【登場人物】
岳飛(がくひ) …文武両道に秀で、忠義に厚い勇士。主人公。
宗沢(そうたく) …宋の元帥。
王貴(おうき) …岳飛の仲間。岳飛の義兄弟。
牛皐(ぎょうこう) …岳飛の仲間。岳飛の義兄弟。
傅慶(ふけい) …蜈蚣山の山賊討伐のために選ばれた100人の兵だった1人。岳飛の義兄弟。
李孝娥 …岳飛の妻。
宗沢(そうたく) …宋の元帥。
兀朮(ウジュ) …太宗の4男。
韋氏(いし) …高宗の母。
邢秉懿(けいへいい) …高宗の妻
「岳母の教え」
慌てて「つまり金へは少しばかり財宝を渡せば、皇太后様と娘娘を連れ戻せるのではないかと」と言う太監。高宗は「では、そのとおりにせよ。銀子や宝石を渡し、金の機嫌を取れ。妻と母上が戻ってこられるなら、それが最上の策だ」と言う。
妻・邢秉懿と再会を夢みる高宗は、そのことばかりが頭に浮かび、ふらふらとした足取りで歩く。そんな高宗と言い争っていた李綱と汪伯彦がぶつかる。高宗は落としてしまった大事な灯籠を急いで拾うと「玉座や柱は傷つけてもいい。だが灯籠だけは許さん」と言う。ひざまずき、許しを請う李綱と汪伯彦。
李綱は「朝廷を惑わす汪殿に罰を」と訴える。灯籠を大事そうに抱えながら「そちの頭の中は二帝や庶民だけで、朕はいないのだ」と高宗は返す。
李綱は「陛下のために宗沢と私は命懸けで汴京を守りました。陛下は都に戻らず、国の財産を使い揚州で宮殿を築くのですか?その噂が伝われば、金は揚州の奪取に来ます。その時には守りの装備もなく、宗沢も精兵もおりません」と言う。しかし高宗は「そちと宗沢は汴京の防衛において必死に知恵を絞った。だが、すべては無駄骨である。堅く守ったところで汴京は黄河に近い。危険な場所なのだ。鉄浮屠が来れば朕たちは飢え死にするか殺されるかだ。朕は帰徳でいつも怯えていたが、汴京なら更に不安になる。李綱、そちは宰相だろう。察するがよい」と話す。
「では揚州行きは陛下のご意志と?」と聞く李綱。汪伯彦は「揚州であれば、はるか遠くの地であり進軍が不便で金も力が及ばないということだ。そのうえ、承州、泰州に常州や宜興などがあり、地形的に攻め難くなっている。揚州に移ればご気分がすぐれるかも…」と説明する。とにかく決めたのだ、天下に布告せよ、と高宗に告げられ、怒った李綱は「もう結構でございます。陛下のご息災を祈っております」と言うと行ってしまう。「あの様子では、職を退き故郷に帰るだろう」と言う高宗。汪伯彦があとで引き留めると言うが、高宗は首を横に振り「行く道を邪魔する石は、どかせば歩きやすくなる」と言う。英明だと納得する汪伯彦。
帰郷する李綱の見送りに宗沢と張所が来る。杯を交わす3人を離れた場所から見ていた高宗は「大したものだ、わざわざ元帥が来るとは。河北で兵を微募していた張所までいる。朕が部隊に救助を要請した時、奴ら口実を設け断わった。李綱の見送りには馳せ参ずるのだな」と言う。「勝手に軍営を離れたのです。罪が軽い場合でも職責を問われ、重い場合は陛下への謀反と見なせるでしょう」と言う汪伯彦。
寒くなれば金はまた南を侵します、私に道をお示しくださいと李綱に頼む張所。李綱は、私が言うべきことはもう何もない、実際に行動に移すことが重要だ、張殿の職務は大きい、貴殿は人材を求めるべきだ、岳飛のような男がいれば憂えることは何もない、と答える。呼び戻すのだ、私の代わりはいるが岳飛のような逸材を逃してはいけないと。宗沢も河北出身の岳飛は地理にも明るく、北へ進軍する時には役に立つはず、張殿が岳飛を連れ戻しに行ってくれないかと話す。「すぐに発ちます」と張所は言い、宗沢は「岳飛の義兄弟を連れていかれよ」と言う。
岳雲と岳霖が近所の子供を叩いているのを見た岳飛は、2人に罰を与える。夕方になっても罰は続いていたが、そこに牛皐たちが。
卓を囲み、岳飛は張所、王貴、牛皐、傅慶たちと酒を飲む。
張所から、お前は勇敢な男だ、1人で何人倒せる、と聞かれた岳飛は、勇敢の“勇”とは“謀”のない“勇”ではいけない、この“謀”が勝敗を決める、部隊は謀略で働き剣法も謀略を使う、どこを攻めるか考える時、ひと目見て攻撃する部位と強度を定める、“私1人で何人倒せるか”その答えは私が何人謀るかで決まります、と話す。攻撃はこぶしを使わず“謀”を用いるという話に納得する張所。さらに岳飛は「将の道とは“勇”ではなく“謀”なきを憂うことです。孫子の言う“まず謀を伐ち、次は交うを伐つ”です。第一の戦術は、まず敵の“謀”を探し敵軍の動きを止めること。“謀”が見つからない場合は、まず交戦し戦いながら探す。“謀”が分かればすぐ奇襲し、そこを崩せば敵は再起不能です」と言う。
