12月14日 日曜日 ギリシャ5日目
きょうは、世界の中心、アポロン神殿のあるデルファイへ
気を付けなくてはいけなかったのは、ギリシャのローカルバスは、土日には便数が減ることである。デルフォイ行きのバスは、1日4便あり朝一番は8時30分であるが、日曜はこれが運休となり、朝一番は10時30分となってしまうのである。
朝に時間ができたので、ギリシャの遺跡はだいたい朝8時からオープンしているので、今日は古代アテネの政経の中心地、古代アゴラに先に立ち寄ることにした。
ホテルでの朝食は、ギリシャ風にトマトとチーズ、オリーブにギリシャヨーグルト、ふんだんにとれるオレンジジュースで。これはいい。あした、また同じホテルに泊まるので、大きな荷物はホテルに預かってもらう。やはりホテルはいいね。値段もホテルのほうが安い時もあるし。
古代アゴラまでは、ホテルから歩いて20分くらい。オモニアからモナスキ広場を通り、古代アゴラへ朝のお散歩かな。まだお店はあまり開いていない。地下鉄が走っている橋を越えて古代アゴラに入る。アゴラは、広場とかの意味で、市民が生活のため政治のため行き交うところである。ローマでいえばフォロ・ロマーノと似たようなところだろう。入場料は冬季割引の6€。古代アゴラは、正面にはアクロポリスの丘をのぞみ、右手には現存するヘファイストス神殿、左手には復元されたアッタロスの神殿がある。かなり広大であり、白い大理石が得点在している。ここからアクロポリスへの古代の幹線道路が伸びており、政治の中心である建物や大きな市場が広がっていた。古代ギリシャの繁栄の中心、アテネ、市民による民主主義が行われ、ソクラテスなどの哲人が議論を交わし、ペリクレスが演説をし、地中海全域からの文物が行きかっていた2500年前のアテネ。そんな活動の場所がここなのであり、いまは石が散乱し、草が生えている遺跡になっているが、往時の息吹を感ぜずにはいられない。
入り口からすこし進むと、オリンポスの12神をまつる台座がまず目に入る。残念ながら神像は現存していない。そしてその奥には、大きな建物跡、アグリッパの音楽堂跡である。アグリッパは初代ローマ皇帝アウグストゥスの一の腹心で娘婿あるが、彼が建てた音楽堂であるそうで、手前には銅像が建てられていた。その頭部はいま博物館に展示されている。ローマ時代にあっても、アテネは文化の中心として栄えており、ローマ人はギリシャを尊重していたのがよくわかる。
そこから北西側の小高い丘にはヘファイストス神殿が立っている。その手前の広場の建物跡がある。ここはソクラテスが人々を捕まえて議論を交わした場所である。ソクラテスは、人々との議論で無知の知を問い、議論を通じて新たな知恵、徳を得ようと産婆術といわれる討論法をここで行っていた。まさに、2300年前のソクラテスと同じ地面に立っている。そうした感動は実際にここにきて初めて感じられるものだろう。何も残っていないけれど。
その北側には、地下鉄1号線が走っている。1869年に開業した古いものであることは前にも書いたが、当時遺跡保存の考えもなかったのだろう、神殿跡を壊して作られた。いまでも地下鉄の双方の脇で発掘作業が行われている。また、この古代アゴラは、1930年代までは民家があったものを取り壊して発掘保存したそうである。日曜の朝ということもあり、人がまったくおらず、遺跡を体感するにはよい時間であったのかもしれない。
小高い丘の上に建つヘファイストス神殿に向かう。ドーリア式の大理石の柱が今も残っており、また、ファサードも屋根もあり、朝日をあびて静かに立っているのは非常に美しい。かつては彩色されていたようだから、その時は人々もおり、内陣には鍛冶の神ヘファイストスの神像が安置され、巫女が控え、にぎわっていたのだろう。現在とはずいぶん違った風景だったのだろう。神殿から古代アゴラ全体を見下ろすことができる。手前には、ブーレウテリオンや中央回廊など、アテネの政経中枢の建物群、アクロポリスの丘のパルテノンが眺望できる。古代人と同じ場所で眺めていることになる。往時の賑わいは過ぎ去ったが、その繁栄を語る石や草が広がっている。かつては、アテネの英雄でクノッソスを滅ぼした伝説の英雄テセウスの神殿とおもわれていたようだ。
