旅行記はじめます

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ギリシャぶらり旅⑧

2025-01-07 | 旅行

12月16日ギリシャ8日目 

きょうは、ギリシャの最終日、カタール航空でアテネ空港を18時55分発なので、ゆっくりアテネ市内を見学。午前中にアクロポリスの丘、午後に考古博物館を行くことにする。

パルテノン神殿は、朝8時から入場可能である、夏だったかな、パルテノンに入場に大行列が発生で猛暑の中を数時間待ちと報じされていたこともあり、一応、朝早く訪問することにする。

ホテルで最後のギリシャ朝食をたっぷりいただき、荷物を預けて、パルテノンまでお散歩する。オモニアからモナスティラキ広場、古代アゴラを通る。ここは何度も歩いてきた。さらに、アクロポリスの丘に向かって坂道を上って、30分くらいで入場ゲートに到着。

パルテノンが立っている丘の西側に小高い丘があり、これはかつて古代アテネの裁判所があったアレオパゴスである。入場は無料で開放されている。小高い岩山なのでこれを登っていくと、アクロポリスの丘に向かい合っているため、アクロポリスが美しい。朝の時間だが岩山の上に白い大理石のアクロポリス神殿が朝の柔らかい青空に映える。ここは、夕陽の名所であり、アクロポリスの西側にあるので、夕陽に赤く染まるパルテノンが美しいという。アクロポリスを眺望し、その向こうに広がるアテネ市街を一望できる絶景ポインいいである。南側には、フィロパトスの丘が見えるがそこにはソクラテスが収監され、毒杯を飲んだとされる監獄跡がある。ソクラテスは、このアレオパゴスで混迷していたアテネ民主政治により若者を惑わせたとして死刑を宣告された。逃亡することもできたが、悪法も法なりとこれを受け入れたそんな舞台がここなのである。

<アレオパゴスの丘からパルテノン神殿>

アレオパゴスの丘から

さて、アクロポリスに向かうことにする。アクロポリスや博物館はオンラインで時間指定のチケットで購入できる。並ばなくてよいとのことであるが、冬の朝、誰も並んでおらず、簡単にチケットを購入できた。冬季割引で10€。

坂を上り、ブーレの門を通り過ぎると前門のプレビレアがどーんと正面にそびえている。右側にはアテネ・ニケ神殿、左側にはアグリッパの台座がある。その規模の大きさと壮麗さに圧倒される。観光客もほとんどおらず、じっくりと鑑賞できる。プレビレアの中央はドーリア式の石柱であり美しい。でも左右にはイオニア式の石柱であり、その相違を感じるにはよい。作られた時期が違うのであろう。

<プレビレア(前門)>

プレビレア

右側の高い崖地とでもいうところに建てられているアテナ・ニケ神殿はこじんまりとしているが、イオニア式の柱が美しい。ここには勝利の女神ニケを翼のない姿で祀っていたという。勝利の女神が飛んでいかないように翼を切り落としたのだそうだ。

<ニケ神殿>

ニケ神殿

左側には、ローマの将軍アグリッパの銅像を据えていた大きな台座がある。もともとは違うものがあったらしいが、ローマの支配を示すためアグリッパを置いたのだろう。

<アグリッパの台座>

アグリッパの台座

プレビレアの階段を上り建物を通り抜けると、平面が広がる正面の右側にパルテノン神殿、左側にエレクティオンが目に入る。ついに来た。パルテノン神殿は、修復のためのクレーンが据えられている。いつ完成するかわからないだろうな。ドーリア式の柱が正面に8本、側面に十数本の長方形の建物である。パルテノン神殿は、アテネ黄金時代の紀元前432年に完成したものである。ペリクレスが提唱し、デロス同盟の盟主として金庫番を預かるアテネはその資金を活用し、アテネの繁栄を象徴する建物である。パルテノンが完成した年にペロポネソス戦争がはじまり、アテネの混迷と凋落が始まるのも歴史というものかもしれない。17世紀のベネチアとオスマントルコの戦争時に火薬庫として使われ爆発して大きく損傷したという。柱の構造は、有名で内側に少しだけ傾いており、上部に行くほど細くなり、大きく見えるように造られているというが、直視ではまっすぐにしか見えない。大理石の石柱は、だるま落としのように直径は2mもあるものを十個ほど高さ10mまで積み重ね、その上にファサード、屋根で覆い、周囲には神話のレリーフで囲い、華麗な彩色を施していたのだという。内陣には、巨大な黄金のアテナ神像がおかれていたという。大理石がむき出しで、白一色とは相当違ったものであったのだろう。この美しい建築物や彫刻を2500年前にこれを造ったということも驚きである。神殿を囲むレリーフは19世紀初頭イギリス人が遺跡から切り取って持ち帰り、相当な部分は現在も大英博物館に展示されている。残りの部分や復元されたものは、アクロポリス博物館で展示されている。横30m縦70mの壮麗な神殿であるが、周辺に大理石が散らばっており、現在復元作業が行われており、柱には修復された石を同じ材質の意思を使用しているようで、もともとの石の経年劣化も感じられ、いたいたしい感じもするがかえってよいかもしれない。19世紀のクノッソス神殿の復元から進化している。

パルテノンパルテノンパルテノン

パルテノン神殿の西側には、エレクティオンが丘の西の崖地に立っている。ここは6人の少女の柱像、カリアティードが有名である。本体は5体がパルテノン博物館、1体は大英博物館で展示されている。エレクティオンは、アテネの伝説の英雄エレクトリウスが祀されており、聖跡と祭祀所が合わさった複雑な建物であったそうだ。アクロポリスは古来より神聖な場所とされていて、ここは最も古い時代より聖域であったという。その後、神殿はペルシャ戦争で破壊された後、紀元前5世紀末年頃のペロポネソス戦争時に完成したそうだが、戦費で予算縮小せざるを得なかったそうだ。南東側が高く北西側が低くなっており、イオニア式の大理石の柱が立っている。南側の玄関には、6体のカリアティードが並ぶが、この像で建物を支える柱の役割を果たしているのであるが、少女の首は結構細く、美しさのみならず技術的にも高度な設計がなされたのであろう。

<エレクティオン>

エレクティオンエレクティオンの少女エレクティオン

エレクティオンの南側には、巨大なアテナ・プロマコスの青銅の像が立っていて高さ9mほどでピレウスやさらに南のスニオン岬からも見ることができたそうである。ペルシャ戦争の戦利品で作られたそうだが、いまはその基礎が残っているのでのみで、想像するしかない。5世紀にコンスタンチノープルの宮殿に移されたが、1205年ビザンチン帝国が十字軍によって制圧されたことの禍のもとであるとして破壊されたそうである。

<アテナ神像が立っていたところ>

アテナ像跡アテナ像

丘の平面の一番北の端には展望台があり、パルテノン神殿をながめ、眼下には古代アゴラはじめアテネの市街を一望できる。古代の人たちもきっとここで自分たちの街並みを見渡していたのだろう。

アクロポリスの丘を下ると、パルテノンの崖斜面を利用して造られたイロド・アッティカ音楽堂がある。これはローマ時代の劇場であって、5000人ほど収容できていまも劇場として使われているそうだ。ローマ時代のものは新しく感じてしまう。アテネ黄金期より600年も後だからそう思えるのかも。

<イロド・アッティカ音楽堂>

イロド・アッティカ音楽堂

そのあたりからアクロポリスの崖にそって、エウメネスの柱廊が並んでいる。紀元前2世紀に小アジアのペルガモンのエウメネス2世によって築かれた通路だそうだ。柱廊沿いに進んでいくとディオニッソス劇場が現れる。毎年の酒と豊穣の神ディオニッソス祭が行われ、こちらは15000人収容のこの劇場で開催されたそうだ。古代アテネの劇作家アイスキュロスやソポクレス、エウリピデスの三大悲劇作家、喜劇のアリストファネスなどの演劇がここで上演されたのだという。皇帝ネロにより大規模に修復されたというが、いまも原形をとどめている。ローマではコロッセオだが、アテネでは演劇が当時の最大の娯楽なのだろう。

<ディオニッソス劇場>

ディオニッソス劇場

アクロポリスで日本人の団体に遭遇した。ギリシャを回っていて日本人を見かけたのは初めてで久々に日本語を耳にした。東洋人自体あまり見かけないが、韓国人と中国人であったとおもう。アクロポリスのゲートを過ぎると、すぐにパルテノン神殿を模ったアクロポリス博物館がある。入り口までの通路はガラス張りになっており、透明なガラスの下には古代の遺構を下に見ることができる。ここらへんは、掘れば遺跡がどこでもでてくるのだろう。ここもオンラインで予約できるが。当日券を20€で買う。アクロポリスと合わせて30€である。アクロポリスで出土した遺物が陳列されている。展示物のQRコードで読み取ると映像でガイドしてくれ。これは無料でありとても便利。展示物は、アクロポリスの最初期からの変遷やその時代の遺物が多数展示され、上階にはアクロポリスの上側面を飾っていたレリーフが飾られており、ギリシャ神話の神々が多数掘られ、それぞれ動きのある姿で見事に表現されている。かなりの部分は、19世紀のイギリス人によって持ち去られているが、その部分がどう切られたかなども目にすることができる。パルテノンの建設から崩壊、そして今に至る経緯を説明してくれたり、映像で説明をしてくれたり、見ごたえのある博物館である。

