旅行記はじめます

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ギリシャぶらり旅⑧

2025-01-07 | 旅行

12月16日ギリシャ8日目 

きょうは、ギリシャの最終日、カタール航空でアテネ空港を18時55分発なので、ゆっくりアテネ市内を見学。午前中にアクロポリスの丘、午後に考古博物館を行くことにする。

パルテノン神殿は、朝8時から入場可能である、夏だったかな、パルテノンに入場に大行列が発生で猛暑の中を数時間待ちと報じされていたこともあり、一応、朝早く訪問することにする。

ホテルで最後のギリシャ朝食をたっぷりいただき、荷物を預けて、パルテノンまでお散歩する。オモニアからモナスティラキ広場、古代アゴラを通る。ここは何度も歩いてきた。さらに、アクロポリスの丘に向かって坂道を上って、30分くらいで入場ゲートに到着。

パルテノンが立っている丘の西側に小高い丘があり、これはかつて古代アテネの裁判所があったアレオパゴスである。入場は無料で開放されている。小高い岩山なのでこれを登っていくと、アクロポリスの丘に向かい合っているため、アクロポリスが美しい。朝の時間だが岩山の上に白い大理石のアクロポリス神殿が朝の柔らかい青空に映える。ここは、夕陽の名所であり、アクロポリスの西側にあるので、夕陽に赤く染まるパルテノンが美しいという。アクロポリスを眺望し、その向こうに広がるアテネ市街を一望できる絶景ポインいいである。南側には、フィロパトスの丘が見えるがそこにはソクラテスが収監され、毒杯を飲んだとされる監獄跡がある。ソクラテスは、このアレオパゴスで混迷していたアテネ民主政治により若者を惑わせたとして死刑を宣告された。逃亡することもできたが、悪法も法なりとこれを受け入れたそんな舞台がここなのである。

<アレオパゴスの丘からパルテノン神殿>

アレオパゴスの丘から

さて、アクロポリスに向かうことにする。アクロポリスや博物館はオンラインで時間指定のチケットで購入できる。並ばなくてよいとのことであるが、冬の朝、誰も並んでおらず、簡単にチケットを購入できた。冬季割引で10€。

坂を上り、ブーレの門を通り過ぎると前門のプレビレアがどーんと正面にそびえている。右側にはアテネ・ニケ神殿、左側にはアグリッパの台座がある。その規模の大きさと壮麗さに圧倒される。観光客もほとんどおらず、じっくりと鑑賞できる。プレビレアの中央はドーリア式の石柱であり美しい。でも左右にはイオニア式の石柱であり、その相違を感じるにはよい。作られた時期が違うのであろう。

<プレビレア(前門)>

プレビレア

右側の高い崖地とでもいうところに建てられているアテナ・ニケ神殿はこじんまりとしているが、イオニア式の柱が美しい。ここには勝利の女神ニケを翼のない姿で祀っていたという。勝利の女神が飛んでいかないように翼を切り落としたのだそうだ。

