『三樂録』

「善樂」「健樂」「長樂」の探究軌跡。時は満てり、これでいいのだ。

彼岸花

2020年10月11日 | 茶飯事

茨城県を遠のき、被害少なく「台風14号」は去ったようだ。幼少期の台風の日の恐怖も薄れ、いつの日か忘れてしまいそう。彼岸花やリコリスもいよいよ終わりを告げ、菊や紅葉の話題が聞こえてくる季節を迎える。

日残りて

父母遠し

彼岸花 

今年のリコリスは、「オランダ万才」が害虫のせいで花が見られない。したがって、これで最後の開花。

 

「オンシジューム」や「胡蝶蘭」が楽しみを届けてくれているので、家内が「ミニカトレア」を二鉢プレゼントしてくれた。我が家では初めての挑戦。まずは一鉢目が可憐(かれん)な花を咲かせてくれた。花に感謝、妻にもありがとう。

 

ハイビスカスが寒さで枯れてしまった。少し残った鉢の根を家内が面倒(めんどう)みて、この時期に花をつけた。黄色が咲けば二種類とも復活なのだが。

 

恒例の「北海道の味覚」が届いた。この季節は、馬鈴薯(じゃがいも)二種とカボチャ、タマネギ。美味しい季節の挨拶は、うれしい便りだ。

 

【余録】

退職してからは、自分の存在を主張しないようになった。いかに周囲の色に同調して、他人を受け入れるかということを実践してきた。それが「利己主義」にならず、「利他」の生き方だと思ってきた。しかし、納得できないでいた。

 

【コルムチカ】

 

日々の生活の中に「楽しみ」を求める。そうすると「感動」を覚える。感動は、次の「希望」への暗示となる。その「希望」を楽しむためには、どうしたならば良いのかという「工夫」を考えなければならない。「同調」の生き方では、大きな「楽しみ」につながらない。

だから、同じ「希望」、「工夫」で「楽しみ」を求める仲間が必要となる。多くの仲間たちの強い信念で、今まで以上に日々屈することなく生きると、より大きな「感動」となる。

 

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新涼

2020年09月10日 | 茶飯事

いつまにか、更新せずに月が変わってしまった。暑い日々は変わらず、連日の30度越え。台風の被害が放映されたり、朝早く起きると廊下が暗くなって、季節が変わろうとしていることを実感する。退職して、時間的拘束がなくなり、自己管理しなければならないと思うのだが、生来の優柔不断が災いして、目標が果たせない自分にストレスを感じる。

『三楽菜園』は、園主が涼しい時間に、除草作業で日々汗を流している。終わりを告げた夏野菜から、ジャガイモや秋キュウリ、秋ナスなどに作物は変化。今年は久人ぶりに白菜も植栽。リコリスが、季節の変化を教えてくれる。リコリスはマンジュシャゲ科なので、「秋分の日」が近づくと、茎だけ地面から顔を出し花を咲かせる。

 

 

写真1枚だけでもいいから、週1回の更新をと思うのだが、如何ともし難い。今回は、季節の変化に合わせて、自己変革をと強い意志で臨んだ。本当は写真担当者からのクレームが日ごとに増えてきた。

コロナに負けずに夏休みの間も、暑い中を集団登校していた小学生たちも、ここ数日は元気に登校しているような気がする。

 

 

 新涼の

 集団登校

 かしましや

 

 

【余 録】

先生が、入学したばかりの小学1年生に挨拶のお話をしていた。私たちの周りには、出せば入ってくるという「出入りの法則」があります。プラスのエネルギーを出して「おはよー」と声をかけましょう。そうすると、「おはよー」と返ってきます。「ありがとう」とお礼を言えば、「どういたしまして、こちらこそ」と返ってきますと。

 


 
作家の曽野綾子さんは、いまの若者たちは「与えることを知らない」とおっしゃいます。自分にできる小さなことでも、与える習慣をつけることが、人生を心豊かに生きるヒントになる。

