私は、要約筆記の奉仕員として
登録しています。
要約筆記というと
耳の不自由なかたに
手書きもしくは、PCで
もっと大きな場合は スクリーンに文字を
映し出したりして
話している言葉を
要約しながら、伝えていくことなのです。
目の不自由なかたは
白杖という 杖を持っておられたりするので
目が不自由な方なのだ、という認識が
わかりやすいのですが
耳の不自由な方は
比較的 ぱっと見た感じ
わかりにくいのです。
そして、非常事態が起きた場合など
本人だけで、行動されている場合
マイク放送などで 案内をされていたとしても
ご本人は、全く何が起きているのか、
認識できないまま。ということも 起こりえるのです。
だいたいは、要約筆記の要請があると
そのお手伝いをしに
登場するということになります。
この土地でも かなり前から
要約筆記のボランティア活動が活発で
色んな場面で 要請を受け
活動してこられているようで。
土地土地の 方言のような 言葉もあるらしいですが。
一応、標準的な 言葉で、要約筆記を
行うのが、一般的です。
コミニケーションの話が 出たので
つい。
要約筆記の 話をしてみたくなりました。
耳の不自由な方は、
突発性難聴。で 不自由になられた方も多く
それまで、聞こえていた生活から
突然、音の聞こえにくい、もしくは
全く聞こえない状態になられるので
手話が、できる方がいらっしゃるとは
限らないのです。
耳の不自由な方で、ご高齢となると
なおのこと。
文字で 情報を得たほうが早いという方もおおいのです。
それで、病院で、先生の説明を受けたい時とか
役所に行って 手続きをしたい時とか
もちろん、色々な、会合に参加したいけれど
情報を得るのに 困る・・・と
言うような場合、個人的に要約筆記を求められることもあります。
数年前 私は
PCで チャットなとど呼ばれる 遊びを盛んにしていました。
それで、自分のタイピングの速さを利用して
何か役に立つものは、ないかな?と
探していたら
要約筆記に巡り合ったのです。
ただし、言葉全部を、文字に変換すると
多すぎて 会話や、お話、講義など・・・・
目で、情報を 集めるのに
疲れすぎる。ということも 学びました。
そうです。
市の 要約筆記の 養成講座というものに参加して
有る程度の、基本知識と、耳に関する 勉強なども
得ました。
それこそ、コミニケーションです。
耳が不自由だから、社会参加も段々おっくうになって
家での生活だけ。という方もいらっしゃいます。
でもそれだけでは、情報が少なく
楽しみも少ない。
家の人に話すのでさえ、
何度も 「なに?何を言っているの?」と
繰り返しているうちに
家の人は、「もう~・・・何度も話しているのに聞こえていないのね」と
会話するのに疲れて話したがらない、ということに
なっている場合もある。
と、聞きました。
悲しいですよね。
一度 耳が不自由な方のことも、考えてみてくださいね。
まだまだ、色々ありますが
長くなりますので 一応 今日はこの辺で。
TAKE
登録しています。
要約筆記というと
耳の不自由なかたに
手書きもしくは、PCで
もっと大きな場合は スクリーンに文字を
映し出したりして
話している言葉を
要約しながら、伝えていくことなのです。
目の不自由なかたは
白杖という 杖を持っておられたりするので
目が不自由な方なのだ、という認識が
わかりやすいのですが
耳の不自由な方は
比較的 ぱっと見た感じ
わかりにくいのです。
そして、非常事態が起きた場合など
本人だけで、行動されている場合
マイク放送などで 案内をされていたとしても
ご本人は、全く何が起きているのか、
認識できないまま。ということも 起こりえるのです。
だいたいは、要約筆記の要請があると
そのお手伝いをしに
登場するということになります。
この土地でも かなり前から
要約筆記のボランティア活動が活発で
色んな場面で 要請を受け
活動してこられているようで。
土地土地の 方言のような 言葉もあるらしいですが。
一応、標準的な 言葉で、要約筆記を
行うのが、一般的です。
コミニケーションの話が 出たので
つい。
要約筆記の 話をしてみたくなりました。
耳の不自由な方は、
突発性難聴。で 不自由になられた方も多く
それまで、聞こえていた生活から
突然、音の聞こえにくい、もしくは
全く聞こえない状態になられるので
手話が、できる方がいらっしゃるとは
限らないのです。
耳の不自由な方で、ご高齢となると
なおのこと。
文字で 情報を得たほうが早いという方もおおいのです。
それで、病院で、先生の説明を受けたい時とか
役所に行って 手続きをしたい時とか
もちろん、色々な、会合に参加したいけれど
情報を得るのに 困る・・・と
言うような場合、個人的に要約筆記を求められることもあります。
数年前 私は
PCで チャットなとど呼ばれる 遊びを盛んにしていました。
それで、自分のタイピングの速さを利用して
何か役に立つものは、ないかな?と
探していたら
要約筆記に巡り合ったのです。
ただし、言葉全部を、文字に変換すると
多すぎて 会話や、お話、講義など・・・・
目で、情報を 集めるのに
疲れすぎる。ということも 学びました。
そうです。
市の 要約筆記の 養成講座というものに参加して
有る程度の、基本知識と、耳に関する 勉強なども
得ました。
それこそ、コミニケーションです。
耳が不自由だから、社会参加も段々おっくうになって
家での生活だけ。という方もいらっしゃいます。
でもそれだけでは、情報が少なく
楽しみも少ない。
家の人に話すのでさえ、
何度も 「なに?何を言っているの?」と
繰り返しているうちに
家の人は、「もう~・・・何度も話しているのに聞こえていないのね」と
会話するのに疲れて話したがらない、ということに
なっている場合もある。
と、聞きました。
悲しいですよね。
一度 耳が不自由な方のことも、考えてみてくださいね。
まだまだ、色々ありますが
長くなりますので 一応 今日はこの辺で。
TAKE
こんばんは
いつもコメントありがとうございます。
聴導犬いるんですよ。
すごくいいところに、目をつけていただきました。
そうなんです。いるんです。
盲導犬はずいぶん有名なんですけれどね。
それに、まだ続きがあるんですよ。
日記に載せますね。
京都も寒いですよ~~
お出かけなのに、コメント入れてくださって、ありがとうございます。とてもうれしいです。
お身体、気をつけてくださいね。
TAKE