<ニケ神殿>

ニケ神殿

左側には、ローマの将軍アグリッパの銅像を据えていた大きな台座がある。もともとは違うものがあったらしいが、ローマの支配を示すためアグリッパを置いたのだろう。

<アグリッパの台座>

アグリッパの台座

プレビレアの階段を上り建物を通り抜けると、平面が広がる正面の右側にパルテノン神殿、左側にエレクティオンが目に入る。ついに来た。パルテノン神殿は、修復のためのクレーンが据えられている。いつ完成するかわからないだろうな。ドーリア式の柱が正面に8本、側面に十数本の長方形の建物である。パルテノン神殿は、アテネ黄金時代の紀元前432年に完成したものである。ペリクレスが提唱し、デロス同盟の盟主として金庫番を預かるアテネはその資金を活用し、アテネの繁栄を象徴する建物である。パルテノンが完成した年にペロポネソス戦争がはじまり、アテネの混迷と凋落が始まるのも歴史というものかもしれない。17世紀のベネチアとオスマントルコの戦争時に火薬庫として使われ爆発して大きく損傷したという。柱の構造は、有名で内側に少しだけ傾いており、上部に行くほど細くなり、大きく見えるように造られているというが、直視ではまっすぐにしか見えない。大理石の石柱は、だるま落としのように直径は2mもあるものを十個ほど高さ10mまで積み重ね、その上にファサード、屋根で覆い、周囲には神話のレリーフで囲い、華麗な彩色を施していたのだという。内陣には、巨大な黄金のアテナ神像がおかれていたという。大理石がむき出しで、白一色とは相当違ったものであったのだろう。この美しい建築物や彫刻を2500年前にこれを造ったということも驚きである。神殿を囲むレリーフは19世紀初頭イギリス人が遺跡から切り取って持ち帰り、相当な部分は現在も大英博物館に展示されている。残りの部分や復元されたものは、アクロポリス博物館で展示されている。横30m縦70mの壮麗な神殿であるが、周辺に大理石が散らばっており、現在復元作業が行われており、柱には修復された石を同じ材質の意思を使用しているようで、もともとの石の経年劣化も感じられ、いたいたしい感じもするがかえってよいかもしれない。19世紀のクノッソス神殿の復元から進化している。

パルテノンパルテノンパルテノン

パルテノン神殿の西側には、エレクティオンが丘の西の崖地に立っている。ここは6人の少女の柱像、カリアティードが有名である。本体は5体がパルテノン博物館、1体は大英博物館で展示されている。エレクティオンは、アテネの伝説の英雄エレクトリウスが祀されており、聖跡と祭祀所が合わさった複雑な建物であったそうだ。アクロポリスは古来より神聖な場所とされていて、ここは最も古い時代より聖域であったという。その後、神殿はペルシャ戦争で破壊された後、紀元前5世紀末年頃のペロポネソス戦争時に完成したそうだが、戦費で予算縮小せざるを得なかったそうだ。南東側が高く北西側が低くなっており、イオニア式の大理石の柱が立っている。南側の玄関には、6体のカリアティードが並ぶが、この像で建物を支える柱の役割を果たしているのであるが、少女の首は結構細く、美しさのみならず技術的にも高度な設計がなされたのであろう。

<エレクティオン>

エレクティオンエレクティオンの少女エレクティオン

エレクティオンの南側には、巨大なアテナ・プロマコスの青銅の像が立っていて高さ9mほどでピレウスやさらに南のスニオン岬からも見ることができたそうである。ペルシャ戦争の戦利品で作られたそうだが、いまはその基礎が残っているのでのみで、想像するしかない。5世紀にコンスタンチノープルの宮殿に移されたが、1205年ビザンチン帝国が十字軍によって制圧されたことの禍のもとであるとして破壊されたそうである。

<アテナ神像が立っていたところ>

アテナ像跡アテナ像

丘の平面の一番北の端には展望台があり、パルテノン神殿をながめ、眼下には古代アゴラはじめアテネの市街を一望できる。古代の人たちもきっとここで自分たちの街並みを見渡していたのだろう。

アクロポリスの丘を下ると、パルテノンの崖斜面を利用して造られたイロド・アッティカ音楽堂がある。これはローマ時代の劇場であって、5000人ほど収容できていまも劇場として使われているそうだ。ローマ時代のものは新しく感じてしまう。アテネ黄金期より600年も後だからそう思えるのかも。

<イロド・アッティカ音楽堂>

イロド・アッティカ音楽堂

そのあたりからアクロポリスの崖にそって、エウメネスの柱廊が並んでいる。紀元前2世紀に小アジアのペルガモンのエウメネス2世によって築かれた通路だそうだ。柱廊沿いに進んでいくとディオニッソス劇場が現れる。毎年の酒と豊穣の神ディオニッソス祭が行われ、こちらは15000人収容のこの劇場で開催されたそうだ。古代アテネの劇作家アイスキュロスやソポクレス、エウリピデスの三大悲劇作家、喜劇のアリストファネスなどの演劇がここで上演されたのだという。皇帝ネロにより大規模に修復されたというが、いまも原形をとどめている。ローマではコロッセオだが、アテネでは演劇が当時の最大の娯楽なのだろう。