神殿から坂をおりていくと、アテネの民主主義の中心であるブーレウテリオン、ここは市民から行政の責任者として選ばれた評議員が実務を行ったところであり、隣には正方形の文書庫のメテオン、評議員の詰め所である円形の建物のトロスなど、古代民主主義が実際に行われた場所である。市民による政治であるからさぞやここでは演説や議論が交わされたりもしたし、ペリクレスも立派な演説をしたのだろうし、衆愚政治として市民を煽動した輩もいたのだろう。その舞台である。
政治の中心のすぐ南側には、大きな長方形の建物が2列になっている、横120mの巨大な建物で、中央柱廊と呼ばれ、市場があったとされる。地中海社会の中心でもあったアテネには、地中海やメソポタミア、エジプトとの交易も盛んであったから、世界中の様々なものがここで売られ、賑わいを見せていたのだろう。いまは石だけであるが。その規模の大きさから繁栄を推測することができる。
この中央柱廊のそばに、違和感のある等身大の銅像2体がたっている。近づくとソクラテスと孔子であった。なんで孔子?と思うが、同時代の哲人ということで記念したそうだが、ちょっとどうなのだろうか。
一番南のアクロポリスの丘の近くのアクロポリスとアゴラを広い道路沿いには、ビザンチン様式の古い教会がある。これも古代アゴラには違和感がある。時代が数百年ずれているからだろう。といっても、これも1400年ほど前のものだが、新しいものだからだ。今日は日曜日で朝9時前、市内のあちこちの教会から鐘が鳴り響く。ギリシャ正教会の本拠地であるんだよな、とも実感する。日曜日は教会に行くからだろうか、バス便が減ってしまう、日本は日曜が観光デイなのだけど、逆なのかもしれない。
ビザンチン教会から古代の道をアゴラへ下ると、道の東側には、紀元前2世紀にペルガモンのアッタロス王から寄贈された神殿が完全に復元されている。完全に復元されているのはこれだけだろうであり、古代の壮麗さを感じることはできるが、細部のつくりなどはアバウトでなんかやはりしっくりこない。中は、古代アゴラ博物館になっており、アゴラで発掘されたレリーフ、彫像など、様々なものが展示されいる。ローマの将軍アグリッパの頭部も展示されている。でも、たくさんみすぎて流してしまい、記憶に残らなくなってしまった。
博物館の脇には、アクロポリスとアゴラを結ぶ古代のメインストリートがあったようであるが、その道沿いにいくつかの石碑が立っている。高さ2mほどの大理石の石碑であり、ペルシャ戦争の戦勝記念、戦死者の弔いで建てられたという。ギリシャ語で彫られており、Google翻訳で読み取れるところは訳してくれる。2500年前のギリシャ語を直接読めるというのも面白い。
さて、次に、モナスティラキ広場のすぐ近くにあるハドリアヌスの図書館に立ち寄る。ハドリアヌスは2世紀ローマ5賢帝の一人で帝国中を巡回した皇帝であるが、ギリシャ、アテネは文化の中心であり、4世紀末のテオドシウス帝が廃止するまでアリストテレスの創設したリュケイイオンがあったように、学術文化の中核だったのだろう。ハドリアヌスの図書館は、外から見ると立派な建物に見えるが、それは壁しか残っておいらず、建物本体は崩壊している。ここにどれだけの文物があり、学者が研究を重ねていたのかな、と思うが、立派な建物の大理石を見るとその規模が想像できるというものである。入場料は冬季割引の3€であった。