若者に限らず、お年寄りにも増えてきている。国が、配偶者が、子どもたちが、友人が「してくれない」。原因は精神的老化か。人間としての与える義務を果たさないで、受けてばかりいると、満足感が得られなくなってしまう。

 

 

自分のことだけを考えて、与えるという一人前の人間としての義務を果たさず、皆で助け合って生きていくということができなければ、日々の生活にプラスエネルギーは生じない。小学生は、プラスエネルギーの発散を直ぐに習得する。若者やお年寄りは? 毎朝、元気に通学する児童に、挨拶をして教えられた。

 

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涼し

2020年07月11日 | 茶飯事

「アフリカハマユウ」は、南アフリカ原産の耐寒性常緑多年草(球根植物)。 夏の夕方に、花茎を伸ばし、初夏の夕方に白いユリのような漏斗(ろうと)状の花を多数咲かせる。花は夜中に満開。虫媒花で芳香のある花に球形の果実。熟した果実から種子が落下し、そのまま海を漂流し砂浜に漂着し発芽。葉は光沢のある緑色。50~60cmの直立した太い茎に、薄い皮に覆われた大きな蕾のようなものを形成し、その皮膜が破れると、中から十数個の蕾が現れる。

花言葉は、「 どこか遠くへ 」、「 あなたを信じます 」、「 快楽 」、「 清潔 」。
軽く大きな種が、波に運ばれてどこまでも流されていくことから付けられた。

 

 

ミニトマト二種「シュガープラム」、「薄皮ピンキー(球形)」

 

「ルコウソウ」は、花は星形で、赤、ピンク、白の花色。つる性で旺盛に伸びるので、「緑のカーテン」として仕立てる。葉が糸のように細く、繊細なレースのカーテン。

 

 

「ケープタウン今年初開花」:花の色変わりが大変美しい大輪房咲きのアサガオ。朝は深いブルーで、午後からピンク系に花の色が変化。秋になると花がしぼまず、夕方まで咲き続ける終日咲きとなり、より美しい花色が秋遅くまで変化。

 

 


 日々涼し

 いまだ似合わぬ

 家人かな

 

【余 録】

最近、「老い」を意識すると、これからどうしようと考えてしまう。ポジティブに考えることができればよいのだが、生来の不器用のせいか、身も心も萎えてしまう。身体にはだるさを感じ、心は投げやりになる。働いていたときは、時間が解決の糸口に導いてくれた。

「萎える」は、男性よりも背の低い女性が、曲がるように踊っていたので、そこから「しおれる」や「曲がる」を意味する。「体力や気力が衰える。弱る」と、「植物などがしなびる」、また、衣服などに用いれば、「着古したり、ノリが落ちたりすることで柔らかくなる」の意味。パリッとピシッと張りがあったものが、シナシナと弱くなっていく感じ。

どれだけの時間が残されているのかは知らないが、「プラス思考で幸せを感じる日々」はどれだけあるのか。これから「家人」となれば、マイナス思考に陥ると、24時間その状態は続く。そうなると、発想転換が求められる。

 

「小玉スイカ」

 

昨今の豪雨は恐ろしく受け入れがたいが、自然は日々の一コマの心弾むワンシーンを与えてくれる。また、人間も驚きの優しさを感じるワンシーンを見せてくれる。そういう瞬間に遭遇すると、身も心も「張り」が感じられる。

「幕末の賢侯」と称された第八代水戸藩主・徳川斉昭は造園理念を記した『偕楽園記』のなかで、「陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づき、人間もまた屈伸して身体や心の調和を図り、修養につとめよ」と書き表した。学問と武術を勉強する藩校「弘道館」を創設。弘道館で文武を学び、余暇及び心身の休養の場という目的で、1842年に「偕楽園」造園。この両施設の関係性を弓に例え、「一張一弛(いっちょういっし)」という言葉で、修行と休養の均衡の重要性を表現。

 

ブルーベリー収穫:園主曰く、今年は実の生長がよく、収穫が楽しみ!