<ディオニッソス劇場>

ディオニッソス劇場

アクロポリスで日本人の団体に遭遇した。ギリシャを回っていて日本人を見かけたのは初めてで久々に日本語を耳にした。東洋人自体あまり見かけないが、韓国人と中国人であったとおもう。アクロポリスのゲートを過ぎると、すぐにパルテノン神殿を模ったアクロポリス博物館がある。入り口までの通路はガラス張りになっており、透明なガラスの下には古代の遺構を下に見ることができる。ここらへんは、掘れば遺跡がどこでもでてくるのだろう。ここもオンラインで予約できるが。当日券を20€で買う。アクロポリスと合わせて30€である。アクロポリスで出土した遺物が陳列されている。展示物のQRコードで読み取ると映像でガイドしてくれ。これは無料でありとても便利。展示物は、アクロポリスの最初期からの変遷やその時代の遺物が多数展示され、上階にはアクロポリスの上側面を飾っていたレリーフが飾られており、ギリシャ神話の神々が多数掘られ、それぞれ動きのある姿で見事に表現されている。かなりの部分は、19世紀のイギリス人によって持ち去られているが、その部分がどう切られたかなども目にすることができる。パルテノンの建設から崩壊、そして今に至る経緯を説明してくれたり、映像で説明をしてくれたり、見ごたえのある博物館である。

<アクロポリス博物館>

パルテノンの側壁レリーフエレクティオンの少女

エレクティオンの乙女は、2階の中央奥に5体まとめて展示しており、まじかに見ることができる。たしかに美しい。ギリシャの街中でもこれほどの美女を見噛めることはない。顔の彫りの深さや鼻筋など現在のアテネと共通する顔形でもある。博物館はかなり広いので、1時間は優にかかるがゆっくり見たので、11時を過ぎていた。パルテノンと合わせて3時くらいはいたのかな。

 

博物館を出てゼウス神殿に向かうことにする。この周辺は、カフェやレストランがたくさん並んでおり、観光地ならではの感じである。大きなアマリアス通りの向こう側に広大な芝生の中にゼウス神殿はある。その手目、道に面してハドリアヌスの門が立っている。2階の構造になっていて、下はアーチ状の入り口、上は4本の柱で構成されている。皇帝ハドリアヌスであるから紀元2世紀中ごろの建設である。図書館も立てているし、ずいぶんとギリシャに力を入れていたのだ。

<ハドリアヌスの門>

ハドリアヌスの門

フェンスの向こうの広大な敷地が広がり、真ん中あたりに円柱が何本かたっている。かつては100本以上の柱であったようで、さぞかし巨大な神殿であったのだろう。これが完成したのは紀元前2世紀であったようだ。ちょっと広いし、神殿の柱は工事中だし、フェンス越しにも十分見えるし、入りぐとは遠いので、中に入るのをやめることにした。

<ゼウス神殿>

ゼウス神殿

さて、最後の目的地は、アテネ考古学博物館。ここにはクレタ以外のギリシャ本土で出土したものが展示されているという。地下鉄ビクトリア駅からあるいて10分くらいなので、アクロポリス駅から地下鉄で向かう。考古学博物館は、火曜が13時からの開館で、ほかの日は8時から。今日は火曜なので、13時からである。博物館近くのカフェで軽くギロとコーヒーの軽い昼食をとり中へ入る。入場料は冬季割引の6€。

<ギリシャ国立考古博物館>

アテネ考古学博物館

博物館は、かなり広い。真ん中の展示室から入ると、まず目に入るのがアガメムノンのマスクだ。ミケーネでシュリーマンが発掘した本物が展示されている。ミケーネは、地中海交易で栄えた中心都市であり、その豊かさからか豊富な金の緻密な工芸品が展示されている。豊かさと技巧の洗練さを感じさせる。ミケーネの王墓から大量に出土した欣や銀、またアフリカとの交易で得たであろうゾウやサイの牙でできたものある。そのほか、馬とか印象などが並んでおり、印象には文字のような模様が刻まれ、当時の繁栄をしのばせるものである。ミケーネの右側には、さらに古いキクラデス諸島の考古資料がならぶ、キクラデスはクレタよりも先の紀元前2千年紀の出土であり、素朴な石器が多い。

