続 神等去出祭 小早川錦棕櫚
出雲大社の御祭神は大國主命で(福の神、縁結びの神)と称へている。「福の神」と申し上げるのは出雲風土記に「五百と神鋤とり取らして」とある。つまり、命が平和産業における生産と消費の開拓神としての由緒によるものではあるまいか。
「縁結びの神」と申し上げる俗言は相当後世の発生らしいが、これは旧暦十月に日本國中の神々が出雲大社と佐太神社に参集して翌年の神事を神義り給ふ、いわば之は地方長官会議だが、この席上で日本國中の男女配偶者を会議遊ばすとの伝説によるものである。
しかし、この俗言も決して単なる宗教的観念として止まるものでなく、現実の祭典形式として出雲大社や佐太神社では毎年とり行われている。
即ち他國では旧暦十月の異名を「神無月」に反し、出雲の一國では特に旧暦十月を「神在月」称へ、出雲大社では十一日から十七日まで、佐太神社では二十日から二十六日迄、厳かに神在祭が執行され、御散会の祭典としては、神々が去り給ふの意から出た「神等去出祭」が行われる。
神在祭を中心とする伝説と現実の結びつきはこれに止まらない。神々たちが会議を遊ばされるという旧暦十月十一日から十七日までと二十日からから二十六日迄を「お忌み祭」と称して佐太神社の御祭神である大母祖の伊弉冉尊お祖先祭であるが故に、出雲大社と佐太神社は勿論、出雲國全般にわたって歌舞音曲を御遠慮申し上げている。神々のお会議のお邪魔になってはならぬお忌みごとである。
歌舞音曲ばかりでなく、鎚、鑿の音を発することの木工等も中止され、昔は大工さんがこの「お忌み祭」の間は全く休業したといわれている。出雲大社や佐太神社では現在でもこのお祭りの期間は一切の神楽神事は喧騒にあたるとて執行されない事になっておる。
かくて、出雲の「神在祭」は完全なる音響統制のうちに行われるわけである。
なほ、「神等去出祭」の当夜、出雲の人々は戸外への外出を極力差し控えて静かにこの一夜を送る事にしている。
これは、日本國中八百万の神々が御出発のため大勢通行遊ばされるから、それと知らずに路上で突き当たっては恐れおおいとの一種の伝説である。
しかし、神話伝説が現実の庶民生活の上に大きな支配力を持っている。こうした習慣の数々を単に根底のなき逆信すべきでない。むしろ、そこに我らは民俗学上の興味深き資料の内容を見るべきではなかろかと思う。
おわり