12月16(金)・17(土)日、下田を中心に伊豆半島を散策。今年最後の旅。コロナ禍における厚生労働省の「新しい生活様式」である「移動に関する感染対策」
□感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える。
□発症したときのため、誰とどこで会ったかをメモにする。接触確認アプリの活用も。
□地域の感染状況に注意する。
を遵守しながら一泊二日の旅。旅の目的は、「高足がに」、「S級さざえ」などのグルメ。吉田松陰の「死罪」の原因となった、ペリー来航の史跡の一端に触れる。
1日目から想定外。圏央道から東名高速道に向かう予定でしたが、八王子JCT手前で事故渋滞。急遽、中央道から東富士五胡道路に迂回、富士山を右手に望み沼津へ。昼食は談合坂SC。時間は大幅に予定外、老妻は「富士山」大好き、大喜び。天気も良く、富士山の写真撮影夢中。
おいしいわさびを楽しく学べる「伊豆わさびミュージアム」。 伊豆中央道沿いにあり、「わさび漬」や、三島ブランド認定品「農兵漬」など販売。
続いて「修善寺」へ。先ずは、「修禅寺」参拝。「禅」の字注意。修善寺温泉発祥の寺で温泉場の中心。平安時代初期、弘法大師開基。源氏一族の骨肉相はむ悲劇の舞台。源氏滅亡の場として歴史に名を残す。
「竹林の小径」、温泉街の中心を流れる桂川沿いにあり、石畳が続く遊歩道。桂川にかかる桂橋から、上流の滝下橋にかけて約300m、左右に竹林が続く。京都嵐山を連想させることから、「伊豆の小京都」と呼ばれる。
夕食は、南伊豆の海鮮郷土料理が食べられるお店『伊豆の味 おか田』。お店の人気メニューは、金目鯛の煮付け定食。お目当てのタカアシガニは、大きいと左右の両脚を広げた幅が4mにもなる世界最大のカニ。水分が多いため、蒸しカニで。身は比較的殻から外れやすく、一本一本が大きいので食べ応えも十分。煮詰めたカニミソに浸けて食べると美味。夫婦で一杯のかに。他に、金目鯛の煮付けや、鯛などのお刺身もありましたが、カニだけで満腹。
宿は、「ホテル伊豆急」。遅い時間で闇の入館。朝起きると、目の前に広がる海、白浜海岸を望む絶景のロケーション。5階の部屋の窓を開けると、海と風を感じ、サーフィンに興じる光景に、自然の一部となったような感覚。天気は、今にも雨が降りそうな気配。
温泉は、弱アルカリ性硫酸塩泉の「龍神の湯」と、下田蓮台寺を源泉とする単純温泉の「蓮台寺の湯」の2種類の源泉。夜と早朝に入浴。朝食はバイキング、雨が心配な二日目。
目映(まば)ゆかし下田の海は冬うらら
下田の歴史を学ぶ「下田開国博物館」、幕末開港の街下田の歴史に深く関わる黒船・ペリー、ハリス・唐人お吉、吉田松陰、プチャーチンなど、貴重で興味深い資料が展示。
黒船でやってきたペリー艦隊が、日米下田条約締結の為に、了仙(りょうせん)寺まで行進したことから名付けられた「ペリーロード」。異国情緒あふれるレトロな雰囲気を醸し出す石畳の小道。
1854年、日米和親条約が締結され、ペリー艦隊が開港された下田に入港。「了仙寺」は、ペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所。和親条約の取り決めである下田条約が、ここで結ばれた。
「龍宮窟」は、直径50mほどの天窓が広がる洞窟。見上げると天井部分にぽっかり穴の空いた空間。上には遊歩道があり、一周歩くことができる。洞窟を見下ろすと、ハート型の地形が出現!
昼食は、南伊豆・弓ヶ浜「青木さざえ店」。貴重で大きなS級さざえ付き海鮮御膳、とても満足。
「浄蓮の滝」は、狩野川上流にかかる伊豆を代表する名瀑。ここで雨に降られる。滝までは階段、行きは良い良い、帰りは疲れ果てる。渓流沿いには天城名物のわさび畑。石川さゆりの『天城越え』の歌碑。
最後は、高速インター近くの沼津グルメ街道の駅、「龍宮海鮮市場」でお土産。
【GONBEEの一言】
吉田松陰の『留魂録』は、処刑直前に江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた。「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(たとえこの身が武蔵野の地に葬られたとしても、日本を思う気持ちは留めておきたい)という辞世の句に始まる。享年29歳。
江戸時代幕末、「黒船」という、目に見える危機に直面。その危機を直視する者はごく少数。その危機に対して行動を起こそうとする者たちは、さらに限られる。吉田松陰は、立ち上がり、行動を起こした。
修禅寺
その危機感は、松陰亡き後は、教え子たちに受け継がれ、日本の運命は大きく変わり、明治維新をむかえ、日本の独立は保たれた。
今日の日本は? 自然災害など、目に見える危機に対しては、対策も直ぐに講じられる。全体像が容易に見えない危機についてはどうだろうか。国際情勢は顕著にヨーロッパで危険をはらみ、世界中で混乱を生じている。
龍宮窟
幕末のような緊張感、張り詰めた空気、目に見えるものではない。それらを感じるための、SNSやNEWS等の情報は溢れているはず。一世紀半以上前の人たちに比べて、現代人はセンサーの感知能力が劣化しているのか。思想や行動センサーも、それにともない不能になっているのか。
松陰先生は、誠を尽くして行動すれば、人の心を動かすことができると最期まで貫いた。人の心が動かないのは、自らが誠の心を尽くしていないからだという生き方。
中国の儒学者・孟子の言葉「至誠通天(至誠天に通ず)」の教え。「至誠」とは極めて純粋な真心のこと、「誠の心を尽くして行動すれば、いつかは必ず天に通じ認められる」という意味。自らの生命を掛けて至誠を貫いた松陰先生には、現在の日本はどのように見えるのだろう。