 

「従心」を迎えるまでに、「一張一弛」(弓の弦の張りを強めたりゆるめたりすること。転じて、人に厳しく接したり、寛大に接したりすること。また、心を引き締めたりリラックスさせたりすること)を、心掛けたい。「萎える」までネガティブにならずに、「弛める」(強く締めつけていたものなどの力を弱める。ゆるくする。精神の緊張を弱くする)くらいで考えられるようになれば良いのだが。「NOシナシナ」、「パリッとピシッと」。「萎」にならずに、「張」・「弛」で踏みとどまることができるのは、家内の存在かな。

 

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昼寝

2020年06月28日 | 茶飯事

「父の日」や「誕生日」、「古稀」と人生の区切りとなる祝い事があった。子どもや孫、家内がお祝いをしてくれた。今までも同じくお祝いはあったのだが、退職して家庭人となったからなのか、皆の気持ちが有り難く感じる。「本当にありがとう」。

 母昼寝

 ばあばに散歩

 せがむ孫

 

 

家内と二人で赤塚駅前にある「レストラン青山」で昼食。大使館などで仕事をしていたシェフの創作料理が噂。30品目、596kcal、塩分2.6gという地元食材で創る、糖尿病の人にも安心して食べられるメニューが評判。

「前菜」は薬膳茶とスープ(にんじんポタージュ)とサラダ(地元産野菜にバナナヨーグルトドレッシング)

 

 

「メインプレート」は、魚(蒸し焼きにカレーココナッツソース)、肉(地鶏錦糸(きんそう)鶏の梅と玉葱ソース、常北アスパラ添えの長芋と蒸し鶏のサラダ)、乳(キノコと白菜のクリームグラタンゆず風味、鶏(おからと奥久慈卵のスフレ、グリンピースソース)、ご飯(有機五穀米)。セットで1.500円。安心して食べられる、専門医監修の糖尿病食にもなる。

 

名入り紫蘇飲料

 

 

孫たちからは、誕生日のケーキ。子どもたちからは、高価なグルメ食材。大きなのっぽの古時計ミニチュア製アオルゴール、名前入り紫蘇ジュースと生まれた日発行新聞のコピー、紫色のちゃんちゃんこ。ステーキランチへのご招待、ポシェット。家内からは、靴、リクエストしたメロン、スイカ、サクランボ、トウモロコシとランチ。

 

 

 

【余 録】

コロナ禍による陽性者が再び増加してきた昨今、若者の罹患(りかん)者が増えていることが気になる。『論語』で孔子は、「子曰く 年四十にして悪(にく)まるるときは それ終らんのみ」といっている。二十代、三十代は仕方がないとは言い切れないが、四十歳になっても分別がなく、自分勝手で迷惑をかけ、他人から悪口を言われるようでは、前途の見込みはないと、バッサリ切り捨て。

 

ふぐグルメ

 

コロナ問題がなくとも、変化が激しく、グローバル化が著しく進む現代社会で、自分がどうやって生きるのか、今しておかなければならないことは何か。それぞれの年齢に応じて、自分で考え、学び行動していくかということが必要になる。そして、他人といかに共存していくかということが。

 

普段用の靴

 

二歳と四歳の孫を見ていて感じることがある。幼少にして「頑固」。わがままなのか、自分勝手なのか、意地を張って、自己主張を押し通す。孫を見て感じたが、改めて見渡せば、周りにたくさん頑固な人がいる。考え方が頑(かたく)なで、柔軟性が乏しく、融通性がない大人。それとも、人間として完成に近づき、自己が確立されている本物の「頑固者」。

 

【シュガープラム】高糖度ミニトマト「シュガープラム」の4つの特長!  

