天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

本願寺旧址 滋賀県 堅田の本福寺

2013-05-10 21:20:46 | 京都便り

昨年末のことですが、滋賀県大津市堅田にある本福寺さんにお参りしました

 

二階には本福寺さん所有の宝物がたくさん展示されていました。

親鸞聖人のお木造

 

 

 

親鸞聖人と蓮如上人ご連座の掛け軸(レプリカはたくさんでているけれど、こちらが原本とのこと

 

 

本福寺さんの開基は正和年中、善道師によるものだそうです。

長禄四年、比叡山衆徒が浄土真宗は邪教を広めるものであるという噂をひろめ、本福寺第三世の法住法師は十字名号をかかえて単身登山されます。

法住法師は、比叡山根本中堂の中央に十字名号を掲げ経論を引きながら、浄土真宗こそ真実の宗教である、と断じて邪教ではなく正法であることを説かれ比叡山衆徒は本尊、帰命尽十方無碍光如来の義を承諾、法住法師は悠然と退出されました。

ところが、数十名があとを追い、法住法師の命とお名号を奪おうと、襲いかかります

法住法師は出迎えた上仰木のお同行に守られ、なんとか十字名号だけは守りたいとお名号を胸に抱きかかえ、命からがら逃げ帰ることができたそうです

そのことに厚く感動された蓮如上人は、十字名号に裏書をし、本福寺さんのご本尊として授けられました

 

その後も比叡山衆徒が本願寺に乱入するなど蓮如上人の法難が続きますが、法住法師は上人の片腕と呼ばれるほどに上人をお守りになり、応仁元年には京都を主戦場とする応仁の乱のなか、蓮如上人は堅田に移住し、本願寺の寺務をとられることになります。

そのため、本福寺さんは本願寺旧址とされています。

夕陽山の山号、本福寺の寺号も蓮如上人から賜われたとのこと

 

 

 

 

 

今、ここにお念仏が届いているのも、本当にたくさんの方々の命懸けのご苦労があったことだと改めて思いました  又、人から人へというご縁がなければ伝わらないんだなあ、と・・・   

ご縁ってありがたいです

 

(果)

 


本願寺・大谷本廟にお年賀参り 

2013-01-08 21:56:44 | 京都便り

元日に本山と大谷本廟にお参りに行きました。

お正月のお荘厳

 

阿弥陀堂

 

御影堂

 

阿弥陀堂でも御影堂でも、各々お勤めされている方が何人かいらっしゃいましたが、

御影堂の一番前に一人で正座している小学4.5年生くらいの男の子がいて、

辺りをみても家族や友人らしき方はおられません。

けれども大きな声で何やらお勤めしている様子です。

近寄ってみると、お正信偈でした

思わず私も一緒に横でお勤めさせてもらいました。

お正信偈の後に和讃の六首引き、念仏、回向と続きます。

男の子はずっと棒読みでお経本を一生懸命読んでおられました

 

お勤めが終わり聞いてみると、家族と来ているとの事。

振り返ってみたら、少し離れてご両親が立ったまま見守っておられました

男の子はお経本を今ブックセンターで買ったところで、早く読みたかったのだそうです

ブックセンターから見た阿弥陀堂と御影堂

 

 

続いて大谷本廟へ。こちらもたくさんお参りでした。

あんのん堂

 

掲示板は

お正信偈のご文でした。

「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼(まなこ)を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦き(ものうき)ことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり」

阿弥陀様の「つね」は「常」、私達の「つね」は「恒」という字にあて、同じ「つね」でも全然違うんだ、と親鸞聖人はお示しになっています。

阿弥陀様の「常」はどんな時でもどんな場所でもどのような状態にあっても絶えることがない。

私達の「恒」は時々で、思いついた時や思い出したときなど、自分勝手な「つね」である、と

 

こちらが気づこうが気づくまいが、全ての人々を絶え間なく照らし育んでくださっている阿弥陀様

御影堂でお勤めしていた男の子も、そのご両親も、私もあなたもみーんな阿弥陀様のお育てのなかにあるんですね

夕日がとってもきれいな元日でした。

 

(果)

 


京都 中央仏教学院の本堂

2012-12-03 18:47:50 | 京都便り

今年も中央仏教学院ではお内陣がお荘厳され、報恩講をお迎えする準備が整えられていました

中央仏教学院では、毎年12月に学院の報恩講が厳修されます。

    

 

 

昨年中央仏教学院は設立90周年、通信教育開設40周年を迎え、記念式典が催されました。

中央仏教学院は浄土真宗本願寺派の宗門校で、当初は大正9年本願寺境内に僧侶育成のため設立されましたが、様々な変遷を経て、現在は京都市右京区の本願寺角坊(すみのぼう)の北隣にあります。