<あげ芽生ノンのマスク、ミケーネの遺物>

アガメムノンのマスクミケーネ壁画

そこを過ぎると、エーゲ海文明というようにギリシャ本土や島々で発掘されたものが多数展示され、有名なものではエビア島の「馬に乗る少年」や「ポセイドン」などの青銅の彫像、ミロのヴィーナスで有名なミロス島で発見された「アフロディテ像」の大理石像など、美しいものがならぶ。マラトン沖で発見された「マラトンの少年像」とかいろいろ。アテネからのス都度品としては、墓石がたくさん展示されている。墓石には生前の姿や家族などが掘られており、当時の死生観というべきものか。

<アフロディーテ>               <ポセイドン>

アフロディテ像ポセイドン

<馬に乗る少年>                       <マラトンの少年>

馬に乗る少年マラトンの少年像

また、人物や神の彫像は多数陳列されるが、時代ごとの変遷を見ることができる。紀元前8世紀から5世紀ころのアルカイック期のものは微笑をたたえているような直立像であり、アルカイックスマイルである。最盛期のアテネ古典期には、人間の理想的な美しさを表現した豊かな造形、紀元前3~1世紀のヘレニズム期ではより人間的なリアルな造形となっ通り、ローマ期になると個人の像も増え、質実とした感じになっていく。これらを1000年にも及ぶ機関であり、信仰から芸術、さらには個人像へと変遷していくにつれ、造形も変化しつつづけていくというのを感じる。ギリシャヘレニズムローマと並べれば1000年とう長い歴史が西洋の原点として広がっているということを感じる。

2階には、紀元前1500年ころのサントリーニ島での大噴火で消えたアクロティリ遺跡の出土品が一堂に展示されている。人物の表情の穏やかさ、草木や花をモチーフにした図柄など、クノッソスと共通するところを感じる。開放的で穏やかな海洋文化が栄えていたのだろう。2階は、黒と赤のギリシャの陶器が展示されているはずだが、この日は中に名入れなかった。これも楽しみの一つだったので残念。ゆっくりと見学して2時間くらいかな。ミュージアムショップも閉まっており、図録をかえなかった。

<アクロティリ遺跡の壁画と陶器>

アクロティリの壁画陶器

アテネの日程もこれで終了し、ホテルで荷物を引き取り、空港に向かう。空港での出国手続きや保安検査は、入国時と同様、スムーズに流れて時間を要しないのはよい。アテネ空港ラウンジで時間を過ごす。アテネのエアラインラウンジは小さくて狭くて空いている。最後にギリシャヨーグルトとオレンジジュースをのんで、18時55分発のドーハ行きに乗り込む。さよなら、ギリシャ。8日間、各地で石ばかり見たが、世界史の原点に触れることができた。教科書では1~2ページであるが、その後の西洋史に与えた影響は大きく、いまもなお、その文明での成果は根底に流れていると思う。世界史を学んで興味を持ってから40年以上たって初めて訪れたギリシャ、感動であった。

 

おまけ

カタールのドーハ空港に0時ころにつくが、羽田行きのフライトは9時40分。なんと夜中で9時間以上も待ち時間がある。ドーハ空港は広くて設備も充実し、24時間営業だが、さてどうやって寝るか。カタール航空はトランジットを提供しているというが、私のチケットは最安値なので提供できないと断られた。睡眠ポッドのようなsleepinng loungeは予約でいっぱい。エアポートラウンジは椅子が中途半端で寝るのは難しい、男女別の休憩ルームもあるが、エアラインの放送が流れるので眠れない。ということで、仕方ないのでエアラインのラウンジで8時間の休憩をとることにした。2時くらいにはほとんど人がいなくなったが6時くらいから大変な賑わいになっている。

