黒髪が輝子、茶髪の女の子がAvatar Life Betaでできた輝子のお友達。
Avatar Lifeサービス終了後私はげそ天から足が遠のき、
この方とはたまにコメントを交わし合う程度になりました。
しばらくぶりにログインしたら、この方は既に退会されていました。
どこかのサイトで遊んでいるのかな、もうネット上でお会いすることは
ないのかな。
それともこんなことさえ考えないのが、ネット上のお付き合いなのかな…
ある人とお話していた。
ある、ネットで知り合った人の事になって
その人のことを
「知り合いで…」と言った時。
「知り合い!?だって、輝子さん、その人とは
チャットしただけなんでしょ!?」
あ、そうなのか。
確かにその人とは会ってもいないし、
話してもいない
いま「話してもいない」と書いたのは
音声による会話はしていない、と言うこと。
アバターの服装、立つ位置、アクション、
吹き出しに表示される文を
お互いにPCディスプレイで見ただけでは
「知り合い」ということにはならない
ということなのか。
その人を肉眼で見て、その人の声を直接聞いて
実名と、お住まいもしくはメアド、電話番号を知っていて
年齢、出身地や出身校、家族構成、職業、趣味なんかも知っている
しかも何度かお会いしたことがあり、
食事なんかも同席したことがある。
そういう人を
「お知り合い」っていうのかな。
チャットで会話してる人間関係ってなんだろう?
チャットしただけ
これが数年その人とチャット続けてもやっぱり
「チャットしただけの(自分とは無関係な)人」なのかな?
アバターの姿形を見てもらって
自分の事柄や、
考え方を入力して読んでもらっただけでは
何もならないのかな
それじゃ
文通ってどうだろう
ハムってどうだろう
やっぱりたかが文通相手だろうか
たかが交信相手?
手塚治虫の「ブラックジャック」に
目の見えない少年と足の不自由な少年が
ハムで交信しあう
お互い会えないのをいいことに障がいを隠しあって
架空の
健常者としての毎日の活動の様子なんて教えあう
最後は
目の見えない少年は実は資産家の子供で
お互いの障がいをブラックジャックに大金払って
治してもらう
その手術前に初めて二人は
お互いの真実の姿で会う
という美しい友情物語があるけれど。
行きずりっていうことなのかな
行きずり感って強いかも知れないなーとは思う。
一度チャットして、それきりって言う人はいますものね。
そういう、つかみどころの無い
その場その時間だけの共有体験、みたいなのが
仮想空間の付き合いなのかな。
文通やハム、リアルでの出会いにそれがまったくないということも
ないですよね。
…うーん、何を考えているのか
分からなくなってきた。
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