岳飛の学識に張所が連れてきた張憲も驚く。張所は「丞相はお前を一介の勇士だと思っているようだ。だが私はお前を策士でもあると感じた」と言う。「では張殿は国士だ」と言う岳飛。将士たちが命懸けで戦うのは二帝を迎え土地を奪い返すため、私の部下の王彦という統制官は、報国の士気が高く顔に字の入れ墨をした、と張所は話す。岳飛は意味を聞く。「“赤心で報国し金賊を殺すを誓う”」と答える張所。岳飛は「豪傑だ」と卓を叩く。
冬になり金はまた攻勢をかけ始め、新郷を占領していた。張所は行軍や陣の指揮に精通している岳飛に、目下の時局をどう読むか知りたいと言う。しばらくの間のあと「事ここに至っては敵を破滅させ、二帝と土地の奪還が我々の任務です」と岳飛は答える。「元帥たちに命じられ私は河北で多めに兵を募った。だがいくら考えても金にどう対抗するべきか分からぬ」と言う張所。岳飛は「河北を重視するのは良策です。ある言葉があります。“河北は中原を珠玉、中原は河北を四股と見る。人に珠玉は必要なくとも、四股は失えない”我らが都・汴京は天然の要塞がなく、陸地や千里の川は攻め込まれやすい。河北を守れず都は守れぬ。もし朝廷が元手をかけ掘を深くし、選りすぐりの馬と兵で守るなら、敵の騎兵が侵入しても閉じ込められます。町が囲まれても応援が駆けつけ、鉄浮屠は退けられるでしょう。そうすれば河南は守れ、都が安全に保てます。燕雲が金玻に頼るごとく河南は河北に頼る。河北戻らずして河南は守れず、金玻を奪還せねば燕雲も取り戻せません」と話す。
河北の兵は川を渡る必要があるが、河北の半分は金の地だった。「どうすれば?」と聞く張所。岳飛は「方法はただ1つのみ。兵力で河北を奪い、河北の人力で都を援護する。さもないと中原は四股を伸ばせず、危機をはらむ地となります。結果、金は河北だけでなく、河南も侵すかと。その場合どうなるか」と答える。「要塞なく守りは論じられぬ」と言う張憲。すかさず岳飛は「そのとおり。要塞を失っては守れない。陛下は江淮のどこかで流亡の身となるかもしません」と言う。
河北に出陣し土地を奪い返す、そのためなら張殿に従い、死んでも悔いはないと言う岳飛。その時、料理の入っていた器が割れる音がする。その器を落としたのは李孝娥だった。
刺繍をする孝娥に「驚かせたな」と言う岳飛。孝娥は「あんな話で倒れたら笑い者よ」と返す。「張殿が帰徳からわざわざ足を運ばれた。無視するわけにはいかない」と岳飛は言う。引き留める気もなく、できないことも分かっている孝娥は「今回、長く家にいてくれて、天に感謝しているわ」と話す。
夜。岳飛は母の部屋へ行く。母の足をもみながら「張所殿と一緒に戦場へ行ます。孝行でない息子をお許しください」と言う岳飛。孝娥が理解してくれたことを聞き、安心した母は「心置きなく張殿についていきなさい」と言う。
岳飛は張所からの手当ての40両を母へ差し出す。しかし、母はつらそうな顔をし受け取らない。岳飛が机の上に置くと「このお金を見ると、何とも言えない気持ちになる」と言う母。
母は戦場に向かう岳飛に“尽”“忠”“報”“国”という四文字を贈る。涙を浮かべ、ひざまずき頭を下げる岳飛。
家を離れるは“忠”、家に帰るは“孝”、太古より“忠”と“孝”に両全はない、だけど“忠”も“孝”も良いこと、お前は陛下に罷免される前に“尽忠報国”を誓ったはず、あれは一時の勇ましさ、でも陛下に職を解かれた以上よく考えなさい、陛下がどんな皇帝か、宋はどのような宋か、今、どのような時局なのか、それでも先に進むのか、すべてを考慮した上で再度叫ぶのよ“尽忠報国”を、すると一時の勇ましさではなくなる、“謀”をもって行動すれば必ず結果を出せる、と母は言う。
母は、本来“忠”の字は主君への忠義を意味する、でも考えたら皇帝への忠義を尽くすことに限る必要はない、仁義の念に忠を尽くせばいい、仁義の事、仁義の功、仁義の戦、仁義のための忠、仁義のための道、仁義のための死に忠を尽くす、“報国”の“国”の字は、宋だけを指すのではない、“四海の内 皆 兄弟足らん”と言うけど、お互いが平和に暮らせる“国”を指す、仁義で政を行なう朝廷や仁義ある軍を持つ堂々たる“国”を指す、今言ったような“忠”や“国”はお前の目前にあるのか、ずっと先なのか、でもいつか時機が来たら“忠”を把握し“国”のために尽力しなさい、その強さとその精神を子供や仲間に伝えるのよ、と話す。岳飛は「その4文字を背中に刻んでください。その字と共に生きられるよう、永遠に心に刻みつけます」と母に頼む。
