天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

梅雨明け。

2006-07-30 21:52:43 | 日々
土日ともに晴れ。
とうとう長かった梅雨も明けたようです。

週末はご法事を勤めさせていただきました。
墓地には日傘。
本堂ではクーラー。
暑さ対策はしましたが、それでも暑かった!

どうもお坊さんの着物は、見た目には涼しそうなようです。
けれど。。。
下には襦袢に腰巻き。
私は補正がいるのでお腹まわりにまたグルグルと補正を巻きます。
白衣を着て、そこにに布袍(ふほう)や黒衣(こくえ)といわれる黒い着物を重ねます。
その上にまた上半身を覆う袈裟をかけるわけですから、暑いのです。
黒い着物も今は紗(しゃ)などではなく、安く扱いが便利なポリエステルです。せいぜい麻が少し入っているくらいなもの。

どう考えても暑いわけです。

これからの夏。
今年こそ、何かとっておきの暑さ対策を考えてみます。

(静)

歌舞伎

2006-07-28 23:52:59 | 日々
昨日何年かぶりに歌舞伎を観ました。
とても大好きながら、最近はすっかりご無沙汰。
7月は、演目が泉鏡花の作品なのと、玉三郎と海老蔵の共演でかなりの人気のようでした。

泉鏡花は、金沢生まれの大正時代の人。
鏡花の作品は、妖怪が現れたり、登場人物は人間界から異界へと自由自在に飛び回ったり、その幻想的な世界観に魅了されます。

演目『海神別荘』では、
海底の御殿の主人が、些細な宝で陸の人間たちが満足するを聞き、笑う場面があったり、
海月は醜い人間の魂であると表現するなど、
人間界にとどまった見方をしないからか、客観的な人間観も面白く感じました。

鏡花は9歳の時最愛の母を病気で失い、母を恋しがる幼い鏡花を連れて信心深かった父清次は、摩耶夫人(お釈迦さまの生母)像を詣でたそうです。そしてこの時以来、摩耶夫人のなかに母の面影を見出し、生涯を通じて摩耶夫人信仰を深めたというから、仏教的なものの見方に触れていたのかもしれません。

そういえば。。。登場人物の一人が、
「私は本願寺派の僧侶、文学博士・・・」と自己紹介するセリフもありました。
浄土真宗と言うだけでなく、本願寺派と「派」まで指定するくらいくらいですから、仏教に詳しかったんでしょうか。

とはいえ、原作にあるセリフかどうかも分かりませんが・・・
今度泉鏡花の作品を読んでみよう、という気になりました。

久々の歌舞伎。
楽しかったから、また行きたいな~と思っているところです。

(静)








京都の夏はやっぱり暑いです

2006-07-25 19:33:31 | 日々
京都からです。

大学院時代の先輩Tさんの和歌山にあるお寺(西方寺)で
行信教校(大阪にあるお寺の私塾)の天岸先生をお招きしての一泊二日の臥龍精舎の勉強会が開かれましたので、参加してきました。

テーマは「論題再考」
真宗教学は「安心論題」によってまとめられている。
だからこそ、浄土真宗僧侶にとっては興味深いテーマである。
後日、詳細はご報告いたします。

そいで、京都にいるのです。

私が、京都に行く時には楽しみがある。
それは、京都時代の友人たちと楽しい一時を過ごすことであります。


京都「一二三」の絶品ちゃんこ

お酒を酌み交わしながら、
近況報告・なつかし話・真宗談義などなど話題が尽きません。

おばあちゃん(前坊守)が島根に行く際、
50年ぶりに友人に会えると楽しみにしていた。
もう顔も覚えてないだろうと、事前に本人の写真を送っていた。

人生の一時を共に過ごしたという思い出は、一生忘れることはないだろう。
むしろ、年月が経過するほど、深い絆になっていくのかもしれない。
喜びも悲しみも1つ1つが思い出として心に残るのだろう。

久々にみんな笑顔を見ていると、1人で生きてるんじゃないんだなぁと実感します。

ありがとう

(龍)

ベル連続おもらし事件

2006-07-25 18:07:03 | 日々
今日は朝からお盆に向けて、案内の文書を作ったり、配布物にハンコを押したりという事務仕事の地味~な一日となりました。
といっても、ほとんどの日が地味ですが。

静かな一日の大騒ぎ事件は一つ。
ベルのおもらしです。

15歳の高齢ながら、最近腫瘍切除の手術を受け、初手術・1週間の初入院という経験をしました。
退院後、ぼけたのか・・・手術入院がイヤだったことへの腹いせか・・・どこにでもウンチやおしっこをして歩くようになりました。
カーペットにはしみがつくし臭いが残るしと、後始末が大変です。

動物ですから、ことばが通じません。
「ベルのためだったんだよ」と思いを伝えたくても、悲しいかな伝わりません。
退院後しばらくは家に帰れたうれしさに大人しくしていましたが、
落ち着いた今頃になって、「痛い思いをさせた上に、あんなところにほったらかして閉じこめるなんて!」と思い出したのか、怒りを表し始めた様子です。

こんなことから、「ことば」で思いを伝えることの大切さを考えさせられました。



阿弥陀さまのはたらきは十方世界に充ち満ちています。
私たちは、そのど真ん中にいるのです。
しかし、「ことば」がなければそのはたらきは伝わりません。

「悲しいときも苦しいときも決して一人じゃないよ。いつでもどこでも一緒にいるから大丈夫。大切な一日一日を精一杯生きてごらん。」

その思いを「南無阿弥陀仏」というお念仏を通して、私たちに呼びかけて下さっているのです。
決して呪文や魔除け、縁起が悪いものでもありません。
阿弥陀さまの願いがそのまま「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私に届けられているのです。

なんとなくわけがわからないものや、神秘的なものに魅力を感じたり、ありがたく思ったりすることがあります。
けれど、本当に伝えたいことがあるときには、そんなまやかしは必要ありません。
思いをそのままに伝えます。
それが「南無阿弥陀仏」
たった六文字ですが、そこには果てしもない願いが込められているのです。
み教えに遇うとは、それを心で聞いていくこと。

大事なことをベルのおもらし事件で考えさせてもらいました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(静)







寺報

2006-07-24 22:26:54 | 天真寺
そろそろ月末となりました。

明日はお給料日でうれしいこともありますが・・・

私にとってはあ~あと何日だ!寺報の〆切が近づいてきた~!という思いです。
毎月毎月のことで分かっていても、今頃いつもバタバタしてしまうのです。

ちゃんと予定通りに仕上げられるように、これからまた寺報を書くことにします。

(静)