<アクロポリス博物館>

パルテノンの側壁レリーフエレクティオンの少女

エレクティオンの乙女は、2階の中央奥に5体まとめて展示しており、まじかに見ることができる。たしかに美しい。ギリシャの街中でもこれほどの美女を見噛めることはない。顔の彫りの深さや鼻筋など現在のアテネと共通する顔形でもある。博物館はかなり広いので、1時間は優にかかるがゆっくり見たので、11時を過ぎていた。パルテノンと合わせて3時くらいはいたのかな。

 

博物館を出てゼウス神殿に向かうことにする。この周辺は、カフェやレストランがたくさん並んでおり、観光地ならではの感じである。大きなアマリアス通りの向こう側に広大な芝生の中にゼウス神殿はある。その手目、道に面してハドリアヌスの門が立っている。2階の構造になっていて、下はアーチ状の入り口、上は4本の柱で構成されている。皇帝ハドリアヌスであるから紀元2世紀中ごろの建設である。図書館も立てているし、ずいぶんとギリシャに力を入れていたのだ。

<ハドリアヌスの門>

ハドリアヌスの門

フェンスの向こうの広大な敷地が広がり、真ん中あたりに円柱が何本かたっている。かつては100本以上の柱であったようで、さぞかし巨大な神殿であったのだろう。これが完成したのは紀元前2世紀であったようだ。ちょっと広いし、神殿の柱は工事中だし、フェンス越しにも十分見えるし、入りぐとは遠いので、中に入るのをやめることにした。

<ゼウス神殿>

ゼウス神殿

さて、最後の目的地は、アテネ考古学博物館。ここにはクレタ以外のギリシャ本土で出土したものが展示されているという。地下鉄ビクトリア駅からあるいて10分くらいなので、アクロポリス駅から地下鉄で向かう。考古学博物館は、火曜が13時からの開館で、ほかの日は8時から。今日は火曜なので、13時からである。博物館近くのカフェで軽くギロとコーヒーの軽い昼食をとり中へ入る。入場料は冬季割引の6€。

<ギリシャ国立考古博物館>

アテネ考古学博物館

博物館は、かなり広い。真ん中の展示室から入ると、まず目に入るのがアガメムノンのマスクだ。ミケーネでシュリーマンが発掘した本物が展示されている。ミケーネは、地中海交易で栄えた中心都市であり、その豊かさからか豊富な金の緻密な工芸品が展示されている。豊かさと技巧の洗練さを感じさせる。ミケーネの王墓から大量に出土した欣や銀、またアフリカとの交易で得たであろうゾウやサイの牙でできたものある。そのほか、馬とか印象などが並んでおり、印象には文字のような模様が刻まれ、当時の繁栄をしのばせるものである。ミケーネの右側には、さらに古いキクラデス諸島の考古資料がならぶ、キクラデスはクレタよりも先の紀元前2千年紀の出土であり、素朴な石器が多い。

<あげ芽生ノンのマスク、ミケーネの遺物>

アガメムノンのマスクミケーネ壁画

そこを過ぎると、エーゲ海文明というようにギリシャ本土や島々で発掘されたものが多数展示され、有名なものではエビア島の「馬に乗る少年」や「ポセイドン」などの青銅の彫像、ミロのヴィーナスで有名なミロス島で発見された「アフロディテ像」の大理石像など、美しいものがならぶ。マラトン沖で発見された「マラトンの少年像」とかいろいろ。アテネからのス都度品としては、墓石がたくさん展示されている。墓石には生前の姿や家族などが掘られており、当時の死生観というべきものか。

<アフロディーテ>               <ポセイドン>

アフロディテ像ポセイドン

<馬に乗る少年>                       <マラトンの少年>

馬に乗る少年マラトンの少年像

また、人物や神の彫像は多数陳列されるが、時代ごとの変遷を見ることができる。紀元前8世紀から5世紀ころのアルカイック期のものは微笑をたたえているような直立像であり、アルカイックスマイルである。最盛期のアテネ古典期には、人間の理想的な美しさを表現した豊かな造形、紀元前3~1世紀のヘレニズム期ではより人間的なリアルな造形となっ通り、ローマ期になると個人の像も増え、質実とした感じになっていく。これらを1000年にも及ぶ機関であり、信仰から芸術、さらには個人像へと変遷していくにつれ、造形も変化しつつづけていくというのを感じる。ギリシャヘレニズムローマと並べれば1000年とう長い歴史が西洋の原点として広がっているということを感じる。

2階には、紀元前1500年ころのサントリーニ島での大噴火で消えたアクロティリ遺跡の出土品が一堂に展示されている。人物の表情の穏やかさ、草木や花をモチーフにした図柄など、クノッソスと共通するところを感じる。開放的で穏やかな海洋文化が栄えていたのだろう。2階は、黒と赤のギリシャの陶器が展示されているはずだが、この日は中に名入れなかった。これも楽しみの一つだったので残念。ゆっくりと見学して2時間くらいかな。ミュージアムショップも閉まっており、図録をかえなかった。

<アクロティリ遺跡の壁画と陶器>

アクロティリの壁画陶器

アテネの日程もこれで終了し、ホテルで荷物を引き取り、空港に向かう。空港での出国手続きや保安検査は、入国時と同様、スムーズに流れて時間を要しないのはよい。アテネ空港ラウンジで時間を過ごす。アテネのエアラインラウンジは小さくて狭くて空いている。最後にギリシャヨーグルトとオレンジジュースをのんで、18時55分発のドーハ行きに乗り込む。さよなら、ギリシャ。8日間、各地で石ばかり見たが、世界史の原点に触れることができた。教科書では1~2ページであるが、その後の西洋史に与えた影響は大きく、いまもなお、その文明での成果は根底に流れていると思う。世界史を学んで興味を持ってから40年以上たって初めて訪れたギリシャ、感動であった。

 

おまけ

カタールのドーハ空港に0時ころにつくが、羽田行きのフライトは9時40分。なんと夜中で9時間以上も待ち時間がある。ドーハ空港は広くて設備も充実し、24時間営業だが、さてどうやって寝るか。カタール航空はトランジットを提供しているというが、私のチケットは最安値なので提供できないと断られた。睡眠ポッドのようなsleepinng loungeは予約でいっぱい。エアポートラウンジは椅子が中途半端で寝るのは難しい、男女別の休憩ルームもあるが、エアラインの放送が流れるので眠れない。ということで、仕方ないのでエアラインのラウンジで8時間の休憩をとることにした。2時くらいにはほとんど人がいなくなったが6時くらいから大変な賑わいになっている。

9時40分のJAL運行のコードシェアで羽田へ。所要時間は9時間。また座り続けることに。羽田の到着は午前1時。もう終電もないが、カタール航空のお帰りなさいキャンペーンというもので、平和島温泉に無料で入れるのでこれを利用。1時40分の迎えのバスで15分ほどで温泉へつく。バスには30人くらいの日本人や中台韓の人たち、深夜に台北やソウルから羽田についたようだ。久しぶりの温泉。というかお風呂。ギリシャではバスタブ付きは一回もなかったので、日本人の疲れをいやすにはこれだよな、日本人でよかったと思う至福の瞬間であるかも。仮眠ルームを設けてあり、14時まで滞在可能という。羽田空港への送りのバスが4時40分発であるので、それに乗って空港へ向かい、家路についた。乗り換え時間はちゃんと確認しておくべきだったな、と思うが、これも一つの経験である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャぶらり旅⑦

2025-01-06 | 旅行

12月15日 ギリシャ7日目

きょうは、メテオラの修道院巡りである。

メテオラは、テッサロニキ平原に行き止まりのところに、数百メートルの直立した奇岩が立ち並び、その上にいくつかの修道院が立っている。なんで、こんな岩のてっぺんに建てたのかな、どうやってそこにたどりつくんだ、と不思議いっぱいのところである。修道院は、世俗から切り離し、隠棲する修道士によって切り開かれたようである。そして、12,13世紀ころから建てられるが、そのころ、ビザンチン帝国が衰退しはじめ、世俗を離れた修道生活を送るようになったのだろう。さらに、13世紀に十字軍でベネチアなどのカトリック勢力に支配され、さらには15世紀のイスラムのオスマントルコに制圧されたころに建造されたようである。おそらく、宗教上の圧迫を逃れたり、世俗から隔絶して信仰を維持するため、この岩山の上に逃げ込んだのであろう。もしくは007はじめ数々の映画の舞台になったところで、目にしたことは何度もあるところである。

カランバカは、メテオラの足元の町で、町の背後には奇岩がそびえたち、その上に修道院や十字架が建てられており、なかんなかの景観である。カランバカの朝は、内陸であり一層冷え込んでいた。簡単なギリシャ風の料理が並ぶ朝食をとり、カランバカのバスステーションへいく。メテオラ行きのバスは冬季は1日2本、9時と12時45分とホテルで聞いた。路線バスに乗り一番奥の修道院でおりて歩いて巡るかなと思っていた。バスステーションや観光案内所でバスの時間を再確認しようと尋ねると、ツアーがある、バスはよくないとか、しきりという。口コミサイトでもそういわれると書いてあったので、なるほどそうかと思う。でも、料金は15€で意外とリーズナブル。バスの料金が片道2€であり、ガイドも付くし何よりも寒い。ツアーならメテオラの山中を歩く必要ないので、ツアーをお願いすることにした。9時に出発して修道院は3か所回り、13時30分に戻って来るという。

