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ギリシャふらり旅⑤

2024-12-28 | 旅行

12月13日 今日は、ピルゴスからオリンピア遺跡を訪ねアテネに戻る。

ピルゴスからオリンピアへは、30分ほどであるが、バスと鉄道がある。ギリシャ国鉄は、このローカル区間を1日を平日と土曜に3往復している。発車時刻は、7時と9時、13時ころ、2両編成である。途中駅が3つほどあり、乗客は数名かな、観光客は一人もいなかった。ギリシャ国鉄は、かつてはペロポネソス半島にも鉄路が巡っていてコリントスからナブフリオなどまで通じていたようだが、いまは廃線となりコリントスからパトラへ向かう途中のキトスでであり、ペロポネソス半島の一番西のこの区間だけなぜ残して走っているのだろう。料金は、片道2€。乗車していると車掌さんがチケットを売ってくれる。

<ピルゴス駅>                    <列車の中>

9時5分発のガラガラの列車は、ピルゴスから内陸の山懐にある小さな町、およそ30分でオリンピア駅に到着。終着駅である。きれいなかわいい駅舎だ。オリンピアは人口1000人強の小さな町であるが、レストランやホテルなどがいくつか立ち並んでいる。朝9時半ということもあるのか、町中人気もないし、店も閉まっている。町中にアルキメデス博物館というのがあった。アルキメデスは紀元前3世紀にシチリアのシラクサで活躍した人物であるが、オリンピアに関係しているのかな。開いていないし通過しよう。

遺跡は、町を通り抜け一番端にある市役所の先の山の入り口って感じのところから入ることができる。入場料は、ここも冬季割引の6€。

ついに、オリンピック発祥の地、かつて紀元前776年から紀元393年までの1200年以上も続いた運動競技会の会場、聖地オリンピアにきたなと感じる。入り口を入ると、右側の川に近いほうにトラックのような運動場があり、ここで練習したのかなとか思う。

反対側の小高いほうには、迎賓館のような施設跡があったようだ。すこし進むと、直径10m強の円を描くように立っている石柱、フィリッポスの石柱(フィリペイオン)がある。3本だけ今も柱が立っている。マケドニア王で、紀元前338年、アテネ・テーベ連合軍をカイロネヤで破り、ギリシャに覇権を確立した王が記念とする神殿を献上したという。完成したのは、フィリッポス暗殺後に即位したあのアレクサンドロス大王のときだということだ。いまでもその往時をしのばせ、ここに立派な神殿を築き、マケドニア王としてギリシャに勢威を示したのだろう。さぞ、立派なものだったに相違ない。

<フィリッポスの石柱>

フィリペリオンフィリペイオン

その先、左側の高くなった基壇があり、柱跡や大理石が転がる。ここはゼウス神殿。オリンピアはゼウスに捧げられた聖地であるが、神殿が作られたのはローマ時代だったようだ。

右側には広大な施設跡があり、縦横100mはあろうというもの。小部屋に分けれた遺構がわかるが、ここはレオ二デオンという宿舎跡らしい。その真ん中にはプールがぐるりとめぐっている。さすがに流れるプールではないだろうが、くねっと蛇行しているし構造は流れるプールだ。

<宿舎とその内部のプール>

宿舎跡

さらにその先の川沿いには温浴施設があったようで、いわば露天風呂である。ローマ人は風呂好きだから。風呂の床にはモザイクが施されており、各国のアスリートたちは鍛錬と温浴といい環境だったのだろう。この辺りは、川の洪水で崩壊もしているとのことである。ゼウス神殿の横には大きな建物があり、いわば大会本部とでもいうような建物であるプレウテリオン評議会場が広がっている。

<浴場のモザイク>

風呂のモザイク床

その先の南西奥には、ローマ皇帝ネロの別荘が一部だけ建っている。中は崩壊しているのか見ることはできなかったが巨大な建物である。ネロは、オリンピアに赴き競技参加し、戦車競走で優勝し、月桂冠を授けられた皇帝である。自らの力を信じた自信家の皇帝であるから、他の参加者は勝てなかったのだろうか、それともネロの実力かなわからない。ローマ時代でオリンピックは引き続き続けられ、393年に分裂前最後の皇帝テオドシウスが廃止するまでとぎれることなくことなく続けられた。

<皇帝ネロの別荘>

 ネロの別荘

競技場へ向かう手前、ゼウス神殿の南には、2つの高い柱が立っており、そこには勝利の神ニケが翼を広げて立っていたようだ。紀元前400年代、スパルタに支配されいたメッセニアがスパルタに勝利した記念に寄贈されたとのことである。スパルタは強国で数百年隷属していたので、さぞうれしかったのだろう。ニケ像は資料館に展示されている。

<勝利の女神ニケの台座>                <ニケ像>

ニケの台座ニケ像

競技場に入る前、選手の入場ゲートとでもいうべきアーチ状の石組みがある。各ポリスで選ばれた選手たちは、このアーチをくぐり競技場へ入場したかと思うと、実際にここをくぐって大歓声が待ち受けたかと思うと、その歓声が聞こえてくるようでわくわくする。アーチの左側は、各国が寄贈した施設が並んでおり、ここでのオリンピックがギリシャ全土でいかに重要な祭典であったかが感じられる。

