読書家ではないので
自分の本棚を見て
みっともねえなぁといつも思う
本棚に多いのは
何かを学ぶための
技術書とか参考書的な本が多い
絵や音楽の…
これは本とは呼べないかw
趣味の読書は
いつもバイオリズムがあって
一年のうち何度か
無性に読みたくなる瞬間
集中する期間がある
今年初めに「夜と霧」を読んだ
しばらく何も手付かずだったのだが
東浩紀氏がニコニコ動画でやっている
ゲンロンチャンネルで、
一人語りをしている
過去の放送を少し前に視聴した
そこから
アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」
ミルグラムの「服従の心理」
國部功一郎「中動態の世界」
と読んで
雑誌ゲンロン10号と11号に掲載されている
東浩紀氏の論考「悪の愚かさについて」を読んだ
超越者のいない、超自我のない悪
中動態の加害
なんとなく殺す、何げなしに犯す
フィクションによく出てくる悪が
俳優の自尊心の肥大で
過剰に"狂った"演技をするように
我々は悪と言うと
異常な狂気を想像するけれど
それは結局想像上のものでしかない
現実はもっと正常である
なんとなく
なにげなし
そうやって犯される暴力の恐ろしさが
ゾッとする実感として迫る
哲学者・東氏の思考の凄みに打ち震えた
読み終わってふと
映画監督の塩田明彦氏の授業を
思い出した
それは日本映画における"敵"について
1950年代は初代ゴジラ
70年代は女囚さそりシリーズ
90年代は黒沢清監督のcure
それぞれの映画から見る
日本人にとっての
その時代における"敵"の描かれ方は興味深い
ゴジラがイメージされるものは"戦争の記憶"
つまり50年代における日本人にとっての"敵"は
二度と体験したくない戦火であったのだと
塩田氏は考察する
70年代は権威や体制、
90年代は見知らぬ隣人が
日本人がその時代時代で
ある一定の共感を伴って想像できうる
打倒すべき"敵"なのだと説く
この授業を受けたのは
2003年の映画美学校でのこと
その時の締めくくりは
00年代における敵の描き方をここから模索しよう、であった
あれから20年あまり経ち
さて
10年代の総括とか
20年代、ここからの敵について
考えを馳せてみる
東浩紀氏の論ずる
なんとなく犯される暴力は
増えていってしまうような
恐ろしい予感を感じる