カミュ『ペスト』の続きを読んでいます。
☆引用箇所あり。これから読む方は、下を読まないでください。
「ペスト」の名前が出てきてから、病人の対応や図書館で過去の記録を調べたり、他の医者と相談をしたり対応に迫られる。
そのうえで、知事らと保健委員会の会議をするのだが、そのときの責任や、本当にペストなのか? と対応を訝しんでいるというか、
病気を恐れているのか、といった描写が何とも興味深い。
こういうときに、そのときの立場によって立ち居ぶるまいが違うこと、その人の本性みたいなものが垣間見れるのだと思う。
責任の所在みたいな話も、ここだけを読むとよくわかる。
リシャールはためらい、じっとリウーの顔を見た――
「ほんとうのところ、君の考えをいってくれたまえ。君はこれがペストだと、はっきり確信をもってるんですか」
「そいつは問題の設定が間違ってますよ。これは語彙の問題じゃないんです。時間の問題です」
「君の考えは」と、知事がいった。「つまり、たといこれがペストでなくても、ペストの際に指定される予防措置をやはり適用すべきだ、というわけですね」
「どうしても私の考えを、とおっしゃるんでしたら、いかにもそれが私の考えです」
医者たちは相談し合い、リシャールが最後にこういった――
「これは君の意見でもあるわけですね、リウー君」と、リシャールは尋ねた。
「言いまわしは、私にはどうでもいいんです」と、リウーはいった。「ただ、これだけはいっておきたいですね――われわれはあたかも市民の半数が死滅させられる危険がないかのごとくふるまうべきではない、と。なぜなら、その場合には市民は実際そうなってしまうでしょうから」 (新潮文庫pp.75~76)
また、人の移動の制限の話が、章が変わったところで出てきます。本当、いまの世界と似たような感じ。
市門の閉鎖の最も顕著な結果の一つは、事実、そんなつもりのまったくなかった人々が突如別離の状態に置かれたことであった。母親と子供たち、夫婦、恋人同士など、数日前に、ほんの一時的な別れをし合うつもりでいた人々、市の駅のホームで二言三言注意をかわしながら抱き合い、数日あるいは数週間後に再会できるものと確信し、人間的な愚かしい信頼感にひたりきって、この別離のため、ふだんの仕事から心をそらすことさえ、ほとんどなかった人々が、一挙にして救うすべもなく引き離され、相見ることも、また文通することもできなくなったのである。 (新潮文庫pp.96~97)
今日は、もうちょっと読み進めましたが、どんな展開になるのか、本当にリアルタイムのニュースと照らし合わせながら考えてしまいます。
ベストセラーになっている理由が、ちょっとわかってきた気がします。
続く。