<カランバカからメテオラの岩山>

カランバカからメテオラの山

ツアーガイドのお姉さんとミニバスに乗り込むがお客は私一人、貸し切りとなった。この季節、観光客は本当に少ない。

カランバカからゲストハウスなどが点在するカストラキ村を通り、メテオラに向かう。途中、ガイドがあれはエレファント岩だという、たしかにそう見える、奇岩があちこちにあるので日本ならたくさん名前をつけて名所にしているだろうが、説明してくれたのはその岩だけである。

エレファント岩

最初に、ルサヌ修道院の下で降ろされた。岩の上に浮いているように立つ修道院である。階段を数十段のぼると、修道院の立つ岩山にむけて、橋が架かっておりそれを渡り中に入る。岩は独立しており深く切り込んでいるが橋は10mくらいであり、わたるには高度感はない。入場料(拝観料かな)は3€。

<ルサヌ修道院>                      <修道院への橋>

ルサヌ修道院ルサヌの橋

内部は、ギリシャ正教の修道院らしく、壁にはイコンが描かれ、キリストの受難や聖者の殉教、マリアが描かれ、頭上にはイエスが見下ろしている。キリスト教者ではないので、これをみてもすごいなしかおもわないが、参拝者は地元の人も多いのか、マリアやキリストの絵にキスをしたり、十字を切ったりしている、日本人的に言うと、寺や神社と同じように自分もお祈りすればよい気もするが、なんか違う感じがして、似非信者にはならず、手を合わせるだけにとどめることにした。内陣は撮影禁止であるので、この荘厳な雰囲気は現地に行くか、TBSの世界遺産を見るしかないでしょう。修道院の展望台のようなところから外を眺めると100m位は高度のある切り立った岩に立っているので、眼下を見下ろすこともできるし、向こう側にはメガロ・メテオロン修道院やヴァルラーム修道院を見渡すことができる。これは確かに絶景である。このルサヌは尼僧院であり、いまも修道生活をおくっているようである。ここメテオラの修道院では、はちみつやオリーブオイルや工芸品を自家製しているようであり、はちみつを買うことにした。1瓶7€であった。ギリシャははちみつが名物であり、ヨーグルトに混ぜて毎日食べていた。意外と安いかな。ルサヌ修道院の橋を越えて反対側にはハイキングコースが通じており、かなり険しいがよい季節ならこれは楽しいかもしれない。見晴らしの良いところまで上っていくとメテオラ一帯の山並み、いくつかの修道院、眼下のカランバカの町、テッサロニキ平原の広がりを眺望できる。歴史と自然と双方を感じ取れるところである。

<ルサム修道院の崖>              <修道院内の小部屋>

ルサヌ修道院ルサヌの内部

さて、バスに乗り込み、次は、一番奥のメガロ・メテオロン修道院で降りる。ヴァルラーム修道院は、ここから歩いて15分くらいなので2時間後にピックアップすることに。

<2つの修道院>

メテオラスとヴァルラーム

この修道院、なにせ、単独岩とでもいうべき垂直な岩山の上に立っており、標高差は高いところでは300m、低いところでも100m位の切り立った岩山に立っている。このため、修道院に人も荷物も入るために上からロープを下げ、縄で作った網に入れて上で人力でロープを巻き上げてあげるしかなかったのである。今でも崖の下にロープが下げられ網がおいてあるので現役で使用されているようだ。また、駐車場から谷を越えて直接修道院まで小さなロープウェイが渡されている。ちょうど着いたときに谷をロープウェイの荷物かごがゆっくりと空中に浮かんでいた。なんとものんびりした感じ。

<メガロ・メテオロンへのロープウェイ>

メテオラスのロープウェイ

<吊り上げロープ>

メテオラスのロープ

いまは、観光客は岩を巡るように堀めぐらされた階段をぐるりと登っていけば修道院に難なく入れる。その階段の途中から谷を見下ろすとまあよくこんなところにつくったもんだな、信仰の力であろうかと思う。入場料はここも3€。修道院の中は結構広くて、入ってい右側には礼拝堂があり、厳かな空間が広がる。内陣に入ると、美しいイコンが壁一面、天井にはイエス、聖母、天使、聖者などのイコンのフレスコ画が埋め尽くされている。金の十字架、天井からは香炉、そしてシャンデリアがおろされ、厳粛な空間である。もちろん、今でも聖なる信仰の場所であるから、熱心な信徒もおられるので、静かに聖者の殉教の過程を描いたイコンをながめる。

<メガロ・メテオロン修道院内の礼拝堂あたり>

メテオラス礼拝堂メテオラス礼拝堂前

礼拝堂から外に出ると、ここからのメテオラの眺めも素晴らしい。目の前にはヴァルラーム修道院、遠くにはサンステファノ修道院、先ほどのルサヌ修道院は岩のすぐ横に小さくたっている。天気は良いが、空気はひんやりしている。修道院の建物内に戻るとロープの引き上げ施設があった。真ん中にはロープを人力で持ち上げる器具があり、数人でぐるぐる押しまわしているようだ。施設の先端は垂直に切り立った崖上にあり、そこからロープは地上まで下げられている、これに乗って上り下りするというのも大変だが、スリリングだろう。

<吊り上げ場と吊り上げ器>

ロープ巻き上げ場

院内には博物館が併設されており、修道院長の儀礼服やミサに使用する十字架、院内での生活をするための器材などが展示されている。儀礼服は、金や銀の糸で織られた豪華なものであり、格式の高い人が就いていたようだ。十字架には、イエスの受難や奇跡が小さく浮き彫りされており、かなり緻密な装飾が施されているのを見ることができる。展示物は充実しており、かつてギリシャ正教会の修道士の生活が意外と格調高いものであったことを感じられる。

<博物館>

メテオラス修道院博物館

<ラテン語の聖書、羊皮紙>

ここでも、売店があり、十字架とか聖なるもののほかのお土産にオリーブオイルと蜂蜜を購入する。ここのはちみつは1瓶6€で、瓶もしっかりしている。また、20世紀初頭のこの修道院での生活を記録した映像が流されていた、修道僧がロープの網にのって引き上げられている様子や当時の生活の様子が記録されていた。100年ほどの少し前のことなのだ。ロープが設置されるまでは、はしごをかけて垂直のがけを登っていたと紹介されている。これはこれで槍ヶ岳の槍の穂先のはしごよりも不安定で怖いだろうと思う

<メガロ・メテオロン修道院>

メガロ・メテオラス修道院

メガロ・メテオロン修道院をでて、メガロ・メテオロン修道院に向かう。時間は12時ころであり、観光バスがたくさんやってきて団体さんがちょうどついたころのようだ。早い時間にきて空いていてよかったかもしれない。

ヴァルラーム修道院には歩いて15分くらい。メテオラの山並みを見ながらの散策は気持ちいい。メテオラの修道院を巡るこの道はトレッキングコースとしても人気である。多少のアップダウンはあるが数キロであり、気候のがよい春や秋の季節ならば、さぞや気持ちいいだろう。カランバカまで降りていけるようであるし。冬は寒いからか、トレッカーは見かけなかった。 

<ヴァルラーム修道院>

ヴァルラーム修道院

ヴァルラーム修道院も、岩山の上に建つ修道院である。規模は結構大きく、これまでの修道院よりも広々としている。まずは礼拝堂へ。ここもイコンが壁や天井すべてで埋め尽くされ、十字架、香炉、シャンデリアと厳粛な空間である。信仰の場であり、撮影は禁止であるので、静かにたたずむ。礼拝堂の内陣に入る前の広間は、宗教画が掲げられるが明るい空間である。そこから広いテラスのような広場があり、メテオラを一望することができる。何度も見たが、美しいなとのんびりと過ごせる。京都北山の鞍馬寺の本殿の前広場から山並みを眺めている感じになんとなく気分は似た感じになる。鞍馬寺は光源氏がわらわ病の病み上がりにきたところ、それを思い出した。なんかそうしたスピリチュアルで厳かではあるが開放感のある感じというべきか。だいぶちがうけれど、気分はそんな感じ。ここにも博物館があり、メテオロン修道院と同じように、修道僧や院長の儀礼服や十字架、様々な修道院にまつわるものが展示されていた。また、第2次大戦時のドイツとのギリシャ軍との戦いがここらで行われていたようで、その絵が飾られていた。

<ヴァルラーム修道院>

ヴァルラーム修道院

 12時半の迎えのバスに乗り、サンステファノ修道院のほうに向かう。聖ニコラウス修道院を横目に見ながら、カランバカを一望できる展望台というか岩山の近くで降ろしてもらう。岩山の上から360度の眺望を楽しむ。ガイドによれば、この岩山は砂岩と硬い岩でできていたが、柔らかい砂岩が侵食され、このような岩山ができあがったというが、ちゃんと聞き取れていないかな。さらに一番の奥には、尼僧院であるサン・ステファノ修道院が見渡せる。360度写真を撮影してみた。眺望をしばらく楽しんだのち、カランバカの町に戻る。4時間ほどのツアー出るが十分満足できる内容であった。

