「昔、息子が先生にお世話になりました。」 その言葉と、その患者さまの苗字を見て私は思い出しました。 『もしかして、、、 』 私はゆっくりとその方に話しかけました。
私が大学病院で研修をしていた頃の事です。救急外来を受診した男の子が急性喉頭炎の診断で緊急入院しました。その日の当直医だった私は、その男の子の担当医になったのですが、その子の事が心配で、病室で夜通し吸入治療をしていた事を覚えています。
その日、私の医院を受診された方は、その男の子のお母さまでした。お母さまが私の事を今も覚えていて下さっていたので、私はとても驚きました。お母さまとお話をすると、子供さまが大学病院に入院したのが27年前、当時息子さまは1歳だったそうです。息子さまは28歳になり、今は東京で仕事をされていると伺いました。徳島には時々帰ってくるのですかと聞いた私には、心のどこかでその息子さまに再会したいという希望がありました。しかし、最近はめっきり帰省しないとお母さまから聞いて、少し残念な気持ちになりました。
ところでなぜ私がこの男の子の事をずっと覚えていたかというと、退院した翌年のお正月にお母さまが私に年賀状を送って下さったからです。その年賀状には元気そうな男の子の写真とお母さまからの感謝のお言葉が書き添えられていました。私は嬉しくて、それからずっとこの年賀状を大切に保管していたのです。折に触れてこの年賀状を見るたびに、医師としての初心を省みていました。
診察が終わり会計をすませたそのお母さまに、少しだけ待合室で待って頂くようにお願いしました。私は急いで院長室に行き、大切にしていたその年賀状を取ってきてお母さまにお見せしました。その年賀状には「平成5年元旦」と書かれていました。お母さまは大変喜んで下さいました。そして今も私の事を覚えて下さっていたお母さまに、私は改めて感謝の言葉を述べました。
私は大学病院で研修している時に自分が担当した患者様の名前を記録し保存しています。平成4年の担当患者さまの欄を見てみると、その男の子の名前がありました。そして病名を見て驚きました。病名は、急性喉頭炎ではなくて気管支異物になっていました。どうやらその男の子は何かを間違って吸い込んで呼吸が苦しくなり救急外来を受診したようです。そこでやっと私の記憶が蘇ってきました。手術場で気管支鏡下を使い異物を摘出し、その後容態が悪くならないかが心配でその子の部屋でずっと吸入をしていたのです。
様々な人たちと関わりあう事ができる医師という仕事に就くことができて、私は本当によかったと思うと同時に、とても幸せだと心から感じます。これからもたくさんの人々との出会いを大切にしたいと思います。
な
私が大学病院で研修をしていた頃の事です。救急外来を受診した男の子が急性喉頭炎の診断で緊急入院しました。その日の当直医だった私は、その男の子の担当医になったのですが、その子の事が心配で、病室で夜通し吸入治療をしていた事を覚えています。
その日、私の医院を受診された方は、その男の子のお母さまでした。お母さまが私の事を今も覚えていて下さっていたので、私はとても驚きました。お母さまとお話をすると、子供さまが大学病院に入院したのが27年前、当時息子さまは1歳だったそうです。息子さまは28歳になり、今は東京で仕事をされていると伺いました。徳島には時々帰ってくるのですかと聞いた私には、心のどこかでその息子さまに再会したいという希望がありました。しかし、最近はめっきり帰省しないとお母さまから聞いて、少し残念な気持ちになりました。
ところでなぜ私がこの男の子の事をずっと覚えていたかというと、退院した翌年のお正月にお母さまが私に年賀状を送って下さったからです。その年賀状には元気そうな男の子の写真とお母さまからの感謝のお言葉が書き添えられていました。私は嬉しくて、それからずっとこの年賀状を大切に保管していたのです。折に触れてこの年賀状を見るたびに、医師としての初心を省みていました。
診察が終わり会計をすませたそのお母さまに、少しだけ待合室で待って頂くようにお願いしました。私は急いで院長室に行き、大切にしていたその年賀状を取ってきてお母さまにお見せしました。その年賀状には「平成5年元旦」と書かれていました。お母さまは大変喜んで下さいました。そして今も私の事を覚えて下さっていたお母さまに、私は改めて感謝の言葉を述べました。
私は大学病院で研修している時に自分が担当した患者様の名前を記録し保存しています。平成4年の担当患者さまの欄を見てみると、その男の子の名前がありました。そして病名を見て驚きました。病名は、急性喉頭炎ではなくて気管支異物になっていました。どうやらその男の子は何かを間違って吸い込んで呼吸が苦しくなり救急外来を受診したようです。そこでやっと私の記憶が蘇ってきました。手術場で気管支鏡下を使い異物を摘出し、その後容態が悪くならないかが心配でその子の部屋でずっと吸入をしていたのです。
様々な人たちと関わりあう事ができる医師という仕事に就くことができて、私は本当によかったと思うと同時に、とても幸せだと心から感じます。これからもたくさんの人々との出会いを大切にしたいと思います。
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