1、甘い!糖度約10~12度のフルーツのような甘さの高糖度トマト。さっぱりした酸味もありバランスのとれた味でパクパク食べられる。(糖度は2013年7月測定時) 
2、うす皮新食感!薄皮で皮と実が一体化しており、皮が口の中に残らない。食べやすい食感がやみつき。 
3、高リコピン!抗酸化作用が強いといわれるリコピンが通常品種のミニトマトの1.5~2倍含まれており、おいしく栄養がとれる。(リコピン10.53mg% 2013年7月測定。)  
4、簡単に作れる!鉢植え、地植え、どちらでも栽培しやすく、簡単においしい実が作れる。

開発会社PCから 

 

孫たちは、ものを知らないので、考える力が弱いことが原因。大人に当てはめれば、知識は当然だが、「世間の常識や習慣」などに疎いということ。「道徳」などにも関心が薄いので、「利己主義」が強くなり、「利他主義」の発想ができない。また、人間としての度量の問題もあるかもしれない。

 

デラウェア

 

そして、今までの学びが「考える」ということより、「暗記」という知識量を重視した教育で育ってきたことも原因。解答を導き出すプロセスよりも、1つの正解を導き出すシステムを構築することを教えられた。文部科学省の「新学習指導要領」に取り入れられた「正解のない問題」の指導も、学校現場では未(いま)だ定着はしていない。それならば家庭で保護者が積極的に実践すべき。

 

十勝こがね

 

学校や家庭おける自分の学びや体験を押しつける教育で、我が子たちに頑固に接していては、「経験泥棒」になるだけ。これからの時代に対応できる人間には育たない。

 

今年も自家製梅干しは南高梅

 

何としても大切なのは、「真剣とか本気」という積極的態度。そして、集中力やブレることのない「専一」であること。絶対に身につけさせるものは、ある程度の期間は考えたことの実践を持続するという「忍耐力」。我が子との会話は、親は聴く人、子は話す人が原則。最初からはできない。親も勉強、家庭の主人公は子ども。自分はできなかったので、我が子たちには謝るばかり。

 

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梅雨入り

2020年06月21日 | 茶飯事

玄関前はラティスを取り除き、アルストロメリアの花壇と、シマトネリコの鉢植えで防犯対策。花が伸びて倒れてしまいますので、野菜の支柱用の棒で対応。アルストロメリアの株は、最近は購入しやすくなり種類も増えた。

 

アルストロメリア

 

あじさい二種。

墨田の花火

 

ダンスパーティー

 

「ブルーベリー」  家内のせん定がよかったせいか、今年はかなり豊か

 

最近の収穫。梅雨入りし、菜園の野菜には適度な水補給となり、収穫も増え、恒例の「お福分け」も始まる。

 

 梅雨の入り

 野菜喜び

 笑顔妻

 

孫たちにと今年も菜園で、2種類の小玉スイカを栽培。順調に育ち、小さな実をつけ始めている。

 

我が家にも届いたアベノマスク

 

久しぶりに見た。1メートル80センチ位の大きな蛇。名前は知らない

 

【余 録】

間もなく、誕生日となる。あと1年で、自分が行う行動は 道徳の規範から 外れることはなくなる「従心(じゅうしん)」を迎える。15歳を「志学 しがく」、30歳を「而立 じりつ」、40歳を「不惑 ふわく」、50歳を「知命 ちめい」、60歳を「耳順 じじゅん」、70歳を「従心 じゅうしん」。自分なりに、目標とし努力はしてきたが、納得できることは少なく反省多し。

 

「黒バラ」といわれる濃い深紅のバラ

 

満年齢に換算すると、69歳は「古稀」になる。唐時代の詩人・杜甫の「人生七十古來稀」(人生70歳まで生きることは稀なことという意味)という詩の一節による。

今では、「古稀」は「古希」となった。昔は70歳を迎えるのは非常に稀だったが、いまでは平均寿命が伸び、稀ではなくなった。「稀」が常用漢字ではないことなどが理由。

 