<サンステファノ修道院>

サンステファノ修道院メテオラの山

カランバカからアテネへは、ギリシャ国鉄を利用するべく予約を行っていた。ギリシャ国鉄はオンラインサイトで予約もできるので便利である。カランバカ駅は支線の終点であるが、2023年の洪水のため支線は運休しており現在は代行バスが運行している。代行バスは、ファルサロスという駅でテッサロニキとアテネの本線まで運行している。料金は、アテネまで30.3€である。バスより少し安いかな。カランバカからの代行バスは、一日4便で、17時5分発を予約していたが、1本前の14時発に変更した。カランバカ駅の窓口にはチケット売りのご婦人がいて簡単に変更してくれた。時間が一時間ほどあるので、カランバカの一番奥、岩山のふもとにあるビザンチン教会まで散歩することにする。歩いて15分くらいであるが、かなりの坂道である。岩山の崖を背景にした教会で趣はある。でも、14世紀ごろの建築であるが、中にははいれず外観だけ。ギリシャのビザンチンの様式だよな、という感じ。

<カランバカのビザンチン教会>

カランバカのビザンチン教会

仕方ないので、駅に戻るが時間あるので、駅前のカフェで一休み、ハムサンドにカプチーノ。テラスでのんびり。こうした時間はギリシャでは当たり前のようである。値段も8€くらいかな、日本ほど安くはないが、気楽に利用できる。

カランバカ駅

代行バスは、14時に出発し、トリカラなど4駅ほどを経由して、ファルサロス駅まで2時間ほど行く。この駅、田舎の駅で周りには何もない。

途中、雪で真っ白になったオリンピア山を眺めることができる。神々が住まうところである。キリスト教に信仰が変わってから12神はどうしているだろうか。誰も捧げものをくれなくなって1500年以上かも。

<オリンピア山(たぶん)>

改札は特になく、駅のホームに入る。公共施設の老朽化は著しく、駅の設備はかなりあれており、行き先を示す掲示板は壊れており、時計も狂っている。ギリシャ国鉄は上下分離で運営されており、所有者の国の整備が追い付いていないのだろう。テッサロニキからくる列車に乗り込む。列車は普通に快適であり、問題もなくほぼ定刻で運行している。乗車すると、指定席だが自分の席には他の人が座っているので、別の席に座る。車掌が改札に来て切符のバーコードを確認するが、席など確認しない。まあ、日本のような厳密さはいらないのかもしれない。

<ファルサロス駅でのギリシャ国鉄急行><貨物列車>

ギリシャ国鉄急行

ラリッサ、テーベを経由してアテネに3時間ほどの19時ころに到着した。メテオラに日帰りのツアーもあるが、ちょっと遠いかもしれない。デルフォイとメテオラを1ッ拍していくツアーがあるが、これが一番合理的かもしれない。交通費は、アテネーデルフォイで20€、デルフォイーカランバカで30€、カランバカーアテネで30€、メテオラ現地ツアー15€であるので、交通費だけで100€くらいかかるので、時間効率考えたら現地ツアーが最適かもしれない。もしくはデルフォイ、カランバカのそれぞれ1泊すべきであると思う。

アテネのラリッサ駅からオモニアの今日の宿Boss Bouthique Athensまでは、1km強なのであるいていく。ちょっと薄暗い住宅地区だが、特に危険な感じはせずに到着する。昨日預けた荷物を受け取り、部屋に入る。朝食付きで約8000円であるのでお得である。

比較的早い時間についたので、夕ご飯は街中で食べることに、久々のレストランであり、最後の夕ご飯だ。モナスティラキの手前にあるカラマンリディコレストランに行ってみる。パストラミとかのハムで有名な現地レストランらしい。歩いて15分ほどであったが、かなりの人でにぎわっていた。よくわからんから店名と同じカラマンリディコとブドウの葉で包んだドルマデスを頼む。ドルマデスは、ギリシャの家庭料理で中には野菜とチーズが入っていてサワークリームで味付けられ、大きなブドウの葉で包まれている。量が多いのでこの2皿でおなか一杯になってしまう。カラマンリディコは、ハムに卵をやいたようなものに、野菜がはいっているもので、結構いけるかも。サービスのデザートもいただき、満足だ。

<ドルマデス>                  <カラマンリディコ>

ドルマデスカラマンリディコ

そのあと、もう一度、モナスティラキ広場へ行き、アクロポリスのライトアップを眺め、オモニアに戻る。広場前のBENETHでケーキをテイクアウト。巨大なイチゴタルトを5€でテイクアウトして、ホテルの部屋で至福のひと時。一つが2個分くらいあるから食べ応えある、少し甘いかな。あしたは、ギリシャ最終日、ついにアクロポリスだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャぶらり旅⑥

2024-12-29 | 旅行

12月14日 日曜日 ギリシャ5日目

きょうは、世界の中心、アポロン神殿のあるデルファイへ

気を付けなくてはいけなかったのは、ギリシャのローカルバスは、土日には便数が減ることである。デルフォイ行きのバスは、1日4便あり朝一番は8時30分であるが、日曜はこれが運休となり、朝一番は10時30分となってしまうのである。

朝に時間ができたので、ギリシャの遺跡はだいたい朝8時からオープンしているので、今日は古代アテネの政経の中心地、古代アゴラに先に立ち寄ることにした。

ホテルでの朝食は、ギリシャ風にトマトとチーズ、オリーブにギリシャヨーグルト、ふんだんにとれるオレンジジュースで。これはいい。あした、また同じホテルに泊まるので、大きな荷物はホテルに預かってもらう。やはりホテルはいいね。値段もホテルのほうが安い時もあるし。

古代アゴラまでは、ホテルから歩いて20分くらい。オモニアからモナスキ広場を通り、古代アゴラへ朝のお散歩かな。まだお店はあまり開いていない。地下鉄が走っている橋を越えて古代アゴラに入る。アゴラは、広場とかの意味で、市民が生活のため政治のため行き交うところである。ローマでいえばフォロ・ロマーノと似たようなところだろう。入場料は冬季割引の6€。古代アゴラは、正面にはアクロポリスの丘をのぞみ、右手には現存するヘファイストス神殿、左手には復元されたアッタロスの神殿がある。かなり広大であり、白い大理石が得点在している。ここからアクロポリスへの古代の幹線道路が伸びており、政治の中心である建物や大きな市場が広がっていた。古代ギリシャの繁栄の中心、アテネ、市民による民主主義が行われ、ソクラテスなどの哲人が議論を交わし、ペリクレスが演説をし、地中海全域からの文物が行きかっていた2500年前のアテネ。そんな活動の場所がここなのであり、いまは石が散乱し、草が生えている遺跡になっているが、往時の息吹を感ぜずにはいられない。

古代アゴラの案内図古代アゴラ全景

入り口からすこし進むと、オリンポスの12神をまつる台座がまず目に入る。残念ながら神像は現存していない。そしてその奥には、大きな建物跡、アグリッパの音楽堂跡である。アグリッパは初代ローマ皇帝アウグストゥスの一の腹心で娘婿あるが、彼が建てた音楽堂であるそうで、手前には銅像が建てられていた。その頭部はいま博物館に展示されている。ローマ時代にあっても、アテネは文化の中心として栄えており、ローマ人はギリシャを尊重していたのがよくわかる。

アグリッパの音楽堂

そこから北西側の小高い丘にはヘファイストス神殿が立っている。その手前の広場の建物跡がある。ここはソクラテスが人々を捕まえて議論を交わした場所である。ソクラテスは、人々との議論で無知の知を問い、議論を通じて新たな知恵、徳を得ようと産婆術といわれる討論法をここで行っていた。まさに、2300年前のソクラテスと同じ地面に立っている。そうした感動は実際にここにきて初めて感じられるものだろう。何も残っていないけれど。

アゴラ

その北側には、地下鉄1号線が走っている。1869年に開業した古いものであることは前にも書いたが、当時遺跡保存の考えもなかったのだろう、神殿跡を壊して作られた。いまでも地下鉄の双方の脇で発掘作業が行われている。また、この古代アゴラは、1930年代までは民家があったものを取り壊して発掘保存したそうである。日曜の朝ということもあり、人がまったくおらず、遺跡を体感するにはよい時間であったのかもしれない。

アゴラと地下鉄

小高い丘の上に建つヘファイストス神殿に向かう。ドーリア式の大理石の柱が今も残っており、また、ファサードも屋根もあり、朝日をあびて静かに立っているのは非常に美しい。かつては彩色されていたようだから、その時は人々もおり、内陣には鍛冶の神ヘファイストスの神像が安置され、巫女が控え、にぎわっていたのだろう。現在とはずいぶん違った風景だったのだろう。神殿から古代アゴラ全体を見下ろすことができる。手前には、ブーレウテリオンや中央回廊など、アテネの政経中枢の建物群、アクロポリスの丘のパルテノンが眺望できる。古代人と同じ場所で眺めていることになる。往時の賑わいは過ぎ去ったが、その繁栄を語る石や草が広がっている。かつては、アテネの英雄でクノッソスを滅ぼした伝説の英雄テセウスの神殿とおもわれていたようだ。