9時40分のJAL運行のコードシェアで羽田へ。所要時間は9時間。また座り続けることに。羽田の到着は午前1時。もう終電もないが、カタール航空のお帰りなさいキャンペーンというもので、平和島温泉に無料で入れるのでこれを利用。1時40分の迎えのバスで15分ほどで温泉へつく。バスには30人くらいの日本人や中台韓の人たち、深夜に台北やソウルから羽田についたようだ。久しぶりの温泉。というかお風呂。ギリシャではバスタブ付きは一回もなかったので、日本人の疲れをいやすにはこれだよな、日本人でよかったと思う至福の瞬間であるかも。仮眠ルームを設けてあり、14時まで滞在可能という。羽田空港への送りのバスが4時40分発であるので、それに乗って空港へ向かい、家路についた。乗り換え時間はちゃんと確認しておくべきだったな、と思うが、これも一つの経験である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリシャぶらり旅⑦

2025-01-06 | 旅行

12月15日 ギリシャ7日目

きょうは、メテオラの修道院巡りである。

メテオラは、テッサロニキ平原に行き止まりのところに、数百メートルの直立した奇岩が立ち並び、その上にいくつかの修道院が立っている。なんで、こんな岩のてっぺんに建てたのかな、どうやってそこにたどりつくんだ、と不思議いっぱいのところである。修道院は、世俗から切り離し、隠棲する修道士によって切り開かれたようである。そして、12,13世紀ころから建てられるが、そのころ、ビザンチン帝国が衰退しはじめ、世俗を離れた修道生活を送るようになったのだろう。さらに、13世紀に十字軍でベネチアなどのカトリック勢力に支配され、さらには15世紀のイスラムのオスマントルコに制圧されたころに建造されたようである。おそらく、宗教上の圧迫を逃れたり、世俗から隔絶して信仰を維持するため、この岩山の上に逃げ込んだのであろう。もしくは007はじめ数々の映画の舞台になったところで、目にしたことは何度もあるところである。

カランバカは、メテオラの足元の町で、町の背後には奇岩がそびえたち、その上に修道院や十字架が建てられており、なかんなかの景観である。カランバカの朝は、内陸であり一層冷え込んでいた。簡単なギリシャ風の料理が並ぶ朝食をとり、カランバカのバスステーションへいく。メテオラ行きのバスは冬季は1日2本、9時と12時45分とホテルで聞いた。路線バスに乗り一番奥の修道院でおりて歩いて巡るかなと思っていた。バスステーションや観光案内所でバスの時間を再確認しようと尋ねると、ツアーがある、バスはよくないとか、しきりという。口コミサイトでもそういわれると書いてあったので、なるほどそうかと思う。でも、料金は15€で意外とリーズナブル。バスの料金が片道2€であり、ガイドも付くし何よりも寒い。ツアーならメテオラの山中を歩く必要ないので、ツアーをお願いすることにした。9時に出発して修道院は3か所回り、13時30分に戻って来るという。

<カランバカからメテオラの岩山>

カランバカからメテオラの山

ツアーガイドのお姉さんとミニバスに乗り込むがお客は私一人、貸し切りとなった。この季節、観光客は本当に少ない。

カランバカからゲストハウスなどが点在するカストラキ村を通り、メテオラに向かう。途中、ガイドがあれはエレファント岩だという、たしかにそう見える、奇岩があちこちにあるので日本ならたくさん名前をつけて名所にしているだろうが、説明してくれたのはその岩だけである。

エレファント岩

最初に、ルサヌ修道院の下で降ろされた。岩の上に浮いているように立つ修道院である。階段を数十段のぼると、修道院の立つ岩山にむけて、橋が架かっておりそれを渡り中に入る。岩は独立しており深く切り込んでいるが橋は10mくらいであり、わたるには高度感はない。入場料(拝観料かな)は3€。