母の手で岳飛の背中に“尽忠報国”と入れ墨がされていく。それを見つめる孝娥や子供、仲間や張所たち。
金。清明上河図を見ていた兀朮は、呼んだ韋氏に「娘娘は汴京で毎日“清明上河図”を見ていたと聞いた。1日でも見ないと、民の悩みが分からないそうだな。私もこの絵を何度も見た。だが目に入るのは美しい風景や宮殿、軒を並べる家屋のみ。民衆が次々とやってくる賑やかな町があり、穏やかな風とうららかな日が描かれているが、庶民の苦悩などは見えぬ。どうしてだ」と聞く。久しぶりに絵を見た韋氏は「この絵を見る時、技法や構図の工夫された点や繊細な美には着目しません。全体の印象から作者の理想と情感を把握するのです。四太子(兀朮)はこの絵のうららかな日差しのある情景からぬくもりを感じられたようですね。でも私には殺気が見えます」と答える。中原の聖人は災いを未然に防ぐ事を重んじ、目前の繁栄や温和な雰囲気をひと時の蜃気楼と見なした、作者・張擇端の警告ですよ、高くそびえる宮殿や庶民の家屋の陰に戦乱という災いが潜んでいるのだと、災いを未然に防げる皇帝なら太平な世の中に烽火の雰囲気を嗅ぎ分け、国の乱れを感じ取れるでしょう、しかし何も感じ取れぬ皇帝ならば?皇帝にとって清明上河図は単に美しい景色を描いた絵でしかない、これを殺気と呼ばずして何だというのです?と。
ただ、残念なのは…と言いかけてやめる韋氏。「なぜ言葉を飲み込んでしまわれる?」と兀朮が言うと、韋氏は「なぜならその皇帝が、私の夫だからです」と答える。
ーつづくー
高宗…ちょっと怖いヾ(・ω・`;)ノ
二帝のことばかりって、国の面子にかけても二帝を取り戻す事は重要だと思うけど…。
それに妻のことばかり考えているけど、二帝は親兄弟だよぉ(o´д`o)=3
李孝娥だってつらいはずなのに…(;д;)
覚悟があっても、なかなかできることじゃないよね。
岳飛には家族との穏やかな生活をずっと続けさせてあげたかった。
そして岳飛母が本当に立派!!
さすが岳飛の母親だという姿を見せられた感じがする。
お話が深かったです。
↓ポチッと押していただけると嬉しいな。
よろしくお願いします


にほんブログ村
いつもポチッをありがとうございます(*´ー`*)
でも五国城で登場してたかしら?覚えがないです。
李綱の見送りの様子を妬みと嫌みたらたらで城上から見てた高宗。
もうこの陛下はあきまへん。
うささんの仰るように、岳飛母の教えは本当に深かったです。
その内容に聞き入ってしまいました。
オープニングでの入れ墨の場面がこれなんですね。
張所からの手当ての40両。調べてみました。
金0.1両=銀1両=米1石=米約1000合(約50kg)
金銀どちらにせよ当時としては結構な額です。
以前、褒美にもらった千畝の田も広大です。
いくら褒美や手当をもらっても、一寸先は闇の世の中。
皆が平和に暮らせるようにと、母と妻は意を決して岳飛を再び戦場に送り出したのですね。
宋って日宋貿易くらいしか頭にないけれど
300年以上も続いた国で、「清明上河図」が示すように社会が安定し、発展した時代だったのね。
都市を中心に人口が増加し、中国史上はじめて1億人を突破したんですって!
為替制度もあったそうで、だから40両はぺらぺらの紙だったのね。
毎日眺めていた「清明上河図」から殺気が見えてた宗王の立派な母上。
風流皇帝(timeさんから教えていただいた)であった残念な夫のことで、続く・・・
栄華の上にあぐらをかきつづけ「尽忠報国」に値せぬ父子は同じ器でした。
色々調べてたら面白くなって、またまた長いコメントすみませんm(_ _)m
間違ってたら教えてください。
姐姐のあらすじで今日放送分につながりそうです。
本当にありがとうございます。
高宗の???、李大人の素晴らしさ、
孝娥の辛さ、岳飛母&高宗母の立派さなどが
伝わってきました!!
ねこさん、風流皇帝覚えてくださっていたのですねー
風流天子の方が一般的と思います。
「清明上河図」の意味、重かったですね。
そんな戦争につながる事柄はなくなってほしいものです。
「晴明上河図」を語る韋氏、賢い女性ですね。
絵の意味を読み取れない夫…と悲しまれてるようですが今の高宗の姿を見たらもっと悲しむでしょうね…
はい、高宗本当にもうあきまへんね(ーー;)
岳飛の母も賢い方でした。
話が深い。そして岳飛の背中の刺青を彫ったのは彼女、にも驚きました。