「桔梗」 家内は植栽した記憶がないと言っているが、寄せ植え鉢で咲いているので間違いない。家内も還暦を過ぎていますので、あぶない危ない。

 

古希祝いのテーマカラーは「紫」。昔から「紫」は特別な色として崇められ、高位の人しか身につけることが許されなかった。そこで、長寿への敬意の表れとして紫色の物を贈った。また、仏教では「魔除けの色」として使われている。

いつの日か「魔除けの存在」として、人に安心感や楽しさを感じてもらえるようになりたい。そのためには、先ずは家内に「楽しい」日々を過ごしてほしい。しかし、私だけでなく、家族や親類縁者など、多くの人たちの「健康」を心配し、「皆がつつがなき日々」を過ごすことを願い、安寧の日々は遠いようだ。

 

昨年購入したダリア

 

私や家内に限らず、人間誰しもが「生老病死」についてはままならない。現在、家内も私も、「老・病」に悩みや不安があるが、どうすることもできない。そうなると、ポジティブに考えるしかない。竹内まりやの「人生の扉」では、

 I say it's fine to be 60  私は言う「60歳になるのもいいんじゃない」

 You say it's alright to be 70  あなたは言う「70歳になるのも悪くはない」

 And they say still good to be 80  そしてみんなは言う「80歳だってまだまだ大丈夫」

 But I'll maybe live over 90  でも私は90歳過ぎまで生きるかも

退職し家で二人での時間が多くなり、近々誕生日を迎えるにあたり、「悪くはない」は「楽しい」と考えた。それならば、家内が「笑顔」になる時間を増やしてあげればと。皿洗いも良い、洗濯も悪くない、掃除もGOOD、旅行もVERY GOOD。だけれど、そうすることが目的ではなく、家内が「笑顔」になることが本位。

 

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初蚊

2020年06月06日 | 茶飯事

メダカを飼って楽しんでいる。ヒメダカ、ミックス、楊貴妃、楊貴妃ヒレなが、ミユキ、オロチとサタン。睡蓮鉢は6個、水槽6個で育てている。今は産卵時期(5月~9月)なので、朝起きて鉢や水槽を眺めるのが楽しみ。一週間から10日くらいで孵(かえ)る。

メダカの子どもは、「針子(はりこ)」と呼ばれ、とても小さい。産卵床に卵を産み付かせ、別の水槽で孵して育てる。

メダカの孵化(ふか)用水槽を訪れたお客様「カエル」。中に入って、卵や針子を食べるわけではないだろう。

日中の温度が30度を超える日もあり、外での作業は汗との戦い。菜園での農作業の合間、風通しのよい縁側で涼みながら、お茶して一休み。いやなモノを見つけた。姿も音も。花粉症が終わってほっとしていたのに。11月初旬頃までお付き合いしなければならない。

 

 こじはんの

 涼み邪魔する

 初蚊かな

 

毎年、北海道の妹から季節の便りが送られてくる。「北海道産アスパラガス」と書かれた袋から取り出し、まずは香りから頂戴する。家内がいろいろなレシピに挑戦して食べる。「ありがとうございます!」。ワクワクして楽しい。

 

アマリリス

 

キュウリ

 

玉葱

 

オンシジューム二種。胡蝶蘭も良いが。大切に面倒をみている。5年か6年ほど、すばらしい花を咲かしてくれている。

 

退職の際、子どもたちから贈られた花束の中にあったバラを、家内が鉢植えにして咲かした

 

【余 録】

『三樂録』は、善いことをし、健康で、長生きをして楽しむ。自分自身だけでなく、周りの人たちも一緒に楽しむことをテーマにしている。「私欲」に極力煩わされないようにし、「利他の心」を絶対忘れてはならない。この気持ちで日々過ごすことができれば、自(おの)ずと「楽しい」を感じる。外に求めるのではなく、自分の人間性から湧き出てくる「楽しみ」と考える。

 