<ルサヌ修道院>                      <修道院への橋>

ルサヌ修道院ルサヌの橋

内部は、ギリシャ正教の修道院らしく、壁にはイコンが描かれ、キリストの受難や聖者の殉教、マリアが描かれ、頭上にはイエスが見下ろしている。キリスト教者ではないので、これをみてもすごいなしかおもわないが、参拝者は地元の人も多いのか、マリアやキリストの絵にキスをしたり、十字を切ったりしている、日本人的に言うと、寺や神社と同じように自分もお祈りすればよい気もするが、なんか違う感じがして、似非信者にはならず、手を合わせるだけにとどめることにした。内陣は撮影禁止であるので、この荘厳な雰囲気は現地に行くか、TBSの世界遺産を見るしかないでしょう。修道院の展望台のようなところから外を眺めると100m位は高度のある切り立った岩に立っているので、眼下を見下ろすこともできるし、向こう側にはメガロ・メテオロン修道院やヴァルラーム修道院を見渡すことができる。これは確かに絶景である。このルサヌは尼僧院であり、いまも修道生活をおくっているようである。ここメテオラの修道院では、はちみつやオリーブオイルや工芸品を自家製しているようであり、はちみつを買うことにした。1瓶7€であった。ギリシャははちみつが名物であり、ヨーグルトに混ぜて毎日食べていた。意外と安いかな。ルサヌ修道院の橋を越えて反対側にはハイキングコースが通じており、かなり険しいがよい季節ならこれは楽しいかもしれない。見晴らしの良いところまで上っていくとメテオラ一帯の山並み、いくつかの修道院、眼下のカランバカの町、テッサロニキ平原の広がりを眺望できる。歴史と自然と双方を感じ取れるところである。

<ルサム修道院の崖>              <修道院内の小部屋>

ルサヌ修道院ルサヌの内部

さて、バスに乗り込み、次は、一番奥のメガロ・メテオロン修道院で降りる。ヴァルラーム修道院は、ここから歩いて15分くらいなので2時間後にピックアップすることに。

<2つの修道院>

メテオラスとヴァルラーム

この修道院、なにせ、単独岩とでもいうべき垂直な岩山の上に立っており、標高差は高いところでは300m、低いところでも100m位の切り立った岩山に立っている。このため、修道院に人も荷物も入るために上からロープを下げ、縄で作った網に入れて上で人力でロープを巻き上げてあげるしかなかったのである。今でも崖の下にロープが下げられ網がおいてあるので現役で使用されているようだ。また、駐車場から谷を越えて直接修道院まで小さなロープウェイが渡されている。ちょうど着いたときに谷をロープウェイの荷物かごがゆっくりと空中に浮かんでいた。なんとものんびりした感じ。

<メガロ・メテオロンへのロープウェイ>

メテオラスのロープウェイ

<吊り上げロープ>

メテオラスのロープ

いまは、観光客は岩を巡るように堀めぐらされた階段をぐるりと登っていけば修道院に難なく入れる。その階段の途中から谷を見下ろすとまあよくこんなところにつくったもんだな、信仰の力であろうかと思う。入場料はここも3€。修道院の中は結構広くて、入ってい右側には礼拝堂があり、厳かな空間が広がる。内陣に入ると、美しいイコンが壁一面、天井にはイエス、聖母、天使、聖者などのイコンのフレスコ画が埋め尽くされている。金の十字架、天井からは香炉、そしてシャンデリアがおろされ、厳粛な空間である。もちろん、今でも聖なる信仰の場所であるから、熱心な信徒もおられるので、静かに聖者の殉教の過程を描いたイコンをながめる。

<メガロ・メテオロン修道院内の礼拝堂あたり>

メテオラス礼拝堂メテオラス礼拝堂前

礼拝堂から外に出ると、ここからのメテオラの眺めも素晴らしい。目の前にはヴァルラーム修道院、遠くにはサンステファノ修道院、先ほどのルサヌ修道院は岩のすぐ横に小さくたっている。天気は良いが、空気はひんやりしている。修道院の建物内に戻るとロープの引き上げ施設があった。真ん中にはロープを人力で持ち上げる器具があり、数人でぐるぐる押しまわしているようだ。施設の先端は垂直に切り立った崖上にあり、そこからロープは地上まで下げられている、これに乗って上り下りするというのも大変だが、スリリングだろう。

<吊り上げ場と吊り上げ器>

ロープ巻き上げ場

院内には博物館が併設されており、修道院長の儀礼服やミサに使用する十字架、院内での生活をするための器材などが展示されている。儀礼服は、金や銀の糸で織られた豪華なものであり、格式の高い人が就いていたようだ。十字架には、イエスの受難や奇跡が小さく浮き彫りされており、かなり緻密な装飾が施されているのを見ることができる。展示物は充実しており、かつてギリシャ正教会の修道士の生活が意外と格調高いものであったことを感じられる。