学院生は仏教、浄土真宗の教え、声明やお作法などを学び、公開講座では広く門が開かれ一般の方々にも人気を呼んでいます

 

 

講堂正面にはご門主ご染筆の「学仏大悲心」の額が掲げられてあります。

私達は知識として仏教・浄土真宗を学ぶのではなく、阿弥陀様の大悲のお心を学ばせていただいています。

知識を増やして、偉くなるのでも癒されるのでもありません。

 

「全ての衆生を救うぞ、あなたを救うぞ、あなたを救うことができなければ私は悟りを開かない」

と誓ってくださり、南無阿弥陀仏のお念仏となってくださっている阿弥陀様です。

お念仏する事もお聴聞する事も浄土真宗を学ぶ事も、阿弥陀様のお心を聞かせていただく他ありません。

 

ピカピカにお磨きされたご本尊。

 

自宅でも、外出先でもお念仏申し、阿弥陀様のお心を聞かせていただく事はできます。

けれども、この額が掛かっている本堂で学びお念仏する事は、それはそれで又ありがたく尊い事だなあと思うことです

(果)

 


「寺が消える」の浄円寺で報恩講

2012-08-07 19:01:18 | 京都便り

今年も暑い中、島根の浄円寺で報恩講がつとまりました

浄円寺は以前NHKの「寺が消える」という番組で紹介されました。

この番組の事をご存知の方が意外と多くて、「その寺の孫なんです」というとびっくりされます

寺は消えたはずなのに、報恩講を毎年勤めている事にも驚かれるようです。

 

浄円寺は無住になっていて、毎年夏に報恩講を勤めるために、

村の方々が私達が着く前に草刈りや掃除をしてくださっています

今年も到着すると、すでにお荘厳が整えられていました

 

毎年夏に行うのは、私達が子供の頃夏休みを利用して何日か泊まっていた事や、

村の方々の田畑の繁忙期の合間という事で続いています。

皆さんお正信偈もしっかりお勤めされます

 

お勤めの後は大悟と木乃実がお取次ぎさせてもらいました。

 

浄円寺の坊守でもあった、前坊守の挨拶で法要は終了。

 

法要が終わってお楽しみの茶話会

 

最後は皆んなで記念撮影「ハイ、じょーえんじっ

 

本当に皆様のおかげで今年も無事報恩講が勤まりました。

暑い中の草刈り、掃除、水道も止まっているので、並大抵の事ではありません。

お寺を守ってくださる皆様がいて、一緒にお勤めをしてご法話を聴聞してくださる。

感謝感謝です本当にありがとうございました。

「寺が消える」と言われても、お念仏は消えません

来年も又お会いしましょー

 

(果)

 


現在地

2012-07-31 16:08:22 | 京都便り

龍谷大学の大宮学舎で、おもしろい看板を見つけました。

ジャン

現在地を示す看板です。が....

 

画像では後ろの景色が反射してわかりづらいのですが、

この看板には「現在地」という文字と、人のマークがあるだけで

他の情報が剥げ落ちてしまっていて、結局現在地がわからなーい

 

この看板を見つけた時、面白いと思ったのと同時に、

ポツンとしている人の姿がとても寂しそうに思いました。

 

知らない場所に行って道に迷って地図の書かれた看板を見るとき、

まず最初に現在地、自分の居場所を確認しませんか?

自分の居場所がわからなかったら目的地にも進めません

 

自分の居場所がわからない、迷っていることすら気がついていない私に

「あなたの帰る場所はここだよ、本願を信じ念仏申す身となって

往生浄土の道を歩みなさい」と喚びかけてくださっていたのが

阿弥陀さまでした

 

~東の岸にたちまち人の勧(すす)むる声を聞く。

「なんぢ、ただ決定(けつじょう)してこの道を尋ねて行け、かならず死の難なからん。

もし住(とど)まらば、すなはち死せん」と。

また西の岸の上に人ありて喚(よ)ばいひていはく、

「なんぢ一心正念にしてただちに来れ。われよくなんぢを護(まも)らん。

すべて水火の難に堕することを畏れざれ」と。

この人すでにここに遣(つか)わし、かしこに喚(よ)ばふを聞きて、

すなはちみづから身心を正当にして、決定して道を尋ねてただちに進みて、

疑怯退心(ぎこうたいしん)を生ぜず。~

          『観経疏』(二河白道)  ~浄土真宗聖典 七祖篇(注釈版)より~

東の岸の声はお釈迦さま、西の岸の人は阿弥陀様です

 

龍谷大学さーん、看板修正してあげてくださーい

(果)