10時30分発のバスに間に合うよう、リオシオン・バスターミナル(バスターミナルB)に向かう。デルフォイやメテオラへは、リオシオンから出発する。今日は、食事をとる時間がないと思われるので、バケットのハムチーズサンドを4€で買って乗り込む。
バスは、高速道路を進み、テーベあたりで西へ向かう。テーベといえば、紀元前371年にエパミノンダスとペロピダス率いるテーベの神聖隊を中心にレウクトラの戦いで最強の陸軍国スパルタを破り、ギリシャの覇権を打ち立てたことで有名である。神聖隊は同性愛者からなる最強の部隊であるという。マケドニアのフィリップスはテーベに人質として幼少期送られていたところでもある。平地が広がる内陸の都市である。特に観光資源はないのか、現在何らの観光情報はない。ちょっとさみしいかも。
そこから先は、かなりのアップダウンの山道を進みコリントス湾まで降り下る。デルフォイまであと20キロくらいである。時間は13時過ぎ。まあ、13時半には着くかなと思いきや、ローカルバスはイテアという街を経由し、デルフォイとは反対側のアンフィニという街で止まり、バスの乗り換えとなった。14時ころにアンフィサを出て山をぐんぐんとのぼり、デルフォイには着いたのは14時半になっていた。4時間もかかるとは。。。
バスの運転手に、メテオラのあるカランバカまで行くのだが、3時15分のバスはここでよいかと尋ねると、バスは3時ちょうど発だという。さらにデルフォイの滞在時間が短くなり、わずか30分しかないではないか。急いで遺跡に向かう。
バス停から遺跡までは1キロ弱位。大した距離ではないが、途中に博物館もあり、また、南側には山々が連なり、コリントス湾も遠く眺め絶景であるので、ゆっくりできたならば、、と思う。
チケット売り場につくと、遺跡は15時までで締まるといわれるが、そこまではいられないんだよな。入場料は、ここも6€。ゲートをくぐると山の急斜面にデルフォイの神殿その他の建物が白い大理石があちこちに林立している。かつて建物が立っていたときは、かなりの急斜面であるのでさぞや壮観だっただろうと思われる。ギリシャの聖なる山のパルナッソス山の斜面に建てられており、ここが世界の中心、世界のへそといわれたところか、そう思うと神聖な感じはする。しかし、ずいぶんと町から離れた険しい山中であり、ギリシャのどこから来ても遠いし、かつては歩いてきたのかと思うと、こんなとこなのか、と思わざるを得ない。でも神聖さは強いともいえる。
参道を進んでいくと、ちょっと立派な建物がアテネの宝物庫であり、ドーリア式の柱が2本立っており、復元されている。アポロン神殿への向かう参道には、各ポリスの宝物庫が並んでおり、ポリスからの貢納品が収められていたのだろう。アポロン神殿のすぐ下には、アテネ人の柱廊として柱が3本立っているが、これは紀元前478年のペルシャ戦争のサラミスの海戦の勝利の際にペルシャからの戦利品を貢納したのだそうだ。
そこから階段を上ると、ついにアポロン神殿である。山の斜面を整地して結構な規模を持つ神殿であり、内陣にはアポロンの神像がおかれ、その手前では、巫女が神託を宣じたのだという。いまは基礎と柱が数本しかないので、その様子を再現するのは困難であるが、ギリシャ世界からさまざまな重要な決定に際しての神託を行ったのがここか想像する。コスプレした巫女さんがいて、おみくじでも渡してくれたらな、と思うが、それは日本人的な感覚というべきなのだろうか。
さらに上ると、古代劇場があり、眼下にはアポロン神殿を見下ろすように設けれている。エピダヴロス遺跡よりも若干小ぶりだが、構造は同じようであり、また山の斜面に作られているので爽快感は格別である。
