天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

新進気鋭 松本圭介先生

2006-09-28 23:57:44 | 仏教
千葉市で開かれた「門徒総代会・仏教壮年会合同研修会」に門信徒のOさん、Sさんと共に参加してきました。

今回のテーマは、『御消息をうけて』出来ていること・出来ること。
平成23年に迎える親鸞聖人750回大遠忌に向け、私たち一人一人がどう歩むべきかという問いかけ企画であります。

講師は、松本圭介先生。
司会の方が“新進気鋭の先生”とおっしゃっておりましたが、まさしくその通り。
よくマスコミでも取り上げられ注目されている1979年生まれお若い先生です。

パソコン・スクリーンを使いながら、先生が活動されている
彼岸寺(web上寺院)
神谷町オープンテラス@光明寺
精進料理@緑泉寺
誰そ彼音楽会@光明寺
他力本願でいこう!@築地本願寺
などなど、若者が中心に動いている様子・現状などをお話下さいました。

Sさんが、今回の研修会は今までのそれと違う空気があった、とおっしゃっていました。

お寺の研修会で「いかに若者にお寺にきてもらうか」がテーマに設定されることは以前から多々ありました。
若者のお寺離れ・宗教離れが問題となる中、その危機感を肌で感じながらも、内心ではそうはいっても厳しいのではないかと思いながらの議論だったように感じていました。

しかし、
現実に何百人という若者がお寺に集っている姿が、
仏さまに対座して、手を合わせて、お経を読んでいる姿があるのです。

先生のお話の中に「お寺の再編集」という言葉がありました。

私たちは知らぬ間に、「法要とはこうあるべきだ」「お寺とはこうあるべきだ」と型通りに考えようとする。
そこから一歩抜け出し、アプローチを変えて考えてみようというものです。

以前、ベストセラーになった『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』という本がある。
その中で筆者は、
会計の入門書はたくさんあるが、「会計は易しかった」という話を聞いたことがない。
その原因は、決算書や専門用語の解説といった「会計の常識」から抜け切れていないからではないかと分析した。
「入門書」だからと基礎知識を教えようとすればするほど、
語句の説明が難解になり、読者は会計から離れていく、悪循環を生み出している。

そこで考えた。
まずは、会計そのものに興味を持ってもらい、その本質を大まかにつかんでもらうことこそが、本当の「会計の入門」になるのではないか。
日常みんなが疑問に思うことから書いてみよう。
そこで、「さおだけ屋の生計はどうなっているか」ということを解き明かすことを通して会計学を興味深く解説してみようと書いたのが本書だった、と著述の動機を語っている。

この著者の言葉を思い出し、ある意味、お寺もこのジレンマに陥ってしまっているのではないかと考えさせられた。

レジュメに「仏様のはたらきのじゃまをしない」という言葉が載せられていました。
私たちの中に知らず知らず培われてきた概念が、仏教・お寺をわかりにくくしているのではないかだろうか。

お寺を守るとは、
伝統を守るだけではなく、
築かれてきたものに磨きをかけることだと思う。

一人で考えていても始まらない、共に語り合うところから生まれてくる。
それはお寺が本来、人々の悩みに答えるところではなく、
一緒に悩み・考えるところだったことからも分かります。
心を開き、共に苦しみ喜びを分かち合うことから、人の人はつながっていくもの。

そこに、本当の念仏者の集い・ネットワークが広がっていくのだろう。
「I am a Buddist.」という声が広がっていくのだろう。

天真寺では現在のところ、
ヨガ・写経school・お経school・GaGaKu schoolを開催中。
さらに先生のお話に刺激を受け、今度は天真寺農園をやろうかなどという話で盛り上がりながら帰路に着きました。
それぞれにお寺の未来について考えさせていただく、貴重な機会となったことです。

(龍)


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