<博物館>

メテオラス修道院博物館

<ラテン語の聖書、羊皮紙>

ここでも、売店があり、十字架とか聖なるもののほかのお土産にオリーブオイルと蜂蜜を購入する。ここのはちみつは1瓶6€で、瓶もしっかりしている。また、20世紀初頭のこの修道院での生活を記録した映像が流されていた、修道僧がロープの網にのって引き上げられている様子や当時の生活の様子が記録されていた。100年ほどの少し前のことなのだ。ロープが設置されるまでは、はしごをかけて垂直のがけを登っていたと紹介されている。これはこれで槍ヶ岳の槍の穂先のはしごよりも不安定で怖いだろうと思う

<メガロ・メテオロン修道院>

メガロ・メテオラス修道院

メガロ・メテオロン修道院をでて、メガロ・メテオロン修道院に向かう。時間は12時ころであり、観光バスがたくさんやってきて団体さんがちょうどついたころのようだ。早い時間にきて空いていてよかったかもしれない。

ヴァルラーム修道院には歩いて15分くらい。メテオラの山並みを見ながらの散策は気持ちいい。メテオラの修道院を巡るこの道はトレッキングコースとしても人気である。多少のアップダウンはあるが数キロであり、気候のがよい春や秋の季節ならば、さぞや気持ちいいだろう。カランバカまで降りていけるようであるし。冬は寒いからか、トレッカーは見かけなかった。 

<ヴァルラーム修道院>

ヴァルラーム修道院

ヴァルラーム修道院も、岩山の上に建つ修道院である。規模は結構大きく、これまでの修道院よりも広々としている。まずは礼拝堂へ。ここもイコンが壁や天井すべてで埋め尽くされ、十字架、香炉、シャンデリアと厳粛な空間である。信仰の場であり、撮影は禁止であるので、静かにたたずむ。礼拝堂の内陣に入る前の広間は、宗教画が掲げられるが明るい空間である。そこから広いテラスのような広場があり、メテオラを一望することができる。何度も見たが、美しいなとのんびりと過ごせる。京都北山の鞍馬寺の本殿の前広場から山並みを眺めている感じになんとなく気分は似た感じになる。鞍馬寺は光源氏がわらわ病の病み上がりにきたところ、それを思い出した。なんかそうしたスピリチュアルで厳かではあるが開放感のある感じというべきか。だいぶちがうけれど、気分はそんな感じ。ここにも博物館があり、メテオロン修道院と同じように、修道僧や院長の儀礼服や十字架、様々な修道院にまつわるものが展示されていた。また、第2次大戦時のドイツとのギリシャ軍との戦いがここらで行われていたようで、その絵が飾られていた。

<ヴァルラーム修道院>

ヴァルラーム修道院

 12時半の迎えのバスに乗り、サンステファノ修道院のほうに向かう。聖ニコラウス修道院を横目に見ながら、カランバカを一望できる展望台というか岩山の近くで降ろしてもらう。岩山の上から360度の眺望を楽しむ。ガイドによれば、この岩山は砂岩と硬い岩でできていたが、柔らかい砂岩が侵食され、このような岩山ができあがったというが、ちゃんと聞き取れていないかな。さらに一番の奥には、尼僧院であるサン・ステファノ修道院が見渡せる。360度写真を撮影してみた。眺望をしばらく楽しんだのち、カランバカの町に戻る。4時間ほどのツアー出るが十分満足できる内容であった。

<サンステファノ修道院>

サンステファノ修道院メテオラの山

カランバカからアテネへは、ギリシャ国鉄を利用するべく予約を行っていた。ギリシャ国鉄はオンラインサイトで予約もできるので便利である。カランバカ駅は支線の終点であるが、2023年の洪水のため支線は運休しており現在は代行バスが運行している。代行バスは、ファルサロスという駅でテッサロニキとアテネの本線まで運行している。料金は、アテネまで30.3€である。バスより少し安いかな。カランバカからの代行バスは、一日4便で、17時5分発を予約していたが、1本前の14時発に変更した。カランバカ駅の窓口にはチケット売りのご婦人がいて簡単に変更してくれた。時間が一時間ほどあるので、カランバカの一番奥、岩山のふもとにあるビザンチン教会まで散歩することにする。歩いて15分くらいであるが、かなりの坂道である。岩山の崖を背景にした教会で趣はある。でも、14世紀ごろの建築であるが、中にははいれず外観だけ。ギリシャのビザンチンの様式だよな、という感じ。

