手と手をあわせて、幸せとか。
まあ、そんな話であるw
私の母は、くも膜下出血の後遺症で
自分で自由に動くことが
あまりできない。
あまりと書いたのは、
麻痺してはいるが、
自分の意志で動かせる部分もあるからだ。
加えて母は言語機能障害もある。
これもくも膜下出血の後遺症で
脳の言語をつかさどる機能が損傷し、
言葉を話す事ができない。
医学的には、
こちらの話も理解しているかどうかはわからない。
喉に何か損傷があるわけではないが
奇声やうめき声すら発さない。
脳がやられると
人間の機能の失われ方というのは
本人が喋ることができない以上
外から想像するしかない。
これは母が病気になって始めて実感できたことだ。
時折、麻痺している手を必死で動かす事がある。
たいていは、不快を訴えるサインだ。
起きている時でも、
寝ている状態の時でも
体に力が入る事がある。
そういう時
不快だろうと思われる箇所を
さすったり、かいたり、揉んだり、
たんを吸引したり、体勢を変えたりと
いろいろ手をつくす。
それでも手を動かし続ける時がある。
こういう時は
万事休すで、ほうっておくしかない場合もある。
介護をはじめた当初は
声を出さずに動かし続ける手に
ノイローゼぎみになった事もあった。
万策尽きたと一時は思っていた母のそのサインが
実はもっと単純な事を訴えているのではないかと思ったキッカケがあった。
父が、
母の目をじっと見つめ返し
その手を握り返すのを見た時だ。
しばらくすると
母が落ち着いてスヤスヤと眠ったのだ。
手を握ると落ち着く。
こんな単純な事にも気づけない自分に愕然とした。
孤独の怖さを知らされた気がした。
母はきっと今も
自分を襲う何かと
ベッドの上で戦っている。
それはきっと
とても勇気のいることだろう。
心が折れそうな時
母は必死で動かない手を動かして
助けを求める。
母が戦いをやめる日まで
父と私で
その手を握り返す事をしたい。
今宵の一曲
「STEP OUT/JOSE GONZALEZ」
まあ、そんな話であるw
私の母は、くも膜下出血の後遺症で
自分で自由に動くことが
あまりできない。
あまりと書いたのは、
麻痺してはいるが、
自分の意志で動かせる部分もあるからだ。
加えて母は言語機能障害もある。
これもくも膜下出血の後遺症で
脳の言語をつかさどる機能が損傷し、
言葉を話す事ができない。
医学的には、
こちらの話も理解しているかどうかはわからない。
喉に何か損傷があるわけではないが
奇声やうめき声すら発さない。
脳がやられると
人間の機能の失われ方というのは
本人が喋ることができない以上
外から想像するしかない。
これは母が病気になって始めて実感できたことだ。
時折、麻痺している手を必死で動かす事がある。
たいていは、不快を訴えるサインだ。
起きている時でも、
寝ている状態の時でも
体に力が入る事がある。
そういう時
不快だろうと思われる箇所を
さすったり、かいたり、揉んだり、
たんを吸引したり、体勢を変えたりと
いろいろ手をつくす。
それでも手を動かし続ける時がある。
こういう時は
万事休すで、ほうっておくしかない場合もある。
介護をはじめた当初は
声を出さずに動かし続ける手に
ノイローゼぎみになった事もあった。
万策尽きたと一時は思っていた母のそのサインが
実はもっと単純な事を訴えているのではないかと思ったキッカケがあった。
父が、
母の目をじっと見つめ返し
その手を握り返すのを見た時だ。
しばらくすると
母が落ち着いてスヤスヤと眠ったのだ。
手を握ると落ち着く。
こんな単純な事にも気づけない自分に愕然とした。
孤独の怖さを知らされた気がした。
母はきっと今も
自分を襲う何かと
ベッドの上で戦っている。
それはきっと
とても勇気のいることだろう。
心が折れそうな時
母は必死で動かない手を動かして
助けを求める。
母が戦いをやめる日まで
父と私で
その手を握り返す事をしたい。
今宵の一曲
「STEP OUT/JOSE GONZALEZ」