今年の夏は、異常な暑さです。
異常であるがゆえ、過剰なまでに冷房を効かせてしまい、明け方、激しいくしゃみの連発とともに目覚める、なんていうことになっています。
職場では、40年も前に作った空調ゆえ、細かい温度設定ができません。
今時珍しい、「弱・中・強」なのです。
しかも、「弱」でも寒いくらいによく効くため、職場でも鼻炎カプセルが手放せません。
今夏の異常な暑さはわが国一国のことに非ず、欧州や北米をも席捲しているとの由。
欧州では平時夏の暑さはそれほどでもなく、ゆえに冷房設備整わず、そこへ40度超えの酷暑にして、死者が出るのも道理です。
そして世の状況を眺めれば、遠いウクライナはロシアの侵略に苦しめられ、ロシア兵はロシア兵で大義の無い戦を続けることに疲弊している様子。
ウクライナ、ロシア双方にとって何の利益ももたらさない、滑稽とも言うべき愚かな戦いが続いています。
わが国では安倍元総理の暗殺という大事件勃発。
昨日の新聞のコラムでは、暗殺された、という受動的な言い方ではなく、殉職した、という能動的な言い方をしたい、と、変な理由で暗殺を殉職と言い換えようとしたりする輩も現れました。
演説中の政治家が後ろから撃たれたら、それは殉職ではありません。
警備の警察官が殺されたのなら殉職でしょうけれど。
安倍元総理の死をヒロイックに装飾したいという思惑なら、故人にも遺族にもいらぬお節介というところでしょう。
コロナの蔓延は長引き、コロナ疲れもひどいせいか、最近わが国を含む先進諸国が、コロナをインフルエンザのような「普通の感染症」と見做そうかという動きがあるやに聞き及びます。
今までの忍耐が水の泡という気がしますが、経済への大打撃がそんな妄言を吐かしめているのでしょうか。
私はもう休日に出かけないのが当たり前になったし、マスクをしないとパンツを履いていないような違和感を覚えるに至り、何十年でもコロナと付き合う気持ちになっていました。
何がどう変というわけでもありませんが、あらゆる歯車が狂い、少しづつ、私たちの生活を脅かしているように感じます。
ここに至って、神頼みというか魔除けというか、そういう報道に接しないのが逆に不思議です。
古く、京都の八坂神社は疫病除けで有名でした。
それら祈祷は今となっては流行りませんが、きっと細々と続けられているのだと思います。
それらも神事と言えば言えるわけですから。
祈るということ、じつは大きな力が存在します。
物理的な力ではないにせよ、大勢の人間が一つの事柄に関して祈ること。
それらは言わば柱となり、あるいは風となって共同体の結束を固め、困難を克服する力を生み出すような気がします。
だから私は、手指の消毒を欠かさず、マスクも着けて、今夏の異常の収束を祈りたいと思っています。