デルフォイでは、オリンピアと同様に4年おきにピューテア祭が開催され運動競技会が行われており、劇場のさらに奥には競技場があるのである。その途中には、アポロン神殿へ向かう人が身を清めるカスタリアの泉がある。日本人の神社でのお清めと同じ感じなのだろうが、すでに時間は14時45分、劇場まで来たところで戻るしかない。劇場跡からのデルフォイを一望する景色は素晴らしい。山に囲まれたアポロン神殿、アテネ人の柱廊などが斜面に並び立っており、深い山々を遠景する。当時からもこのギリシャの風土はなんら変わっていないのだろう。
<山に囲まれたデルフォイ遺跡>
急いで坂道を降り、来た道を引き返す、アポロン神殿で神託する巫女を想像しながらゲートを出る。博物館もよりたかったがすでに14時50分。そのままバス停に向かう。バスは15時ちょうどに出発する。
デルフォイの町は、山の斜面にへばりつており、上下2本の道脇にホテルやショップが並んでいる小さな町である。ここに宿泊するのがよかったのかもしれない。雰囲気はとてもいい感じだ。バスは、行きによった海辺の町イテオで乗換で10分ほど待ち、アンフィサに立ち寄る。なんともこの重複した時間がもったいなかった。
さらに、山岳地帯を1時間ほど進み、ラミア近くの東海岸にでる。このラミアに向かう山の出口のところがテルモピュレイである。紀元前478年、クセルクセス大王率いるペルシャの大軍をスパルタのレオニダス王が迎え撃ったところである。昔は、海と山に囲まれた戦略的要所であったのだが、いまは海岸線がひいており、テルモピュレイより東の海まで数キロは平地が広がっており、なかなか想像いがたいが、海に向かって標高数百めーとりの山がせりだしていることを考えると、そうなのかもしれないと思う。ヘロドトスは、ペルシャ軍170万人に対し、スパルタ軍は300人であったと。諸説あるようで、ペルシャは相当な大群で数十万はいただろうと、クセルクセスは大軍を見てレオニダスは降参するだろうと見込んで数日待つが降伏しないため、総攻撃を仕掛けるも数回撃退され、クセルクセスの息子2人も戦死するほどであった。しかし、テルモピュレイの間道を裏切者が教えて背後に回り、クセルクセスはレオニダスに投降を呼びかけ使者を出すが、レオニダスは、「来りて取れ」と追い返す。最後は、スパルタ軍は奮戦するも数で圧倒的に勝るペルシャ軍によって壊滅する。古来よりレオニダス王は英雄とした語られ、映画にもなっている。スパルタにレオニダスの銅像はたっていたが、ここにも立っておるそうである。なんて、実際は感傷的になる暇もなく、バスは淡々とラミアに向かっていく。
<テルモピュレイ付近>
バスは、ラミアのKTELバスターミナルで終点であり、16時20分頃に到着する。次は、トリカラ行きのバスに乗り換えである。予定では17時45分ということで1時間以上あるが寒いし、ターミナルは郊外なので1時間ほどカフェで時間つぶし。バスターミナルには、どこでもカフェが併設されており、お菓子屋パンも売られていて時間つぶしにはなる。ところがトリカラ行きのバスは全然来ず、どうもアテネからの便らしく、1時間ほど遅れて18時40分頃に到着。ここで2時間半近くまったことになる。真っ暗の中、バスはトリカラに向かうが、到着は20時40分頃になっってしまった。トリカラからカランバカへは40分くらいでhン発していると思っていいたが、この日は日曜日21時15分発は運休で、次は最終の23時発。なんと、ここでさらに、2時間以上待たなければならない。カフェで休むことにするが、22時には閉店してしまった。しかたなく、寒いロビーでさらに1時間待つ。23時のバスに乗り、カランバカについたのは、23時40分頃。もう店は閉まっているし、内陸のカランバカはアテネと比べると恐ろしく寒い。日本の東京並みかな、実際は。
ホテルにむかって5分ほど歩いて到着。HHotel Galaxyはシンプルであったが、暖かくて快適であった。朝食付きで40.5€。こんなときは、こじんまりした部屋のほうがよいんかもしれない。