コロナが落ち着き始めた9月下旬、2泊3日で「奥能登」へ。一路小松空港。航空自衛隊の滑走路使用で、自衛隊機の離着陸の音は、普段の生活にはないので驚いた。空港では雨に迎えられた。
観光バスで、波打ち際を車で走行できる、日本で唯一の「千里浜ドライブウェイ」を走り、『能登千里浜レストハウス』で「貝めし」昼食。一般の自動車や、大型車が走行できる理由は、粒子の細かい砂が海水を含み、車でも走れる砂浜を創りあげ、普通の砂浜のようには沈まないらしい。
昼食後は、『大本山総持寺祖院』へ。正しくは『諸嶽山總持寺』で、約7百年前1321年に開創。隆盛を極めたが、1898年災禍により七堂伽藍の大部分を焼失。機に神奈川県横浜市鶴見に移された。
大本山総持寺祖院山門
『幽玄に総持寺覆う秋の雨』
その後、約2万坪の境内には、焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに、七堂伽藍も再建。山水古木と調和し、曹洞宗大本山の面影をしのばせ、一大聖地となっている。令和3年に開創700年を迎えた。
絶景ローカル線のと鉄道で、穴水駅から能登中島駅に向かう。バスに乗り換え、羽咋市にある今宵の宿『Royal Hotel能登』へ。夕飯は「天然能登ふぐ会席」を美味しく頂く。
朝起きると6階の部屋の窓からは、日本海が目の前に広がる眺望。バイキングで品数豊富な朝食を頂く。本日は晴天で、空はまさしくsky blue。奥能登万歳!
【GONBEEの一言】
七尾市の「能登演劇堂」を山裾に見ながら、ガイドの説明を聴く。仲代達矢氏率いる無名塾と七尾市中島町との交流により、1995年にできた演劇専用のホールで、名誉館長には仲代達矢氏が就任。
1953年、仲代氏は、奥さんとその母を連れて、家族旅行で能登を訪れ、知り合いを訪ね七尾市中島町に立ち寄る。波静かな湾の景色や、黒一色の瓦と、白壁の蔵が織りなす町並みに、ふと「能登本来の美しさを発見することが文化なんだね。こんなところで、無名塾の合宿ができたら」とつぶやいた。そして、「何もないのが能登の良さ」と話していたらしい。
訪れたときは、90歳の仲代達矢役者70周年記念作品「いのちぼうにふろう物語」(山本周五郎原作)を上演中。
90歳でも元気なことに驚く、それ以上に主役として舞台で演じる。そのエネルギーの源は何なのか。「演劇とか俳優」という、生きることでの役目を自覚しているのだろう。だから、「何もないのが・・・」と言い切れるのだろう。
自分の生活の中で、自分に与えられた役目を果たしていくことが、大切なのだろう。それが見つけられない人はどうすれば。「何もない」ことに、価値を見いだすことは理解できるが。
仲代氏のテレビ情報や、能登の話などから考えると思い至る。「目を凝らして見る」、「耳を澄ませて聞く」、「誠を持って話す」。気負うこともなく、真面目に、日々の生活を営むことが大切なようだ。「逆らわず いつもニコニコ マイペース」でgood。