てつやんの日々尽力

健康第一をモットーに、体にいい食のこと、美しい風景、読書等、自分がいいと思ったことを記録していこうと思い、開設しました

「長い道」・「少年時代」の舞台を訪ねて =文学館の章=

2023年02月02日 | 日記

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富山市の「高志の文学館」のイベントで、兵三先生の作品の展示があり、「長い道」以外の作品の解説もあったので見てみた。その中で「兵三先生の描いたものたちは、つい読者が自らの記憶を辿ってしまう魅力を持っている。不安に生きる時代の心の支えとなり得るものだと感じた」と書かれている。この部分は「長い道」の中にも忠実に描かれている。私はこの中に地理的な要素がいくつかあり、富山の味噌、富山の米、北アルプスの風景、能登半島の見える海岸が書かれているので、ここから調べればなぜ「長い道」を書こうと思ったのか分かるかも知れないと思ったのだが、それは間違いではなかった。この地理的要素も兵三先生のこだわりの部分であり、それらを力強く表現しているのだ。

画像:高志の文学館

兵三先生は「現代にとって文学とは何か」の中で、「私は自分の現実感覚を研ぎ澄まし、普通には見えないものを気づくという一種の浸透力のようなもの自分のものにしたいと思う。そして一つの目ではなく、複眼を自分の中に内蔵したいと思う」と書いている。この複眼の要素は、今回の取材で私も持ちたいと感じた。複眼で見ることにより、様々な発見があるからだ。

今回のまとめで地理的要素を交えて、「長い道」だけでなく他の作品をチェックしてみて、私は次のように感じた。兵三先生も「富山と私」の中に、「ものが豊かなことは結構だが、ただ今の世の中それが度を過ぎているのではないか」ということを懸念している。これは兵三先生が戦争を体験し、ものがない時代を体験し、また疎開生活で農業の大切さや、自然の営みの素晴らしさを作品中に描いている。私もそれを感じたから共感したのだ。兵三先生がこれを書いてから50年近く経過したが、今は当時以上に大量生産大量消費の時代である。ただ食料の自給率や環境問題等を考えると、果たしてこれでいいのか?と疑問に感じる。なのでバランスを取ることが重要なのではないかと感じた。

兵三先生は新聞記事や随筆でも富山のことをたくさん書いている。また越中を舞台にした歴史小説を書く思いもあったそうだが、それを果たせずに38歳の若さで旅立たれた。私は取材を通じて兵三先生は本当に富山に愛着があり、もっと富山のことを書きたかっただろうと感じた。

=朝日・高岡・氷見の章=へ続く

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