ヘファイストス神殿ヘファイストス神殿

パルテノンをヘファイストス神殿から

神殿から坂をおりていくと、アテネの民主主義の中心であるブーレウテリオン、ここは市民から行政の責任者として選ばれた評議員が実務を行ったところであり、隣には正方形の文書庫のメテオン、評議員の詰め所である円形の建物のトロスなど、古代民主主義が実際に行われた場所である。市民による政治であるからさぞやここでは演説や議論が交わされたりもしたし、ペリクレスも立派な演説をしたのだろうし、衆愚政治として市民を煽動した輩もいたのだろう。その舞台である。

政治の中心のすぐ南側には、大きな長方形の建物が2列になっている、横120mの巨大な建物で、中央柱廊と呼ばれ、市場があったとされる。地中海社会の中心でもあったアテネには、地中海やメソポタミア、エジプトとの交易も盛んであったから、世界中の様々なものがここで売られ、賑わいを見せていたのだろう。いまは石だけであるが。その規模の大きさから繁栄を推測することができる。

中央柱廊

この中央柱廊のそばに、違和感のある等身大の銅像2体がたっている。近づくとソクラテスと孔子であった。なんで孔子?と思うが、同時代の哲人ということで記念したそうだが、ちょっとどうなのだろうか。

ソクラテスと孔子

一番南のアクロポリスの丘の近くのアクロポリスとアゴラを広い道路沿いには、ビザンチン様式の古い教会がある。これも古代アゴラには違和感がある。時代が数百年ずれているからだろう。といっても、これも1400年ほど前のものだが、新しいものだからだ。今日は日曜日で朝9時前、市内のあちこちの教会から鐘が鳴り響く。ギリシャ正教会の本拠地であるんだよな、とも実感する。日曜日は教会に行くからだろうか、バス便が減ってしまう、日本は日曜が観光デイなのだけど、逆なのかもしれない。

アゴラのビザンチン教会

ビザンチン教会から古代の道をアゴラへ下ると、道の東側には、紀元前2世紀にペルガモンのアッタロス王から寄贈された神殿が完全に復元されている。完全に復元されているのはこれだけだろうであり、古代の壮麗さを感じることはできるが、細部のつくりなどはアバウトでなんかやはりしっくりこない。中は、古代アゴラ博物館になっており、アゴラで発掘されたレリーフ、彫像など、様々なものが展示されいる。ローマの将軍アグリッパの頭部も展示されている。でも、たくさんみすぎて流してしまい、記憶に残らなくなってしまった。

中央柱廊と博物館アゴラ博物館

博物館の脇には、アクロポリスとアゴラを結ぶ古代のメインストリートがあったようであるが、その道沿いにいくつかの石碑が立っている。高さ2mほどの大理石の石碑であり、ペルシャ戦争の戦勝記念、戦死者の弔いで建てられたという。ギリシャ語で彫られており、Google翻訳で読み取れるところは訳してくれる。2500年前のギリシャ語を直接読めるというのも面白い。

ペルシャ戦争記念碑

さて、次に、モナスティラキ広場のすぐ近くにあるハドリアヌスの図書館に立ち寄る。ハドリアヌスは2世紀ローマ5賢帝の一人で帝国中を巡回した皇帝であるが、ギリシャ、アテネは文化の中心であり、4世紀末のテオドシウス帝が廃止するまでアリストテレスの創設したリュケイイオンがあったように、学術文化の中核だったのだろう。ハドリアヌスの図書館は、外から見ると立派な建物に見えるが、それは壁しか残っておいらず、建物本体は崩壊している。ここにどれだけの文物があり、学者が研究を重ねていたのかな、と思うが、立派な建物の大理石を見るとその規模が想像できるというものである。入場料は冬季割引の3€であった。

ハドリアヌスの図書館ハドリアヌス図書館内部

10時30分発のバスに間に合うよう、リオシオン・バスターミナル(バスターミナルB)に向かう。デルフォイやメテオラへは、リオシオンから出発する。今日は、食事をとる時間がないと思われるので、バケットのハムチーズサンドを4€で買って乗り込む。

バスは、高速道路を進み、テーベあたりで西へ向かう。テーベといえば、紀元前371年にエパミノンダスとペロピダス率いるテーベの神聖隊を中心にレウクトラの戦いで最強の陸軍国スパルタを破り、ギリシャの覇権を打ち立てたことで有名である。神聖隊は同性愛者からなる最強の部隊であるという。マケドニアのフィリップスはテーベに人質として幼少期送られていたところでもある。平地が広がる内陸の都市である。特に観光資源はないのか、現在何らの観光情報はない。ちょっとさみしいかも。

そこから先は、かなりのアップダウンの山道を進みコリントス湾まで降り下る。デルフォイまであと20キロくらいである。時間は13時過ぎ。まあ、13時半には着くかなと思いきや、ローカルバスはイテアという街を経由し、デルフォイとは反対側のアンフィニという街で止まり、バスの乗り換えとなった。14時ころにアンフィサを出て山をぐんぐんとのぼり、デルフォイには着いたのは14時半になっていた。4時間もかかるとは。。。

バスの運転手に、メテオラのあるカランバカまで行くのだが、3時15分のバスはここでよいかと尋ねると、バスは3時ちょうど発だという。さらにデルフォイの滞在時間が短くなり、わずか30分しかないではないか。急いで遺跡に向かう。

バス停から遺跡までは1キロ弱位。大した距離ではないが、途中に博物館もあり、また、南側には山々が連なり、コリントス湾も遠く眺め絶景であるので、ゆっくりできたならば、、と思う。

チケット売り場につくと、遺跡は15時までで締まるといわれるが、そこまではいられないんだよな。入場料は、ここも6€。ゲートをくぐると山の急斜面にデルフォイの神殿その他の建物が白い大理石があちこちに林立している。かつて建物が立っていたときは、かなりの急斜面であるのでさぞや壮観だっただろうと思われる。ギリシャの聖なる山のパルナッソス山の斜面に建てられており、ここが世界の中心、世界のへそといわれたところか、そう思うと神聖な感じはする。しかし、ずいぶんと町から離れた険しい山中であり、ギリシャのどこから来ても遠いし、かつては歩いてきたのかと思うと、こんなとこなのか、と思わざるを得ない。でも神聖さは強いともいえる。

デルフォイ参道

参道を進んでいくと、ちょっと立派な建物がアテネの宝物庫であり、ドーリア式の柱が2本立っており、復元されている。アポロン神殿への向かう参道には、各ポリスの宝物庫が並んでおり、ポリスからの貢納品が収められていたのだろう。アポロン神殿のすぐ下には、アテネ人の柱廊として柱が3本立っているが、これは紀元前478年のペルシャ戦争のサラミスの海戦の勝利の際にペルシャからの戦利品を貢納したのだそうだ。

アテネ宝物庫ポリス宝物庫

そこから階段を上ると、ついにアポロン神殿である。山の斜面を整地して結構な規模を持つ神殿であり、内陣にはアポロンの神像がおかれ、その手前では、巫女が神託を宣じたのだという。いまは基礎と柱が数本しかないので、その様子を再現するのは困難であるが、ギリシャ世界からさまざまな重要な決定に際しての神託を行ったのがここか想像する。コスプレした巫女さんがいて、おみくじでも渡してくれたらな、と思うが、それは日本人的な感覚というべきなのだろうか。

アポロン神殿アポロン神殿

さらに上ると、古代劇場があり、眼下にはアポロン神殿を見下ろすように設けれている。エピダヴロス遺跡よりも若干小ぶりだが、構造は同じようであり、また山の斜面に作られているので爽快感は格別である。

デルフォイの劇場

デルフォイでは、オリンピアと同様に4年おきにピューテア祭が開催され運動競技会が行われており、劇場のさらに奥には競技場があるのである。その途中には、アポロン神殿へ向かう人が身を清めるカスタリアの泉がある。日本人の神社でのお清めと同じ感じなのだろうが、すでに時間は14時45分、劇場まで来たところで戻るしかない。劇場跡からのデルフォイを一望する景色は素晴らしい。山に囲まれたアポロン神殿、アテネ人の柱廊などが斜面に並び立っており、深い山々を遠景する。当時からもこのギリシャの風土はなんら変わっていないのだろう。

デルフォイ遺跡

<山に囲まれたデルフォイ遺跡>

急いで坂道を降り、来た道を引き返す、アポロン神殿で神託する巫女を想像しながらゲートを出る。博物館もよりたかったがすでに14時50分。そのままバス停に向かう。バスは15時ちょうどに出発する。

デルフォイの町は、山の斜面にへばりつており、上下2本の道脇にホテルやショップが並んでいる小さな町である。ここに宿泊するのがよかったのかもしれない。雰囲気はとてもいい感じだ。バスは、行きによった海辺の町イテオで乗換で10分ほど待ち、アンフィサに立ち寄る。なんともこの重複した時間がもったいなかった。