な す

色を見、声を聴き、ものを食べ、香りを嗅ぎ、身体全体で触れるという、自分の五感(視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚)で得たものを、「脳」がどう判断するのかという「感性」こそが、「楽しみ」につながる。

「楽しみ」という「満足感」、「充実感」、「集中力」などは、本来誰もが持っている。しかし、自分自身ではなかなか感じることが難しい。「外物」に触れることによって、「感性」が助けを得て「楽しみ」の感情を盛んにしてくれる。多くの外物に触れ、自分の五感が、内なる感性を「楽しみ」にしてくれる。「ワクワク」、「ドキドキ」、「一心不乱」などを探求することが、「楽しみ」の感性。

 

  

小玉スイカ二種

 

家内も「楽しみ」を感じ、二人で長生きできるように、今までは家内にしてもらっていたことを、自分でするようにしたい。甲斐あって、一ヶ月で1㎏ずつ体重が減ってきた。成果もあると楽しみも増す。

 

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春色

2020年04月14日 | 茶飯事

3月26日(木)、家内と長姉の女子会ドライブ。目的は、近場での桜観賞。今年の春は暖かいという天気予報通りに、暖かく、澄み渡る青空、絶好のドライブ日和。水戸は満開、日立は蕾と地域差がかなりあったよう。

昨日4月13日(月)、全国的に荒れ模様の天気。水戸は「暴風警戒警報」が発令され、「大雨・雷注意報」も出た。今日は天気は良いが、時折強風が吹き荒れる。家庭菜園は、家内の除草作業が始まり、チューリップや日本桜草など華やぐ。葉物を中心にした春野菜も、朝昼晩の三食の膳に美味しさを添える。肥料と調味料は、家内の「汗」と「思いやり」と、密かに思って食している。

 華やぐ膳

 春色野菜

 妻の汗

「水戸大師六地蔵寺」のシダレザクラ。六地蔵寺は水戸藩第2代藩主徳川光圀公ゆかりの寺で、境内に残る法宝蔵は光圀公が建立。墓地には、彰孝館総裁をつとめた立原翠軒や大日本史の完成に力を尽くした栗田寛の墓。そして、樹齢200年の見事なシダレザクラは、光圀公が鑑賞した桜の子孫といわれ桜の名所。樹齢1,100年を越える大杉や800年の大銀杏もあり、静寂な景観。

 

令和2年の3月末日をもって「退職」。43年間の勤務。家内の39年間の手作り弁当。「ヤレヤレ!」 仕事の残務整理や御礼など、忙しい3月末から4月初め。日が経つにつれ、「責任」という言葉が少しずつ遠のき、「ホッ」としている。常に正解のない状況の中で、判断を下さなければならない重圧は、相当なものだった。ましてや、結果を論ぜられる緊張は、如何ともしがたかった。

しかし、最後の職場では、花束と一言が書かれたメッセージの綴りをいただき、多くの皆さんに見送られた。職場は再雇用を含めると三度変わったが、初めての経験で思わず「感謝」という言葉が浮かぶ。

 

 

また、子どもたちからも多くのお祝いをいただく。感謝状のケーキやベルトに付けるポシェットなど、ありがたいものだ。「うれしい」という言葉をかみしめた。

そして、私や家内の兄弟からも「心」のこもったお祝いが届けられた。盛花や胡蝶蘭、真の肉を実感させてくれたすき焼き肉や、しゃぶしゃぶ肉、米など、本当にうれしかった。

「定年退職」ということは、人間の生涯では大きな区切りだという実感が湧いた。さあ、これからどうしましょう。友人は、一人ではなく奥さんと一緒に長生きをしたいからと、今までは奥さんがしていた家事で、自分ができることは代わりにやるようにしているそうだ。また、一日中一緒ではお互いに気疲れしてしまうのではないかと、簡単な作業などのアルバイトをして、奥さんにも小遣いをあげている。ぼけ防止のために放送大学で、勉強もしている。

 

 