<ポリスの宝物庫>

各国の宝物庫

<選手入場ゲート>

入場ゲート

アーチをくぐり横2m位の入場門を通り過ぎると、競技場が目の前にどーんと広がる。真ん中にはまっすぐなトラック、左右には傾斜をつけた観客席が200mくらいの長さでひろがる。スタートラインは、横一線にの石板で作られている。スタートラインにつき、走ってみる。競技場の長さは192m、1スタディオンである。その時代に生まれたとしても、短距離早くないから絶対にここに立つことはできなかったのは間違いない。競技が行われていないとき、一般市民は同じような感想をもっただろうな、すげー。ここ気持ちいい、と。でも、当時、選手は、不正防止もあり肉体美ということもあり、全裸での競技だからね。女子は参加不可能。観客もだめ。古代ギリシャは男社会ですので。左右の客席に加えて、左側の傾斜を利用して観客席もあったらしく、収容人数は45000人という。その観客は、この遠いオリンピアにどうやってやってきてどうやって泊まったのだろうと古代の感覚はわからない。

<競技場>

競技場から入場ゲートをくぐり、神殿地区に戻る。ゲートからゼウス神殿の東側にはヘラ神殿がある。ヘラは、ゼウスの妻の女神である。嫉妬深く怖いイメージの女神ヘラに捧げられた神殿で、近代オリンピックの聖火が採火される。当時の巫女の衣装に身を包んだ女性たちが太陽光を集め聖火を灯す。東京オリンピックでもここで採火され、第2走者として日本最初のランナーとして、野口みずきさんが聖火を受け取ったのは記憶に新しい。なんか、その聖火を採火する神聖なここに本当にいるというのが不思議な気持ちになる。時代を超えて古代に通じるものを感じられる。

<ヘラ亜神殿>

ヘラ神殿

<ヘラ神殿のオリンピック聖火の採火場>

採火場

フィリッポスの神殿にもどり、遺跡をでて、考古資料館に向かう。考古資料館はあるいて5分ほどのところで少し離れているが、立派な資料館である。入場は遺跡と共通である。資料館内部には、ゼウス神殿を飾っていたファサードの浮彫や彫刻きれいに展示されいる。また、遺跡からの出土品、台座の上にたっていた勝利の女神ニケ像のほか、赤い陶器に黒く競技者が描かれたなど、往時をしのばせるものが多数展示されている。世界史の資料集とかで見るようなものがずらりとならんでいる。どれをとってもすごいのだが、同じように見えてしまうなあ。

<資料館の円盤投げや競技の図のある陶器>

円盤投げ

<ゼウス神殿側面の彫刻>

ゼウス神殿のレリーフ

<勝利者の月桂樹>

ゆっくりと見学していたらすでに12時30分である。列車の時刻が13時15分なので、駅に戻って列車を待つことに。朝と同じ列車で同じ車掌であり、乗客は地元の人3人くらい。2€を払いピルゴスへ戻った。

今日は、この後、アテネに行くだけなのでバスターミナルにいく。ピルゴスからにはアテネにはバスで行くしかない。1430発のバスチケットを買う。料金は30.3€、5000円である。結構な値段する。

それまで1時間近くあるので、近くのカフェでランチタイム。おっちゃんが串焼きを炭火で焼いているので、ここは、スブラキでしょう。10€かな、リーズナブルでおなか一杯になる。串焼きはうまい、トルコもうまいが、ここは豚があるのがよい。鶏や牛、羊もおいしいけれど。

バスに乗り込む。この便はトリポリではなく、半島を海岸沿いに北へ行き、その後、東にパトラのほうからコリントス方面へ向かう。バスは2時間ほどでペロポネソス半島の北岸に広がる海のコリントス湾にである。テッサロニキとつなぐ狭い海峡にパトラ近傍を走る。このあたり、レパントの海戦が行われたところである。1588年、スペインとベネチア、教皇軍を中心とするキリスト教神聖同盟軍がオスマントルコ海軍を撃破し、初めてオスマントルコの勢いを止めた海域である。もちろん、今も変わらず海はそこに広がっているが、この狭い海域に誘い込んでトルコ軍を混乱し壊滅させたのだ、と、世界史の重要な事柄が起きたところを走っている。でも、このバスの中でこんなことを考えている人はほかにはまずいないだろう。

<レパント海戦のあたりの海(コリントス湾)>

レパント

夕暮れ近くコリントス地峡を通過し、20時ころアテネのキフィウス・バスターミナルにつく。5時間かかった。51番のバスに乗り、オモニアで降りて、モナスティラキまで地下鉄で行き、荷物を受け取った。今夜は、オモニア近くにあるBoss Boutiqu Hotelに滞在する。朝食付きで8001円。ここはもう一泊、明後日にする予定である。オモニアの暗い道をがらがらとスーツケースをもっていくが特に問題はない。ホテルはきれいでとてもよい。やはり、フロントがあるのは良いなと思う。ホテルには着いたのは9時であり、外食するのも面倒なので、オモニア広場にあるカフェとパンのチェーン店、VENETHに行く。ここは、パンや軽食、デザートを中で食べらるし、お持ち帰りもできる。店内での食事は9時半で終了ということなので、サラダとデザート、カプチーノを頼む。量が大きくでかいのでこれで十分。しめて11.5€、リーズナブルだ。

 

 


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