Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

天皇誕生日に家族観を考える

2024年02月24日 | 日々雑感
昨日は、天皇誕生日でした。ニュースでも、とりあげられていて、誕生日の祝賀と同時に「もう、2月も終わる...」と1年の早さを年々痛感する今日この頃です。

1、そのニュースを見ていたとき、一般参賀に来ていた小学6年生がインタビューを受けていました。しっかりとした受け答えで、たぶん隣に保護者らしき姿があったので、家族で来たのでしょう。お正月に自然災害が発生したこともあり、一般参賀のニュースをみていなかったので、どこかこういうニュースを見ると、良き日の日本らしい姿を見たような気がします(こういう言い方をしてよいのかわかりませんが... 念のため、ここでの記述は特に深い意味はありません。)

2、そんなこんなで、先日です。時刻は22時をすぎて、私も眠りにつこうと布団に入っていた日のこと。
目をつむって、電気を消し、真っ暗にしているところに、どこからともなく子供の笑い声が聞こえてくるではありませんか。
しかも、たぶん、その子供は、そんなに大きくない。声の感じからいって、3歳ぐらいまでの子だろうと想像。
「夜遅いのに、外歩いているのかな?」と思っていたら、しばらくして走ったり、お父さんらしき声が聞こえてきました。
とりあえず、楽しそう。
「こんな時間に子供と一緒に歩いて... 風邪ひかないかな?」
と、余計なお世話でしょうが、老婆心にも、その外から聞こえてくる親子らしき声に、「ちゃんとしなさい!」とつっこみをいれている自分に気づきました。

そして、ふと。なんで私はいま、「ちゃんとしなさい!」と思ったのだろう? と気になり始めました。
つまり、親子の姿は夜も遅くになるにつれたら、外で過ごすべきものではないのではないか? という自分の中にあった観念に照らし出され、「ちゃんとしなさい!」と、外にいる親子たちに対して思ってしまった訳です。

でも、現代社会は、果たしてこの観念が正しいのでしょうか? 例えば、もしかしたらこの親子は、仕事の関係で、こういうタイミングでないと一緒に過ごせないのかもしれない。子供も保育園のようなところに預けられていたことは考えられます。
気分転換に外に出ていたのかもしれません。睡眠時間や、健康面から言えば、まだまだ寒い季節ですから夜の外で過ごさないほうがよいでしょうが、だからといって私が抱いた観念を、引き合いに出してしまったことに、どことなく自分でも違和感を感じました。

この違和感を感じる自分にも、違和感を感じちゃったりして。目が覚めてきてしまいます。笑
そして、最後は便利な一言。「多様性の時代だからね...」

3、そんなことを思いながら、先日、仕事帰りの道を歩いておりますと、向かいからふざけながら遊ぶ子供と、その子供につきあうように一緒にじゃれて、頭をたたきながら走り去っていく大人の男性の姿に遭遇。おそらく、この男性は見た目から父親と思われる。子供のじゃれにつきあっていたのでしょうが、そのすぐ後に、ぴしっと姿を整えた、お母さんらしき方の姿。過ぎ去った父親には目もくれず、子供をつかまえると、「マジやめて。ぶち殺すぞ」という、なかなか強烈な一言を放ちながら、子供に注意をしていました。
声が聞こえてしまった私は、背筋が凍るかの如く、でも聞こえてないふりをして(笑)その場を去りました。(※その場は、他にも人出はあったので、何かの犯罪に巻き込まれそうな気配はありませんでしたので、ご心配なく。)

こうやってみてみると、家族観というのはいろいろまちまちです。言葉だけでは言い尽くせないものがあります。

ちょうど天皇誕生日の前後に、いろんな家族の姿を見ることができた気がしました。
そこで思わず、断片的な情報ながら、雑記として記してみました。多様性の時代だからこそ考える家族観。
なんで天皇誕生日にそんなことを考え始めたのかわかりませんけど...

なんか記してみたくなりました。(まとまりがなくて、すみません。)


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