見習うことはあるようだ。確かに、私にしても、家内にしても、一人だけでの長命は望んではいない。これは、これからの生活一番のテーマ。そのためには、慌てずに追い追い考えれば良いだろう。時間はある。

詩人坂村真民さんの60歳に創作された『しんみん五訓』には、
  クヨクヨするな  
  フラフラするな  
  グラグラするな  
  ボヤボヤするな  
  ペコペコするな
とある。気持ちが重なるところもある。従来通り、「コツコツ」と、「淡々」とやるべきことは熟(こな)して終活をしていきたい。先ずは、ブログ『三樂録』を一週間に一度は更新。ボチボチと!

 

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冬日向

2019年12月03日 | 茶飯事

令和も12月になり、残すところあと一か月。「終わりよければ・・・」に倣って、夫婦ともに、健康管理に努めたい。
 
退職を機に増築してもらった六畳部屋。在宅時はそこに籠もっています。朝から夕方時まで陽(ひ)が差し込み、夏季は暑くて大変ですが、冬はとても過ごしやすい。部屋用にと家内がプレゼントしてくれた「ミニコチョウラン」。花芽が多く楽しめそう。感謝!。

 
 
神奈川の姉から送っていただく「糀(こうじ)」で、毎年家内がつくる「手前味噌(みそ)」。作り方はお袋が作っていたのを見ていた記憶とネット情報。昨年の12月に作り「瓶(かめ)」で寝かせて、みそ汁や調味料として、いよいよお披露目。「手前味噌」ヨロシク、少しだけ身内にも「お福分け」。喜ばしいことです。



 9月の来宅時に姉夫婦から頂いた苗の花が咲きました。名前を聞くのを忘れ、今は「名無し」。ヨーロッパの童話に登場する「紫の妖精」のよう。いつも何かとお世話になり、感謝ばかりです。
 
 メダカ群れ
 
 温もり探す
 
 冬日向

 
今年の「干し柿」は、茨城産と福島産の柿使用。小さい柿は干し上がり、試食済み。大きいものも間もなく。結婚してから、毎年作ってもらい食することができるのは、我が「良妻」の内助の功。今年のものも大変美味で、有り難いことです。



「秋ジャガイモ」は、今年は順調。先月末の29日(金)に霜が落ち、地上部が萎えてしまったので、急いで収穫。これからは今年再びの新じゃが。嬉(うれ)しいことです。
 


秋空を背景に「黄」が映える「ゆず」。今年は、大きな二度の台風により、表面がトゲでちょっと色変わりしていますが、食用、調理には問題なし。収穫は私の担当ですが、トゲ有る枝の片付け、ゴミ出しは家内担当。頭が下がります。

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遅桜

2019年04月24日 | 茶飯事

盆栽の藤が今年もいい色の花を咲かせてくれました。いよいよ「GW」間近。連休中に山方面に毎年でかけ「山藤」を見るので、我が家の藤が花見頃になると、「いよいよ」かなと思います。しかし、例年、前半は河原子の剪定、防虫駆除、除草作業と大変です。何日かかることやら?

22日(火)、恒例の長姉と家内の珍道中。大洗海岸で「潮干狩り」。干潮時間に合わせて、人、人、人。


二人でアサリが1.5Kgほど捕れました。この日は、干潮が11時50分頃でしたので、二時を過ぎると皆さん終了。我が家では夕食の膳にすべて出されました。「アサリご飯」、「アサリの酒蒸し」、「アサリのすまし汁」と、「ご馳走様でした」。「感謝」、「感謝」。

 
お昼はコンビニで買ったパンと、家で作ったおにぎりで済ませ、そこから「静神社」に足を運びました。

 遅桜

 昏るるに遠し

 散る桜


「ボタン桜」は満開にはまだ早かったようです。我が身も「桜」。「何桜?」


【おまけ】

昨今、人間関係に起因するトラブルや悩みなどを考えると、「恥を知る」ということを気遣うと解決する事例が多々あると思う。「恥を知る」とは、(1)恥じること。自分の欠点・失敗などを恥ずかしく思うこと、(2)それによって名誉や面目が損なわれる行為・事柄、などの意味がある。