さらに、山岳地帯を1時間ほど進み、ラミア近くの東海岸にでる。このラミアに向かう山の出口のところがテルモピュレイである。紀元前478年、クセルクセス大王率いるペルシャの大軍をスパルタのレオニダス王が迎え撃ったところである。昔は、海と山に囲まれた戦略的要所であったのだが、いまは海岸線がひいており、テルモピュレイより東の海まで数キロは平地が広がっており、なかなか想像いがたいが、海に向かって標高数百めーとりの山がせりだしていることを考えると、そうなのかもしれないと思う。ヘロドトスは、ペルシャ軍170万人に対し、スパルタ軍は300人であったと。諸説あるようで、ペルシャは相当な大群で数十万はいただろうと、クセルクセスは大軍を見てレオニダスは降参するだろうと見込んで数日待つが降伏しないため、総攻撃を仕掛けるも数回撃退され、クセルクセスの息子2人も戦死するほどであった。しかし、テルモピュレイの間道を裏切者が教えて背後に回り、クセルクセスはレオニダスに投降を呼びかけ使者を出すが、レオニダスは、「来りて取れ」と追い返す。最後は、スパルタ軍は奮戦するも数で圧倒的に勝るペルシャ軍によって壊滅する。古来よりレオニダス王は英雄とした語られ、映画にもなっている。スパルタにレオニダスの銅像はたっていたが、ここにも立っておるそうである。なんて、実際は感傷的になる暇もなく、バスは淡々とラミアに向かっていく。

<テルモピュレイ付近>

バスは、ラミアのKTELバスターミナルで終点であり、16時20分頃に到着する。次は、トリカラ行きのバスに乗り換えである。予定では17時45分ということで1時間以上あるが寒いし、ターミナルは郊外なので1時間ほどカフェで時間つぶし。バスターミナルには、どこでもカフェが併設されており、お菓子屋パンも売られていて時間つぶしにはなる。ところがトリカラ行きのバスは全然来ず、どうもアテネからの便らしく、1時間ほど遅れて18時40分頃に到着。ここで2時間半近くまったことになる。真っ暗の中、バスはトリカラに向かうが、到着は20時40分頃になっってしまった。トリカラからカランバカへは40分くらいでhン発していると思っていいたが、この日は日曜日21時15分発は運休で、次は最終の23時発。なんと、ここでさらに、2時間以上待たなければならない。カフェで休むことにするが、22時には閉店してしまった。しかたなく、寒いロビーでさらに1時間待つ。23時のバスに乗り、カランバカについたのは、23時40分頃。もう店は閉まっているし、内陸のカランバカはアテネと比べると恐ろしく寒い。日本の東京並みかな、実際は。

ホテルにむかって5分ほど歩いて到着。HHotel Galaxyはシンプルであったが、暖かくて快適であった。朝食付きで40.5€。こんなときは、こじんまりした部屋のほうがよいんかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャふらり旅⑤

2024-12-28 | 旅行

12月13日 今日は、ピルゴスからオリンピア遺跡を訪ねアテネに戻る。

ピルゴスからオリンピアへは、30分ほどであるが、バスと鉄道がある。ギリシャ国鉄は、このローカル区間を1日を平日と土曜に3往復している。発車時刻は、7時と9時、13時ころ、2両編成である。途中駅が3つほどあり、乗客は数名かな、観光客は一人もいなかった。ギリシャ国鉄は、かつてはペロポネソス半島にも鉄路が巡っていてコリントスからナブフリオなどまで通じていたようだが、いまは廃線となりコリントスからパトラへ向かう途中のキトスでであり、ペロポネソス半島の一番西のこの区間だけなぜ残して走っているのだろう。料金は、片道2€。乗車していると車掌さんがチケットを売ってくれる。

<ピルゴス駅>                    <列車の中>

9時5分発のガラガラの列車は、ピルゴスから内陸の山懐にある小さな町、およそ30分でオリンピア駅に到着。終着駅である。きれいなかわいい駅舎だ。オリンピアは人口1000人強の小さな町であるが、レストランやホテルなどがいくつか立ち並んでいる。朝9時半ということもあるのか、町中人気もないし、店も閉まっている。町中にアルキメデス博物館というのがあった。アルキメデスは紀元前3世紀にシチリアのシラクサで活躍した人物であるが、オリンピアに関係しているのかな。開いていないし通過しよう。

遺跡は、町を通り抜け一番端にある市役所の先の山の入り口って感じのところから入ることができる。入場料は、ここも冬季割引の6€。

ついに、オリンピック発祥の地、かつて紀元前776年から紀元393年までの1200年以上も続いた運動競技会の会場、聖地オリンピアにきたなと感じる。入り口を入ると、右側の川に近いほうにトラックのような運動場があり、ここで練習したのかなとか思う。

反対側の小高いほうには、迎賓館のような施設跡があったようだ。すこし進むと、直径10m強の円を描くように立っている石柱、フィリッポスの石柱(フィリペイオン)がある。3本だけ今も柱が立っている。マケドニア王で、紀元前338年、アテネ・テーベ連合軍をカイロネヤで破り、ギリシャに覇権を確立した王が記念とする神殿を献上したという。完成したのは、フィリッポス暗殺後に即位したあのアレクサンドロス大王のときだということだ。いまでもその往時をしのばせ、ここに立派な神殿を築き、マケドニア王としてギリシャに勢威を示したのだろう。さぞ、立派なものだったに相違ない。

<フィリッポスの石柱>

フィリペリオンフィリペイオン

その先、左側の高くなった基壇があり、柱跡や大理石が転がる。ここはゼウス神殿。オリンピアはゼウスに捧げられた聖地であるが、神殿が作られたのはローマ時代だったようだ。

右側には広大な施設跡があり、縦横100mはあろうというもの。小部屋に分けれた遺構がわかるが、ここはレオ二デオンという宿舎跡らしい。その真ん中にはプールがぐるりとめぐっている。さすがに流れるプールではないだろうが、くねっと蛇行しているし構造は流れるプールだ。

<宿舎とその内部のプール>

宿舎跡

さらにその先の川沿いには温浴施設があったようで、いわば露天風呂である。ローマ人は風呂好きだから。風呂の床にはモザイクが施されており、各国のアスリートたちは鍛錬と温浴といい環境だったのだろう。この辺りは、川の洪水で崩壊もしているとのことである。ゼウス神殿の横には大きな建物があり、いわば大会本部とでもいうような建物であるプレウテリオン評議会場が広がっている。

<浴場のモザイク>

風呂のモザイク床

その先の南西奥には、ローマ皇帝ネロの別荘が一部だけ建っている。中は崩壊しているのか見ることはできなかったが巨大な建物である。ネロは、オリンピアに赴き競技参加し、戦車競走で優勝し、月桂冠を授けられた皇帝である。自らの力を信じた自信家の皇帝であるから、他の参加者は勝てなかったのだろうか、それともネロの実力かなわからない。ローマ時代でオリンピックは引き続き続けられ、393年に分裂前最後の皇帝テオドシウスが廃止するまでとぎれることなくことなく続けられた。

<皇帝ネロの別荘>

 ネロの別荘

競技場へ向かう手前、ゼウス神殿の南には、2つの高い柱が立っており、そこには勝利の神ニケが翼を広げて立っていたようだ。紀元前400年代、スパルタに支配されいたメッセニアがスパルタに勝利した記念に寄贈されたとのことである。スパルタは強国で数百年隷属していたので、さぞうれしかったのだろう。ニケ像は資料館に展示されている。

<勝利の女神ニケの台座>                <ニケ像>

ニケの台座ニケ像

競技場に入る前、選手の入場ゲートとでもいうべきアーチ状の石組みがある。各ポリスで選ばれた選手たちは、このアーチをくぐり競技場へ入場したかと思うと、実際にここをくぐって大歓声が待ち受けたかと思うと、その歓声が聞こえてくるようでわくわくする。アーチの左側は、各国が寄贈した施設が並んでおり、ここでのオリンピックがギリシャ全土でいかに重要な祭典であったかが感じられる。

<ポリスの宝物庫>

各国の宝物庫

<選手入場ゲート>

入場ゲート

アーチをくぐり横2m位の入場門を通り過ぎると、競技場が目の前にどーんと広がる。真ん中にはまっすぐなトラック、左右には傾斜をつけた観客席が200mくらいの長さでひろがる。スタートラインは、横一線にの石板で作られている。スタートラインにつき、走ってみる。競技場の長さは192m、1スタディオンである。その時代に生まれたとしても、短距離早くないから絶対にここに立つことはできなかったのは間違いない。競技が行われていないとき、一般市民は同じような感想をもっただろうな、すげー。ここ気持ちいい、と。でも、当時、選手は、不正防止もあり肉体美ということもあり、全裸での競技だからね。女子は参加不可能。観客もだめ。古代ギリシャは男社会ですので。左右の客席に加えて、左側の傾斜を利用して観客席もあったらしく、収容人数は45000人という。その観客は、この遠いオリンピアにどうやってやってきてどうやって泊まったのだろうと古代の感覚はわからない。

<競技場>

競技場から入場ゲートをくぐり、神殿地区に戻る。ゲートからゼウス神殿の東側にはヘラ神殿がある。ヘラは、ゼウスの妻の女神である。嫉妬深く怖いイメージの女神ヘラに捧げられた神殿で、近代オリンピックの聖火が採火される。当時の巫女の衣装に身を包んだ女性たちが太陽光を集め聖火を灯す。東京オリンピックでもここで採火され、第2走者として日本最初のランナーとして、野口みずきさんが聖火を受け取ったのは記憶に新しい。なんか、その聖火を採火する神聖なここに本当にいるというのが不思議な気持ちになる。時代を超えて古代に通じるものを感じられる。

