄土真宗では位牌を用いません。
というか、位牌を用いる必要がないのです。
詳しくは、私の師匠・渡邊了生先生ご執筆の文章をご参照下さい。
href="http://www.posteios.com/PROJ_C049.htm"
(龍)
そして、今週の火曜日は今年度初めてのテレフォン相談日であり、私の当番でありました。
03-3811-7470
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受話器をあげると、様々な相談があります。
今年度初ということもあり、いつもより相談数は少なかったのですが、
今回のテレフォン相談には1つの特徴がありました。
それは何か。
占い師Hさんの本やテレビを見ての相談が多かったことです。
今回一緒に担当したS先生のお話によれば、年末のお寺へのお参りが例年より多かったといいます。
疑問に思ったS先生が「なにかあったのですか」と参詣者に質問すると、占い師Hさんが年末までにお寺にお参りした方がいいと言っていたとの返事。
すごい影響力なものです。
そういうわけで、相談でも「H先生のお話を聞いたのですが・・・」という質問が多かったようなのです。
例えば・・・
・仏さまはたくさんお仏壇にご安置してはいけないと聞いたのですが、観光地で買った仏像はご安置してはいけないのですか?
・位牌は1人1つがいいと聞いたのですが、うちの両親は夫婦位牌なんですが大丈夫でしょうか?
また、こんなご質問もありました。
・お位牌をご安置する位置は、右側が大切な人のお位牌、左側はその次、といわれたのですがどうしたらよいのでしょうか。
うちの仏壇には父と母の二つの位牌があるのです。
右側が大切な人ならば、どちらの位牌を右側に置こうかと・・・
一家の大黒柱だから父の位牌を右側に置こうか。それとも、後になくなった母の位牌を右側に置こうか。
どうしたらよいでしょうか。
等々質問は様々ですが、皆さん一様に本気で悩んでいらっしゃるのです。
それを聞いて、亡き人を大切な人、あまり大切ではない人と順番をつけ判断するとは、あまりにも傲慢な気がしました。
もし自分が死んだ後、遺族が「この人はあまり大切じゃないから、お位牌は左側」などと話し合っている姿を想像しただけで怖い気がします。
仏教では1人1人それぞれが尊い命を生きていると教えてくれます。
なぜならば、地球上どの一つのいのちが欠けても、私の存在はありえない。
すべてのいのちがつながりあっている、他力の世界だからです。
そこには、誰が大切で、誰が大切じゃないという順序を付け合う世界ではなく、
皆が平等のいのちを生きている世界が開かれてくるのです。
仏教とは、仏さまの教え、迷いの世界にいることを気づかせていただく教えであります。
迷いとは、自分中心の考えに振り回され、我が身を苦しめている姿です。
ちなみに、浄土真宗では位牌を用いません。
というか、位牌を用いる必要がないのです。
詳しくは、私の師匠・渡邊了生先生ご執筆の文章をご参照下さい。
href="http://www.posteios.com/PROJ_C049.htm"
(龍)
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