新渡戸稲造著述の『武士道』では、『恥の感覚(廉恥心)は、青少年の教育で大事に育てるべき最初の徳の一つであると述べられている。「笑われるぞ」、「名が汚れるぞ」、「恥ずかしくないのか」といった言葉は、青少年の行動を正すための言葉でした。また、『羞恥の感覚は、人類の道徳的自覚の最も早き兆候である』と述べ、さらに、『恥はすべての徳、良き風儀ならびに、善き道徳の土壌である。』とも述べている。



【ダリア】
 
菜園では、鉢植えの「ダリア」が見頃です。これ今年2回目の開花です。

孔子は「論語」で、恥が悪から善に向かわせる内面的な動力であると説き、「恥の観念」は、道徳や礼儀によって養われる内面的な倫理意識であるとしている。孟子は、「恥」は人間の本能的な道徳感覚であり、これをそのまま発展させれば「義」となって実を結ぶと説いている。
 
例えば、電車の中で化粧したり、路上やコンビニの前の地面に座り込む若者。言い訳や言い逃(のが)れ、人のせいにする政治家や経営者。「恥を知れ」という感覚が、希薄になっているとしか思えない。

明治20年代に、イギリス人の小説家、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本人は礼儀正しく、恥を知っていると書いている。しかし、現代では、姿の美しさとか、慎み深さ、礼儀正しさという、「品性」とか「品格」を、「自由」に置き換えてしまっているような気がする。日本人のよきメンタリティが、失われていくのではないかと寂しく思う。

 
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春爛漫

2019年04月08日 | 茶飯事

『三楽菜園』は、「花桃」が見頃です。また、しだれ桜も満開。

我が家では、家内が娘たちや孫とともに、4月5日(金)は「お花見ツアー」。孫がよく食べるので、いつものいちご農家で美味しいものをゲット。まずは、護国神社と桜山、近所の安国寺と回ったようです。孫たちも、桜の花びら拾いに、大はしゃぎ。

 
仙台しだれ桜
 
 風温(ぬく)し
 
 はらむ垂(しだ)れや
 
 盆栽さくら


護 国 神 社


桜 山


安 国 寺
 
3月20日(水)に、長姉と家内で珍道中。娘が休日であり、朝の「茨城放送」でのニュースを聞いて、母親孝行でドライブ。

 
 
【おまけ】

元号が変わり、いろいろとそれにちなんだ情報が目につきます。私は、明治天皇御製

『目に見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり』

が気になりました。意味としては、目に見えない神様の御心(みこころ)に照らし合わせ、自分の心が少しも恥ずかしくなければ、それは、人の目を気にしたり、体裁や見栄(みえ)で繕(つくろ)った心ではなく、純粋で清らかな、人としての「誠」の心であり、自信に満ちた力強い、最も貴い心であると、教えている和歌とのことです。

文武天皇(第42代の天皇 (在位 697~707) 。母は元明天皇。)の御即位の宣命その他にも「明き浄き直き誠の心、浄き明き正しき直き心」という言葉が書かれています。


安 国 寺

『古事記』にも書かれているそうですが、日本人の精神支柱に深く根ざしてきた心とは、『アカキ、キヨキ、ナオキ、タダシキ』心である。これこそ日本人の心であり、魂の拠(よ)り所である、といわれる由縁なのかもしれません。

日本人の祖先は、光明(アカキ)を求め、清浄(キヨキ)を愛し、万物を素直(ナオキ)に受け容(い)れ、正直(タダシキ)に生きるよう、毎日、不断の努力を惜しまぬ民族であったということの証明かもしれません。

日々、「素直に・明るく・正直に」生活していくことが、日本人としての努めだということです。

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