<ヘラ亜神殿>

ヘラ神殿

<ヘラ神殿のオリンピック聖火の採火場>

採火場

フィリッポスの神殿にもどり、遺跡をでて、考古資料館に向かう。考古資料館はあるいて5分ほどのところで少し離れているが、立派な資料館である。入場は遺跡と共通である。資料館内部には、ゼウス神殿を飾っていたファサードの浮彫や彫刻きれいに展示されいる。また、遺跡からの出土品、台座の上にたっていた勝利の女神ニケ像のほか、赤い陶器に黒く競技者が描かれたなど、往時をしのばせるものが多数展示されている。世界史の資料集とかで見るようなものがずらりとならんでいる。どれをとってもすごいのだが、同じように見えてしまうなあ。

<資料館の円盤投げや競技の図のある陶器>

円盤投げ

<ゼウス神殿側面の彫刻>

ゼウス神殿のレリーフ

<勝利者の月桂樹>

ゆっくりと見学していたらすでに12時30分である。列車の時刻が13時15分なので、駅に戻って列車を待つことに。朝と同じ列車で同じ車掌であり、乗客は地元の人3人くらい。2€を払いピルゴスへ戻った。

今日は、この後、アテネに行くだけなのでバスターミナルにいく。ピルゴスからにはアテネにはバスで行くしかない。1430発のバスチケットを買う。料金は30.3€、5000円である。結構な値段する。

それまで1時間近くあるので、近くのカフェでランチタイム。おっちゃんが串焼きを炭火で焼いているので、ここは、スブラキでしょう。10€かな、リーズナブルでおなか一杯になる。串焼きはうまい、トルコもうまいが、ここは豚があるのがよい。鶏や牛、羊もおいしいけれど。

バスに乗り込む。この便はトリポリではなく、半島を海岸沿いに北へ行き、その後、東にパトラのほうからコリントス方面へ向かう。バスは2時間ほどでペロポネソス半島の北岸に広がる海のコリントス湾にである。テッサロニキとつなぐ狭い海峡にパトラ近傍を走る。このあたり、レパントの海戦が行われたところである。1588年、スペインとベネチア、教皇軍を中心とするキリスト教神聖同盟軍がオスマントルコ海軍を撃破し、初めてオスマントルコの勢いを止めた海域である。もちろん、今も変わらず海はそこに広がっているが、この狭い海域に誘い込んでトルコ軍を混乱し壊滅させたのだ、と、世界史の重要な事柄が起きたところを走っている。でも、このバスの中でこんなことを考えている人はほかにはまずいないだろう。

<レパント海戦のあたりの海(コリントス湾)>

レパント

夕暮れ近くコリントス地峡を通過し、20時ころアテネのキフィウス・バスターミナルにつく。5時間かかった。51番のバスに乗り、オモニアで降りて、モナスティラキまで地下鉄で行き、荷物を受け取った。今夜は、オモニア近くにあるBoss Boutiqu Hotelに滞在する。朝食付きで8001円。ここはもう一泊、明後日にする予定である。オモニアの暗い道をがらがらとスーツケースをもっていくが特に問題はない。ホテルはきれいでとてもよい。やはり、フロントがあるのは良いなと思う。ホテルには着いたのは9時であり、外食するのも面倒なので、オモニア広場にあるカフェとパンのチェーン店、VENETHに行く。ここは、パンや軽食、デザートを中で食べらるし、お持ち帰りもできる。店内での食事は9時半で終了ということなので、サラダとデザート、カプチーノを頼む。量が大きくでかいのでこれで十分。しめて11.5€、リーズナブルだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャぶらり旅④

2024-12-27 | 旅行

12月12日 ギリシャ4日目

今日は、3泊したアパートNikis 20 Suite を離れ、バスでスパルタまでいき、オリンピアの手前ピルゴスまで行く。明日の夜には、またアテネに戻ってくるので荷物を預けることにする。コインロッカーのようなものはないが、荷物を預かってくれるBounceというサービスがあり、アプリで予約。バスが6時30分で、帰りが21時くらいなので、24時間受付のところを探す。すると、モナスティラキ広場の近くのホテルがヒットした。時差ボケが続いており、夜10時には寝てるので、4時ころ目が覚めた。なので、余裕で5時10分にシンタグマを出る。モナスティラキ広場まで15分くらい。場所は、Atene Safety Hotelで、なるほど24時間オープンのフロントがあるホテルがに有料預かりをしているのだ。支払いはアプリで行われ、1日4.5€、手数料3€で、2日で12€。便利かつリーズナブルである。フロントのおじさんとの受け渡しは簡単に終了。そして、バスターミナルに向かう。

アテネでは長距離バスは2つあり、どとらもオモニア広場から路線バスでいける。モナスティラキ広場からオモニアへは歩いても10分くらいだが、地下鉄で向かう。この地下鉄は1869年に開通した古いもので、モナスティラキモナスキ広場の駅は古代アゴラ遺跡があり、これをぶち壊して敷設されている。当時は、遺跡保護よりも近代化が優先だったのだろう。オモニア広場は、ガイドブックによると治安が悪いとか、麻薬中毒患者がふらついているとか、悪いことばかり書いてある。早朝、まだ暗いうちに歩くのは嫌だと思うが、実際行ってみると、明るい雰囲気はないが別に怖い感じはしない。ギリシャ経済危機のころはそうだったのかもしれないが今は普通に歩ける。

オモニア広場から数分のところにあるバス停で051番バスでキフィウス・ターミナル(ターミナルA)に向かう。15分くらい、地下鉄と合わせて1回分で乗車できる。アテネ市内の公共交通は、距離や回数でなくて時間制である。1回は1.2€で90分間は何度でも乗れる。券売機で購入して、切符にチップが組み込まれており、これを乗るとき(地下鉄は降りるときも)タッチする。すると、残り時間が表示されるのでわかりやすい。ちなみに、2回券、5回券、1日券などあり、空港は別区間とされる。なので、モナスティラキ広場から1回分でバスターミナルまで地下鉄とバスを利用してこれるのだ。

<早朝のオモニア広場近くの51番バス停付近>

バスターミナルは結構大きく、KTELというバス連合とでもいうべき発着場だ。しかし、これは地域ごとの会社であり、それぞれの会社が発券窓具とを開いている。スパルタへは、KTELオモニアでオンラインで予約できるのである。コピーを渡して発券してもらう。HPでは発車時刻は書いてあるのだが、到着時刻の記載はない。3時間くらいなのか4時間かかるのかわからない。また、スパルタからミストラのバスは時刻表はないし、スパルタから今夜の最終目的地ピルゴスへのどうやって行くのか、果たしてたどり着けるのか、現地に行かないと不明という未知の状態である。KTELのバスは、路線によっては毎日走っていないようだし、曜日によって変わるようだ。

とりあえず、朝一でスパルタに向かうことにする。バスターミナルでは、どこでもそうなのだが、カフェがあり、サンドウィッチやバケットサンドが売っているので、バケットを買って乗車する。朝6時30分発の便は、フェリーの乗客をピレトス港でピックアップし、ここからコリントスまで渋滞にはまった。途中のコリントス地峡で休憩はしっかりとって、ほぼ昨日のコースと同じ道を通り、ミケーネ遺跡を左側にあるなあと眺めつつ、アルカディアの中心地トリポリに9時過ぎに到着した。ここで15分くらい休憩して出発。アルカディアの岩稜地帯をスパルタへ向かう。アルカディアは牧神パンやニンフのいる理想郷として構成伝わるが、実際は、不毛な岩稜地帯で耕作に向かず、山羊などの放牧地帯であったためポリス間の争奪の対象にならず、牧神のいるののどかな土地といわれたようである。実際に、トリポリからスパルタまでの1時間は山や丘が連なった美しいのどかな美しい山稜地帯がずっと続くのである。理想郷とはこういうことを言うのか、と思うが、、やがて1時間ほどでスパルタへ、スパルタは数百メートルの山々に囲まれた緑豊かな小さな町であった。そのはずれのバスターミナルに10時30分頃到着する。さて、今日の予定をここで確かめなくてはならないが、KTELの発券所でピルゴスに行きたい、というが、わからんという。そして、他社のHPでトリポリ17時45分発のバスに乗りたいというと、15時15分発のチケットを発券してくれた。その先はトリポリで買えという。まあ、よくわからんが大丈夫だろう。次にミストラへのバスを尋ねると11時30分、帰りは14時30分であるという。これ一択である。ということは、スパルタには正味1時間弱しかない。レオニダスに会いに行かねば、と急ぐ。バスターミナルから古代スパルタ遺跡は、歩いて20分ほど。ぎりぎりの時間である。スパルタの町は小さく、ギリシャの田舎町、ここがかつてアテネとの覇権を争ったのかとは思えない。街の街路には、レオニダスの横顔をモチーフにしているものが街のあちこちにあり、英雄視されているのだな、とは感じられる。

スパルタ古代遺跡の近くに大きな武装したレオニダスの彫像が南東を向いてたっている。かっこいい。英雄である。銅像はテルモピュレイにもあるらしい。レオニダスの像はかっこいいのだけど、公園の真ん中とか、町の中心とかならいいのだけど、サッカー競技場のフェンスの前にポツンと。なんかな、重みがない感じ。サッカーは、今風の戦争なのかも。