<カランバカのビザンチン教会>

カランバカのビザンチン教会

仕方ないので、駅に戻るが時間あるので、駅前のカフェで一休み、ハムサンドにカプチーノ。テラスでのんびり。こうした時間はギリシャでは当たり前のようである。値段も8€くらいかな、日本ほど安くはないが、気楽に利用できる。

カランバカ駅

代行バスは、14時に出発し、トリカラなど4駅ほどを経由して、ファルサロス駅まで2時間ほど行く。この駅、田舎の駅で周りには何もない。

途中、雪で真っ白になったオリンピア山を眺めることができる。神々が住まうところである。キリスト教に信仰が変わってから12神はどうしているだろうか。誰も捧げものをくれなくなって1500年以上かも。

<オリンピア山(たぶん)>

改札は特になく、駅のホームに入る。公共施設の老朽化は著しく、駅の設備はかなりあれており、行き先を示す掲示板は壊れており、時計も狂っている。ギリシャ国鉄は上下分離で運営されており、所有者の国の整備が追い付いていないのだろう。テッサロニキからくる列車に乗り込む。列車は普通に快適であり、問題もなくほぼ定刻で運行している。乗車すると、指定席だが自分の席には他の人が座っているので、別の席に座る。車掌が改札に来て切符のバーコードを確認するが、席など確認しない。まあ、日本のような厳密さはいらないのかもしれない。

<ファルサロス駅でのギリシャ国鉄急行><貨物列車>

ギリシャ国鉄急行

ラリッサ、テーベを経由してアテネに3時間ほどの19時ころに到着した。メテオラに日帰りのツアーもあるが、ちょっと遠いかもしれない。デルフォイとメテオラを1ッ拍していくツアーがあるが、これが一番合理的かもしれない。交通費は、アテネーデルフォイで20€、デルフォイーカランバカで30€、カランバカーアテネで30€、メテオラ現地ツアー15€であるので、交通費だけで100€くらいかかるので、時間効率考えたら現地ツアーが最適かもしれない。もしくはデルフォイ、カランバカのそれぞれ1泊すべきであると思う。

アテネのラリッサ駅からオモニアの今日の宿Boss Bouthique Athensまでは、1km強なのであるいていく。ちょっと薄暗い住宅地区だが、特に危険な感じはせずに到着する。昨日預けた荷物を受け取り、部屋に入る。朝食付きで約8000円であるのでお得である。

比較的早い時間についたので、夕ご飯は街中で食べることに、久々のレストランであり、最後の夕ご飯だ。モナスティラキの手前にあるカラマンリディコレストランに行ってみる。パストラミとかのハムで有名な現地レストランらしい。歩いて15分ほどであったが、かなりの人でにぎわっていた。よくわからんから店名と同じカラマンリディコとブドウの葉で包んだドルマデスを頼む。ドルマデスは、ギリシャの家庭料理で中には野菜とチーズが入っていてサワークリームで味付けられ、大きなブドウの葉で包まれている。量が多いのでこの2皿でおなか一杯になってしまう。カラマンリディコは、ハムに卵をやいたようなものに、野菜がはいっているもので、結構いけるかも。サービスのデザートもいただき、満足だ。

<ドルマデス>                  <カラマンリディコ>

ドルマデスカラマンリディコ

そのあと、もう一度、モナスティラキ広場へ行き、アクロポリスのライトアップを眺め、オモニアに戻る。広場前のBENETHでケーキをテイクアウト。巨大なイチゴタルトを5€でテイクアウトして、ホテルの部屋で至福のひと時。一つが2個分くらいあるから食べ応えある、少し甘いかな。あしたは、ギリシャ最終日、ついにアクロポリスだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする