本日は仏教壮年会の日。
本願寺出版「季刊せいてん」の親鸞聖人と七高僧の教えを読み進めております。
今回は、曇鸞大師の教え①。
曇鸞大師の生い立ちから『往生論註』の他力回向、そして親鸞聖人の自力と他力について学びました。
他力を語る上で注意をしなければならい事。
その前提は、
「老・病・死・愛・憎などの苦は、人間だれも避けることができない。この問題をどう克服していくか。人間は何を理想に、何を目標にいきるべきであるか、これらの問題解決の道を仏教に求められた」(季刊せいてんより)
現実に私が抱えている問題、お金では解決のできない苦悩を如何に乗り越えるかがテーマとなっている。
よく自力はいいこと、他力は人をたよりとする悪いことのように言われる。
本来は、そういう意味ではなく、自分の力ではどうすることもできない現実をどう乗り越えていくのかが問題になっている。
一生懸命に勉強をすること、仕事をすることは大切である。
親鸞聖人は自力は離れるべき事と言われる。
それは、これをやらなければいけないという思いが自分の命を見失わせてしまう怖さも兼ね備えていることを指摘しているのでないか。
そのままの私をありのままに包み込んでいるいのちのメッセージが阿弥陀様のオハタラキである。
如来の計らいの中に生かされている私であることを聞かせて頂くことが大切なのだろう。
これから、じっくりと他力について学んでいきたい。
(龍)
本願寺出版「季刊せいてん」の親鸞聖人と七高僧の教えを読み進めております。
今回は、曇鸞大師の教え①。
曇鸞大師の生い立ちから『往生論註』の他力回向、そして親鸞聖人の自力と他力について学びました。
他力を語る上で注意をしなければならい事。
その前提は、
「老・病・死・愛・憎などの苦は、人間だれも避けることができない。この問題をどう克服していくか。人間は何を理想に、何を目標にいきるべきであるか、これらの問題解決の道を仏教に求められた」(季刊せいてんより)
現実に私が抱えている問題、お金では解決のできない苦悩を如何に乗り越えるかがテーマとなっている。
よく自力はいいこと、他力は人をたよりとする悪いことのように言われる。
本来は、そういう意味ではなく、自分の力ではどうすることもできない現実をどう乗り越えていくのかが問題になっている。
一生懸命に勉強をすること、仕事をすることは大切である。
親鸞聖人は自力は離れるべき事と言われる。
それは、これをやらなければいけないという思いが自分の命を見失わせてしまう怖さも兼ね備えていることを指摘しているのでないか。
そのままの私をありのままに包み込んでいるいのちのメッセージが阿弥陀様のオハタラキである。
如来の計らいの中に生かされている私であることを聞かせて頂くことが大切なのだろう。
これから、じっくりと他力について学んでいきたい。
(龍)
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