今日はわが国において敗戦を告げるラジオ放送があった日。
我が国にとってこれ以上無い屈辱の日。
もう78年も経つのだそうです。
我が国はその後高度経済成長を経てバブル経済へと突き進み、ついにバブルが弾けてもう30年以上も物価は上がるのに給料が上がらない状態が続いています。
バブル後10年くらいは失われた10年なんて言って、いずれは景気も良くなる、という気分が我が国を覆っていましたが、さすがにもう失われたのではなく、そうなるべくしてそうなっただけで、これが我が国の姿だとしか言いようがなくなりました。
我が国はもはや貧しい国に成り果ててしまいました。
一般に失われた世代( Lost Generation)というのは、1920年代、第一次世界大戦で多くの命が奪われ、伝統的価値観に対し冷笑的になった欧米の青年たちを指す言葉だったと記憶しています。
自堕落になり、酒や享楽に溺れた世代。
しかもこの世代、青年期を第一次大戦のなかで過ごし、中年に至って世界大恐慌に見舞われ、50代では第二次大戦を迎えるという、言わば貧乏くじ世代。
最近ではコロナ禍により、学校行事等が中止され、様々な行動が制限された現代の青少年世代も失われた世代( Lost Generation)と呼ぶことがあるそうです。
私は1992年に社会人になりました。
バブルの残滓が色濃く残り、給料が目に見えて上がっていった時代。
同僚などとの付き合いが濃密で、居酒屋やカラオケに週に何度も繰り出した世代。
私よりも少し上の世代は新人類なんて呼ばれていました。
とんねるずなどが持てはやされた時代で、上の世代には理解できない変わった若者たちを指す言葉でした。
その新人類世代ももう引退する年を迎えています。
いつの時代も若者は年配者には理解しがたい存在で、しかしその理解しがたい存在である若者もやがては自身が中高年世代になり、その時の若者たちが理解しがたい、という永遠のループに陥ります。
ゆとり世代ももう30歳を超え、社会を支える世代になっています。
もはや彼らをゆとりだと言って揶揄することは出来ないでしょう。
そろそろいわゆるZ世代が社会人になります。
誕生した時にはすでにインターネットが普及していた、デジタル・ネイティブ。
それ以前の世代と決定的に異なる世代というべきかもしれません。
それまでの〇〇世代は、時代の空気を纏っていただけなのだろうと思います。
情報化社会の申し子という意味ではそれまでと異なる未知なる世代の登場です。
おじさん達には脅威の世代です。
しかしそれも、デジタル・ネイティブが30代、40代となれば、当たり前のものになるのでしょう。
78年の間に世界は変わりました。
我が国は戦後、戦争を忌避してきましたが、戦後は終わり、新しい戦争の戦前へと向かう様相を呈してきました。
中国や北朝鮮やロシアに囲まれた我が国にとっては危険な状態です。
しかし、危険だ危険だと叫んでみたところで意味はありません。
平和を求める外交努力を続けつつ、淡々と来たるべき日に備えるしかありますまい。
攻撃されたら全力で防衛する、国防の意義は変わっていません。
それぞれの世代が、そのことだけは肝に銘じるべきかと思います。