海端の従妹で剃髪佛門に入り、海端に仕へて居た妙齢な美人に貞心尼と云ふのがあった、
翌朝、師匠の最後を知った時かの女は天地がさかさになったと思った、不慮闖入者によっ
てわづか数日間に堂宇を奪はれ、然も師匠を奪はれたのだから、前後不覚に彼女が泣き入
ったのも無理はなかった。情けある人々の助けをかりて野邊のおくりもいとねんごろに営
み、海端の切腹した短刀を懐にして、つきぬ名残を惜しみつつ、少しのゆかりのあるをた
よりに摂津の難波に出て、或る商家に水奉公したが、かの女は時日の過ぐるに従ひ、益々
海端の温情忘れ難く、或日思ひあまって形見の短刀を取り出し鞘をはらってよく見るに其
の切っ先に曇氣のただよふを発見した。之は師匠が無念のあまりまだ成佛せない証拠だら
うと悟り、暇を乞ふて難波の片田舎に去り、庵を結びてひたすらに今はなき海端老師の冥
福を祈ってやまなかった。
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