今朝、お寺にカァカァカァカァとカラスが鳴き続けていた。
何かと思うと、一羽の子どもカラスがお寺に迷い込んでいた。
飛べないカラス
羽をケガしてしまったのか動かない
子どもカラスを見守るように親カラスが見守っている。
その姿を見ながら、以前アーユス仏教国際協力ネットワークのリーフレットに寄稿したカラスの話を思い出した。こういう内容でした。
夏の音
ミーンミーンと鳴くセミの声
グェグェとカエルの大合唱
バーンと打ち上がる花火の音
暑い夏の日が思い浮かびます。
あるお盆の日、息子さんを亡くされた方がこんな話をして下さいました。
知能障害を持つ私の息子は、「七つの子」を聞くと涙を流して泣いていました。
「カラスなぜ啼くの カラスは山に かわいい七つの子があるからよ」
歌から子どもを心配するお母さんの愛情を感じていたのです。
とても心の優しい子どもだったのです、と。
僕らの世代はドリフターズ全盛期。
この歌を聞くと、「カラスの勝手でしょ~」と志村けんの顔が浮かんでくる。
カラスの鳴き声から、何を感じるか。
耳では聞こえない、心でしか聞こえないものがあるのです。
いつでもどこでもこの私に呼びかけて下さる声がある。
「大きなつながりの中で大切ないのちを生きているのですよ」
そのつながりを再確認するのが、お盆かもしれません。
今年の夏はどんな声が聞こえてきますか。
こんな文章でした。
カラスの鳴き声がただうるさいなぁと感じてしまう私。ふと、その青年の優しさが思い出された。カラスの鳴き声から、何を感じ取るか。ただうるさいなぁではなく、親カラスの鳴き声には、子どもを思う優しさが込められている。心の眼で物事をみる。曇りがちな心の眼、大切なことを教えて頂きました。そんな季節がお盆なのかもしれません。
(龍)
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