<レオニダス王>

レオニダスの像を横目に、サッカー場脇を奥に向かうと5分ほどで古代スパルタ遺跡がある。遺跡は入場無料。かなり広範な遺跡ではあるが、スパルタの古代のアゴラ跡があり、石組みがわずかに残っている。ローマ時代の遺跡もちらほら。アテネの遺跡とくらべると、当時最強のポリスとして、市民たちが訓練に明け暮れ、自由闊達な議論を交わした質実剛健な強国スパルタ。それを感じさせる具体的な遺物はない。それがスパルタなのかもしれない。

<スパルタのアゴラ跡>

スパルタアゴラ

遺跡は小高い所にあり、東に西にまた北に山が見渡せ、豊かな緑に囲まれている。神殿跡が広がっている。紀元前4世紀の衰退期までここラコニアの地には一度も侵略されなかったスパルタ。その豊かさと強さ、この草ボーボーの地味な遺跡がスパルタを表しているようでもある。山並みは、当時となんら変わらないのだろう、いまは静かに草や土に埋もれているが、2500年前は活気と力と汗がほとばしる舞台だったことが風に乗って感じらるような気がする。飛鳥みたいなものかも、娘に報告するとそんな答えが返ってきた。確かに。

<スパルタの神殿跡>

スパルタ神殿跡

時間もないので、感傷に耽るのもそこそこにバスターミナルに急ぎ戻る。資料館が町中にあるのだが、寄っている時間がない。残念だ。やり残した。とすると、もう一度来なければならないのかもしれない。ここはよい。

急いでバスターミナルに戻り、11時30分発のミストラ行きのバスに乗る。途中、市内中心にある考古資料館前のバス停に停車した。どこを通るのかよくわからないが、それならば、資料館に15分くらい寄れたのに残念。バスは、スパルタの西に向かい、オリーブなどののどかな刃欠け道を通り、小さな集落で乗客はすべて下車し、乗客一人だけで山すその終点のミストラに15分ほどでつく。料金は片道2€。現金で払った。バスの案内とかはまったっくないが終点だし、運転手がミストラと教えてくれた。帰りのバスを運転手に尋ねるとやはり14時30分といっていたので、確かなのだろう。バスは、1軒しかないこぎれいなレストランの駐車場につき、ミストラまでは道路を10分ほど登っていく。

 ミストラ遺跡へは、車で行くと頂上近くまで上がれるようで、下から行く人はあまりいない。入場料は冬季割引の6€。見上げると、遺跡は3段階になっており、入り口から山の斜面に多数の教会や建物、それらを囲むレンガがめぐっており、中腹には王宮がでんと構え、教会も見える。標高差300mはある頂上には要塞のような城壁がめぐらしてあるのがわかる。山一帯が要塞都市のようになっており、その規模は写真とかでは表せないくらいだ。ここは、ビザンチン帝国の頃、12世紀ころから街がつくられ、交易で栄え、王が統治していたそうだ。往時には数千の住民が住んでいたようだ。街の入り口にはいると、すぐに修道院がある。いまは、このミストラ遺跡、一つ残っている女子修道院を除いて住民はいない。しかし、19世紀にオスマントルコ支配下のアルバニア兵によって破壊され、それ以降は無人になったらしい。それからまだ200年くらいの経過であり、当時の様子がよく残されている。

<ミストラの入り口から遺跡を臨む>

入り口に入ってすぐの一番下のエリアは、商店街や工房など庶民が暮らしていた区画、道路が残されている。町のあちこちにビザンチンの様式のギリシャ教会が多数建っている。

<下層の居住エリア>

特に、一番奥のオディギトリア教会に入る。エヴァンゲストリアス、アギオス・テオドロス教会と教会が町中に立っている。それぞれの内陣にはキリスト受難や聖人の生涯など、聖母マリアなどのイコンが全周を取り囲み、天井のドームにはイエスキリストが見下ろすという構図である、フレスコ画であるが、色彩もよく残されており、ギリシャ正教会らしい厳かな空間である。いまは教会として使われていないため、写真撮影を禁止されてはいない。遺跡のどこからでも眺められるが、教会はが斜面にそびえていることが多く、そこからスパルタを中心としたラコニア平原を見渡すことができ、絶景といえるだろう。ビザンチン帝国は、オスマントルコの圧力を感じ、この要塞都市を作ったのがわかる。

<オディギトリア教会の内陣>

さらに、上に登っていくと2段目の王宮エリア、王宮は大きな建物であるが、現在修復中なのか内部は見学できない。この周辺にも教会がいくつか建っており、この団の一番上はアギヤ・ソフィア教会というコンスタンチノープルと同じ名前の立派な教会が建っている。

<王宮>

<アギヤ・ソフィア教会>

その上に、一般の駐車場につながる入口があるが、そちらにいかず、頂上を目指しさらに上っていく。頂上には、堅固な城壁をめぐらした要塞がそびえており、その城壁から下を眺望すると、結構な高度感がある。オスマントルコの勢力拡大に備えたのだろう。堅固な要塞である。

<最上層の要塞>

ミストラ入り口までは300m、スパルタまでは400mはあるだろう。晴れてさわやかに見渡せる。また、地域一帯を広く見渡すことができ、古代からの歴史の舞台、スパルタ地域が一望できる。ここまで1時間を要した。バスの時間までの2時間半は時間を持て余すかと思ったが、教会の内陣でたたずみ、眺望に感じ入り、のんびりと坂道を登ればこれくらいはかかるものだろう。

<要塞からスパルタを臨む>

さて、要塞でのひと時を楽しんだのち、唯一の住民であるバンタナサ女子修道院に向かう。修道院の手前で、猫を3匹連れているシスターにあう。まわりにはこぎれいな花が咲いており、レンガと緑の中に、猫がふらふら歩いているのんびりとした優しい空間だ。数百年変わらぬ光景のかな。修道院の周辺や内部は、きれいにされており、また10人ほど住んでいるというシスターの宿舎に洗濯物が干してあったりと、生活臭がするのでなんとなくホッとできる空間である。内陣にはいってみた。ほかの遺跡とは違い、イコンは美しく磨かれ、花に囲まれ香りのただよう落ち着きがある。内陣は、信仰の対象であり写真撮影は禁止であるのはいうまでもない。

<バンタナサ女子修道院>

さらに、フレスコ画が美しいというぺリヴレプトス修道院跡は工事中でいくことはできず、遺跡の入り口にあるショップをのぞく。お土産物はほとんどなく、商売っ気がないのか訪れる人が少ないのか、英語版の解説本をかっておいた。

バス停に戻るが、バスの発車まで30分以上あるので、バス停横のきれいなカフェレストランに立ち寄る。まだ2時だけど、寒くなるから外のテラス席は片づけられたので、中のテーブルに座る。朝、バスの中でバケットサンドを食べてだけだが、時間もないので、レアチーズケーキとカプチーノを注文。ケーキのでかいことと言ったら、、、。日本の2個分くらいはあり、濃厚なケーキをいただいた。まあ、おいしい。あわせて12€。こんなもんかな。

バスの時間が近づいたのでバスを降りたところで待つが、なかなか来ない。15時15分発のバスでトリポリに行くので焦るが、15分遅れで14時45分頃に到着。料金はやはり2€、15分でバスターミナルに戻った。

トリポリ行きのバスは、アテネ行きのバスであり、途中で降車可能なのだろう。料金は5€。来た道と同じのどかな山道をへてアルカディアの中心地トリポリにつく。トリポリのKTELバスターミナルでピルゴス行きのチケットを15.5€で買う。出発は17時45分発の予定。16時20分頃についたから1時間半は待つことになる。ピルゴス行きのバスは、アテネから来るのでなかなか来ない。心配そうに強いると、チケット売り場のお兄さんがバスが来るたびにバスを見に行ってあれではないと教えてくれる。ようやく1時間遅れで18時45分頃に到着。お兄さんがあれだと教えてくれた。アテネとピルゴスの間は、一日に数本出ているがトリポリ経由は朝と夕方の2本だけ。結局、このバスステーションに2時間半も待っていたことになった。カフェもあるのでよいとはいうものの、寒い寒い。バスはトリポリから西へ向かい海辺に出る。その間、ほとんど集落の明かりは見られない。この辺りは昔も今も変わらずの相当な岩稜の広がる田舎なのだろう。アルカディアだし。

海岸沿いを北上し、ピルゴスには21時過ぎに到着。なんとかたどり着いたという感じ。ピルゴスのバスターミナルは、市街地にあるが、もう遅い時間なのでレストランに入るのもおなかに悪そうなので、ローカルカフェでギロをテイクアウトだな。ギロはうまい、炭焼きの肉にポテト、トマト玉ねぎなどいれてピタパンで包むファーストフード4€くらいかな。ピルゴス駅前でギロを求めに入ると、店のおじさんがいて、どこから?と聞かれ、日本と答えると、日本は良い、京都が、云々と、ごきげん。顔は彫刻のようで鼻が高くあごひげはやして体格いいから、なんか怖いのだけど、結構、親切でやさしい。ギリシャ人は笑顔がないからか、東洋人と比べてそっけない印象を受けるが実際は優しかったりする。おじさん、気にいってくれたのか、初見の登用の旅人にギロをおごってもらった。さんきゅ、とハグしてホテルに向かう。

<ピルゴスのギロ>

ホテルは、バスターミナルから5分くらいのギリシャ国鉄駅前のHotel Marilyに宿をとった。素泊まりで41€。こじんまりした家庭的なホテルで一晩寝るには十分である。暖房の音が激しくて最終的には切らざるを得ないくらいだった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする